第66話 炎に手を伸ばせ

朝の食堂に集まったアイン達。朝に弱いアインだけでなく、ラピスとツバキも時折欠伸をしながらサラダのレタスをかじっていた。

 そして、怠いのは肉が無い体のユウも同じだった。彼が眠るのは体よりも意識をリセットするためだが、それが上手くいっていないのか、頭に霧がかかっている。

 その霧の中に浮かぶのは報復を誓った男――エドガー=レーゲンバーだった。乾いた目に揺れる炎が、今も脳裏にこびりついて離れない。


「なあ、これからどうする?」


 椅子の背に立てかけられたユウの問いかけに、アインは食事をする手を止めて逆に問い返す。


「どうする……とは」

「エドガーのことだよ。あいつ、放って置いていいのか。報復だとか言っていたけど」

「……」


 アインは答えを出しかねているのか黙り込む。


「良いも悪いも無いわよ。あいつがしようとしていることは、ただレースに勝つってだけ。動機が何であれ、犯罪では無い以上私たちが止める義務も権利もない」

「そういうことじゃ。その結果がどうなろうと、この街の問題であることに変わりない。誰かに止めるよう頼まれたわけでもあるまいに、忘れてしまうが一番よ」


 食事の手を止めないままラピスとツバキは答える。そうするのが正しいから、そうするのだというように。

 彼女たちの言い分が正しいのは、ユウもわかっている。一時訪れただけの自分たちの価値観で彼の行動の是非を問うべきではない。彼の怒りが正当であるかどうかなんて、昨夜だけでわかるはずがない。

 だが、そうじゃない。ユウの脳裏にひっかかったのは、それではない。


「あいつは、あれだけの怒りを持ちながらどうしてレースに勝つなんて回りくどい手を取る? 報復というなら、もっと汚い手を幾らでも取れるはずだ」

「それは……」


 確かにレコードブレイカーに対して『操縦が荒い』『ガラが悪い』という声は聞こえた。しかし、物を壊されただとか暴行を受けたという話は無かった。あれだけギルドを憎んでいるのなら、そう言った話があっても良いはずなのだ。


「あやつが言っていた通り、公然の前で名を貶めることが目的だからではないのか? その前に自分たちの悪評が広まれば、向けられるのは軽蔑ではなく同情になると考えたのではないか?」

「それはそうかもしれない……けど、レコードブレイカーは2年前から活動を始めたんだろ。今回の祭りまで抑え続けることが出来るのか?」


 元愚連隊であったモヒカン達に大問題を起こさせず数年を過ごさせるには強い統率力があったはずだ。そのためには怒りを抑え込む必要があるが、あれは目的のために簡単に抑えられるようなものではなかった。

 だからこそ、ユウは疑問だった。 


「本当にあいつが憎んでいるのはギルドなのか? 皆だって、それが引っ掛かっているんじゃないのか」


 その言葉に、ラピスとツバキは黙り込む。アインは、まだ答えが出せないようだった。

 重い沈黙が漂う中、最初に口を開いたのはラピスだった。


「……まぁね。あれは、異常だった。怒りを血としていながら、全てを憎んではいない。乾いているのに、枯れていない――矛盾の塊よ。あれじゃあ、一番最初に燃え尽きるのは自分なのに」

「じゃが、あの怒りは本物じゃ。殺したい――いや、それだけでは生温いとさえ考えている。……あれほど人は憎めるのかと、思わず震え上がるほどにな」


 昨夜を思い出したのか、服の裾を握りしめるツバキ。

 エドガーが恐ろしかったのはユウも同じだ。けれど、それでも、


「俺は……エドガーを止めるべきだと思う。傲慢だろうし、権利だって無い。こんな俺に出来ることは無いかもしれない――けど、放って置きたくない」

「見返りもないのに? それに、ただのお節介かもしれない……残酷だけど、貴方は喋る以外には何も出来ないのよ。それでも、助けたいと思うの?」


 抑揚の無い冷たい声で言い放つラピス。

 だが、それは彼女の優しさだ。関わってもただ後悔することになるかもしれないのに、それでもいいのか。それを冷たく言い換えているだけだ。

 そして、それに対する答えは決っている。


「それでもだ。見返りを求めることも、敢えて関わらないことも正しいんだろう。だけど、たとえ何も出来なくても――目の前で死ぬかもしれない人間を助けたいと思うことは間違いじゃないはずだ」

「どうやって助けるの? 貴方には差し出す手が無い」

「だが、口はある。ぐらついている相手をその気にさせるくらいは出来るさ」


 頼むしか出来ない自分が無責任だとしても、それでもそうするべきだと考え言葉にしたのなら、退く訳にはいかない。それがせめてもの自分が果たすべき責任だからだ。

 じっと睨み合うラピスとユウ。ツバキは腕を組みながらそれを眺めていたが、


「……はい。私もそう思います」


 今まで黙っていたアインが口を開き、全員が彼女の方を見やる。伏せられていた目は、まっすぐ前を見ていた。

 白いカラスを見つけたように、ラピスは驚きを口にする。


「アイン……本気なの?」

「ええ。彼の怒りは、他者に向けられたものではない。なんとなくですが……そう思います。だから、止めなくては。炎が彼を灼き尽くす前に」

「さっきも言ったけど、見返りはないわよ。彼に感謝されるとも限らない、むしろ恨まれるかもしれない。それでも――」

「それでもです。彼を思い出すと……心がざわつくというか……とにかく、放って置いては駄目だと心が訴えるんです」


 アインは胸元を握りしめ、ざわつく心を抑えようとする。

 エドガーを思い出す度に、忘れろと心に沈んだ何かが囁いてくる。しかし、だからこそ無視するなとも心は叫んでいた。そして、ユウが助けたいと言ったのなら、パートナーである自分が答えないわけにはいかない。


「アイン……」


 いつになく押しの強いアインに、ラピスは戸惑い気味だった。

 彼女は、友人に対しては見返りを求めるどころか、自身の財を投げ捨てることも良しとする。しかし、エドガーとは昨夜が初対面であり、第一印象も決して良いとは言えない。「助けよう」と言っても「助けなくては」という相手ではないはずなのだ。


「……はぁ」


 だが、理由はわからなくても彼女が助けたいと言うのなら――答える言葉は一つしかない。


「わかったわよ。そこまで言うなら付き合うわ」


 溜息混じりに言ったラピスの言葉に、アインはほっと胸をなでおろす。


「ラピス……ありがとうございます。貴方が居ると心強いですから」

「勘違いしないで。私はレコードブレイカーの船が気になるだけよ。エドガーに恩を売れれば、調査ができるかもしれない。それだけだから」


 そっぽを向いてそう告げるラピス。その頬には朱が差していた。


「くっふ……」

「んんっ!」


 そのあまりにもな反応にツバキは吹き出し、ユウも吹き出しかけたのを咳払いでごまかす。

 恨まれるかもしれないと心配しておきながら、恩が売れるから協力するというのはまったく道理に合わない。本心ではないのは誰の目にも明らかだ。


「……あによ」


 頬杖をつく彼女は半眼で二人を睨みつける。それにツバキとユウは、


「いや、別に?」

「何でもない。なぁ、アイン」


 白々しく答え、


「え、ええ……よくわかりませんが、そうですね」


 アインは曖昧に答えると食事を再開した。

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