第65話 レコードブレイカー

「客を迎えるには不向きな場所だが、耐えてくれ。茶は無いが酒なら出せる」


 そう言ってエドガーは古びたソファーに腰を下ろし、軋む背もたれに体を預ける。横柄とも思える態度だが、むしろサマになっていた。

 アイン達が通された倉庫内は、工具や船の材料と思わしき木板が乱雑に置かれ、エドガーが言った通り歓談には適していない。座ったソファーも中身がかなり抜かれており、尻に当たる硬い感触にツバキは顔をしかめた。

 ラピスは、エドガーに向かって言う。


「お構いなく。私たちは文句を言いに来ただけよ」

「ほう。部下が不愉快なことをしでかしたか?」

「その通りです。道を歩いていたら突然水を掛けられて、『文句ならレコードブレイカーに言え』とだけ言って逃げたんです」


 机を叩き、前のめりになってエドを睨みつけるアイン。

 それは怒っているように見えたが、内心は違うことにユウは気がついていた。

 本当に怒っているなら彼女はもっと口が悪くなる。それが、今はただ事実を述べただけだ。これは――。


「なるほど。それはすまないことをした。金による補償で済むならそうさせて欲しい。今ここで支払うか、それとも小切手のほうが都合がいいか」


 態度こそ変わらないが、エドガーが口にしたのは真っ当な謝罪と賠償だった。


「えっ……あっ、はい。そうしてくれると……助かります……」


 アインの言葉は尻すぼみになっていき、睨みつけた目は泳いでいく。結局、彼女はそれ以上何も言えず、俯き組んだ指だけを見ていた。

 やはり、とユウは自身の認識が正しかったことを確信する。

 彼女は戸惑っていたのだ。愚連隊のボスというにはあまりに理知的で、落ち着き払ったエドガーという男に対して。そして、底知れない雰囲気に飲まれないために虚勢の怒りを振り上げたが、あっさりとそれを躱されてしまった。そうなれば、彼女が出来る会話は無い。 


「水を掛けられたのは、まあいいわ。けど、ちょっと聞き込んでいただけの私たちに追い回すのはやりすぎじゃないかしら?」


 アインに代わってラピスが二の矢を放つ。解答次第では実力行使も辞さない――鋭い目はそう言っていた。

 その目に刺されても、エドガーの鈍色の目は揺らぐことがない。波紋を立てる水が無い乾いた目は、ただじっと見つめ返すだけだ。


「それも重ねて謝罪しよう。祭りが近いせいで少々過敏になっているようだ」

「祭り?」

「お前たちは旅人のようだが……聞いたことはあるはずだ。この街とて最初から石畳が敷かれ、水路が広がっていたわけではない。街の発展と水路の発展はほぼ同義。石を運び、人を運び、希望を運び――この街を造り上げた者がいる。それを称えるための祭りが月末に行われる」

「ああ、南北に走る大水路。それが完成した日じゃったか」


 ツバキの言葉にエドガーは頷く。


「で、祭りがあるとどうしてモヒカンがピリピリするのよ。屋台の場所取りでもしてるの?」

「それならもっと平和的に済んだだろうな。俺達が進めているのは、決闘の準備だ」

「決闘って……まさか、『スライダー・オブ・スライダー』のこと?」

「そうだ。部下もそのための準備をしているが……ギルド側から妨害があるんじゃないかと気が気でないんだろう。現にちょっとした嫌がらせもあった」


 そう言ってエドガーは倉庫の窓に目を向ける。ガラスがあるはずの場所は、今は乱暴に打ち付けられた板が貼り付けてあった。


「それに我らは巻き込まれたというのか。迷惑な話よ」


 当然のように会話を続ける3人をアインは順に見やり、最後にユウをそっと見て訊ねる。


『スライダー・オブ・スライダーって何ですか?』

『現地人のお前が知らないことを何で俺が知ってるんだよ……。というか、名物料理は知ってて行事は知らないんだよ』

『いや、その、調べる時間が無かったんです』

『素直にラピスに聞けばいいだろ』

『それはちょっと……かっこ悪いというか』


 そんな答えを返す彼女にユウは溜息をつき、


「ラピス、スライダー・オブ・スライダーって何ですか」


 声を借りてラピスに訊ねる。突然剣の鞘を叩いたアインに、エドガーは僅かに眉を上げた。

 その様子と声の調子から察したのか、ラピスは呆れたような顔で説明を始める。


「さっきエドガーが言った通り、この街の発展は水路の発展が大きく関わっているわ。だからこそ船乗り――アメンボ――は尊敬された。速く確実にモノを運んだ腕のいい者はとくにね」

「そして、水路が完成した今はその功績を称える祭りが開かれる。その祭りでは、4年に1回アメンボ達が街の水路を一周するレースが行われる。そこで最速だったものに贈られる称号が『スライダー・オブ・スライダー』至高のアメンボというわけじゃ」


 ラピスの説明をツバキが受け継ぐ。

 説明を聞いたアインは納得したように頷き、そして首をひねる。


「それと、私たちが何の関係があるんですか?」


 その疑問には、エドガーが答える。


「そのレースに出られるのはギルドに所属するアメンボだけだ。というよりも、出たところで敵わないというのが正しいが。何にせよ、身内だけで競い合っているということになる。そこにギルド非公認の俺達が出場し、勝ちでもしたら奴らはどうなる?」

「……なるほど、そうなれば面目は丸つぶれ。それを恐れ、出場出来ないように工作をするかもしれない。そこで嗅ぎ回っていた私たちをギルドの回し者だと誤解したんですね」

「そういうことだ。無知ではあったが、馬鹿ではないのだな」

「……褒め言葉と受け取るべきですか?」


 さらっと吐かれた慇懃無礼な言葉にアインは身を乗り出しかけるが、ラピスに制止され憮然とした表情で腰を下ろす。


「なるほどね。私たちを追い回した理由はわかったわ。けど、まだわからないことがある」

「なんだ?」

「あんた達は、どうしてギルドに所属しないの? わざわざ一匹狼を続ける理由はないはずよ」


 それは当然の疑問だ。ギルドに所属しなければ多大なデメリットを負うことになる。現にギルド側から疎まれているのは、集めた情報からもわかることだ。

 その理由として考えられることは幾つかある。その内の一つをアインは口にした。


「……それは、ギルド側が拒んでいるからでは?」

「かもね。けど、身内のレースで部外者に負けることを恐れているのなら、むしろ身内に取り込むはずよ。それに、操縦こそ乱暴でも速さは確かだと街の人も認めている。その技術と船はギルドだって欲しいと思うわ」


 それなのに未だにギルド非公認である理由。それは、


「あんたが要請を蹴っているからじゃないの?」


 その言葉に、エドガーは淡々と答える。


「要請はあった。しかし、受ければ向こうが驚くような馬鹿らしい条件だった。最初からその気はなかったのだろうよ。だが、それは瑣末なことだ。例えギルド長の椅子と引き換えでも俺は断っただろう」


 その目には揺らぐ水は無く、しかし――灯る炎はあった。乾ききった言葉は、鈍色の目を焦がす炎の薪木となる。

 目を焦がし、全身を灼き尽くすように纏った炎の名は怒り。顔を歪め犬歯を剥き出しにし、龍が吼えるような恐ろしさを持って彼は告げる。


「――俺が望むのは! 父を! 未来を! 夢を! それらを略奪したものへの略奪! ただそれだけだ!」


 乾いた目をしながら、枯れていないと感じた矛盾の答えはこれだった。

 彼は水を流し尽くして乾いたのではない。自らの炎で焼き尽くしたのだ。そこに残ったのは、純然たる怒り。乾いた体は、循環するそれによって突き動かされている。

 その激しさに、ツバキは知らずアインに縋り付いていた。ユウも息をすれば肺が焼かれるような錯覚を覚え、声をもらすことさえ出来ない。


「……それは、復讐するということですか」


 縋り付くツバキの手を握りながら、アインは問う。

 それをエドガーは鼻で笑い、答える。


「そんな高尚なものではあるまい! 果たす大義も無く、成し遂げた際の喝采も無い! そんなものは復讐とは呼べぬ! 俺が成すのはただの報復だろうよ!」

「報復……」

「俺は大衆の眼前でギルドのアメンボ達の名を貶め! 自身が切り捨てた小僧にすら劣る程度のものだと嘲笑い! 打ち立てた輝かしい功績を踏みにじる! 望み通りにな! レコードブレイカーとは、そのためだけの組織なのだよ!」


 そこから感じる憤怒と憎悪に、アインは頬を流れた冷や汗を拭う。怨念めいたそれが首に巻きつき、体を侵すような不快感に吐き気がする。

 ――いや、そうじゃない。不快になったのは彼の怒りそのものが原因ではない。

 意識の片隅に追いやった何かが違和感を訴えている。だが、それには手を伸ばしたくないと心が拒否し続けている。そんなものを思い出す必要は無いと。


「アイン……い、痛いぞ」

「あっ……」


 ツバキの声に我に返る。自分でもわからないほどに、彼女の手を強く握りしめていた。


「すいません……ツバキ……」


 吐き出した息は鉛のように重い。汗で背中に張り付いたシャツが気持ち悪かった。


「さて、話は終わりだ。用が無くなったのなら立ち去れ。ここに居ても、良い思いはしないだろうからな」


 乾いた目でエドガーはアインらに告げる。纏う炎は消えたが、それは怒りを鎮めたのではない。

 先程の炎は血のように循環するそれが刺激され、溢れてしまったというだけだ。

 沸騰した鍋からお湯が溢れても、その熱が冷めることはない。それと同じように、彼の中で渦巻く炎が消えることは無い。

 だから、その熱に晒される彼の目は乾ききっているのだ。それだけの怒りを内に滾らせる者に掛ける言葉は、この場に居る誰もが知らなかった。

 アイン達は、一言も発せないまま倉庫を後にする。纏わりついた不快感は、宿に戻っても消えることはなかった。

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