第63話 アメンボ達の事情

 宿に戻ったアインとラピス。それにやや遅れて戻ったツバキは、濡れた服を着替えて宿屋一階の食堂に集まっていた。勿論、ツバキが彼女たちの後をつけていたことは言わず、たまたま外出から戻ってきたので遅い昼食を取ろうという体である。


「で、どうして濡れ鼠になっていたのじゃ? まさか川で泳いだわけでもあるまい」


 白々しくツバキが訊ねると、アインは不機嫌そうに頬杖をつきながら答える。


「モヒカン野郎に掛けられたんですよ。レコードブレイカー……とか言っていましたが、どうせ不良集団ですよ。こういう綺麗な街ではよくいるんです」


 昼食をとったら直ぐにでも乗り込んでやる。そういう眼をした彼女を、ラピスが窘める。


「不良集団かはともかく、確かめる必要はあるでしょうね。もしかしたら無関係な名前を挙げただけかもしれないし」

「それは……まあ、そうですね」

「情報を集めるにしろ、アイン一人では無理じゃしのう」


 からかうように言うツバキ。服屋での一件を思い出せば、そう思うのも無理はない。

 言われたアインは、唇を尖らせながら答える。


「わかってますよ……。ユウさん、手伝ってもらいますからね」

「はいはい。出来れば穏便に頼むよ。魔術をぶっ放したりは無しだ」

「し、しませんよそんなこと」


 さっきしたばっかだろ、と目を逸らすアインに言いたいユウだが面倒なことになるので口には出さなかった。

 そんなことより今はご飯ですと強引に話を切り替えるアイン。ちょうどそこに注文していた食事が運ばれてくる。

 水の街ヴァッサの名物であるフィッシュアンドチップスが人数分。そして思わせぶりに布を被せられた皿が中央に置かれる。


「なんじゃ、この皿は?」

「この街の伝統料理で魚を使った珍しいパイだそうです。星を見る者って名前ですね」

「へえ、ロマンチックね」


 少女三人が運ばれた料理に好意的な感想を言い合う中、一人ユウは嫌な予感を覚えていた。

 魚を使ったパイで名前が星を見る者。そしてフィッシュアンドチップスが有名な街。そんな街はユウの世界にもあった。いや、しかし。そんなことがあるはずは――。


「じゃあ、食べましょうか」


 彼の不安をよそに、アインは被せられた布を一気に取り去り、


「……うわ」

「これは……」

「ひっ」


 アインは真顔になり、ラピスは引き気味、ツバキはその有様にビビっていた。

 それは、魚を使ったパイということが一目で分かるものだった。何故ならば、材料になった魚の頭が空を見上げるように突き出ているからだ。確かに星を見る者の由来になろうというのもわかる。わかるが、焼かれて白目になった魚の頭が突き出ているパイというのはなかなかに不気味だった。


「やっぱりか……」


 英国の支配はこの世界にまで及んでいたのかと慄くユウ。何故人は同じ発想をしてしまうのか――いや。

 もしかするとこの料理も『漂流者』によって広められたものなのだろうか。自分がナポリタンを教えたように、それが根付いていったのでは?

 そうだとしたら、故郷の味を残した彼らはどんなことを思いながらこの世界を生きたのだろう。第2の生を楽しんだのか、それとも苦しんだのか。誰かに拾われたのか、ひとりきりだったのか。 

 それはユウにはわからない。けれど、こうして残したものがあったのなら、悪い生涯ではなかったと思いたい。自分は、そんなものを残せるのだろうか。


「……味は悪くないですね。見た目はアレですけど」

「そうね、見た目はアレだけどイケるわね」

「の、のう……この魚、我を見ておらんか……」

「見てませんよ。ほら、取り分けますから皿をください」

「あら、アインがそういうことするのって新鮮ね」

「大体一人で食べますからね。家族とお姉さん以外には初めてかもしれません」

「……寂しいことをさらっと言わないでよ」


 思いがけずしんみりとしてしまったユウは、賑やかな声に意識を戻される。

 星を見ようと天を見上げる魚は、少女たちの思い出となってその姿を消していった。






 情報集めは夜がいい。酒場は賑わえば、酒で口も軽くなるからだ。そんな時間を見計らい、アイン達は手分けして酒場での情報収集を行っていた。

 アインはユウと共に酒場のドアをくぐる。観光客向けの店ではなく、地元労働者が集う店内には腕が真っ黒に焼けた男たちで賑わっていた。


「マスター、蜂蜜酒を一つ」


 アインはカウンター席に座って注文する。すぐに木製のコップに注がれた蜂蜜酒が置かれた。それを一口飲むと、彼女は心地さそうに息を吐く。


『何しに来たかは覚えているよな?』

『わかってますって。何か頼まないと喋るものも喋ってくれませんよ』


 アインはコップを置き、いつでも喋りかけられる体勢を取る。無論、喋るのは彼女ではなく、


「レコードブレイカーという名前を訊いたことはありますか?」


 彼女の声を借りたユウだ。

 レコードブレイカーという名を聞いたマスターは、怪訝そうな顔で答える。


「知ってるが……旅人のあんたがあいつらと何の関係があるんだ?」

「遠い親戚が居ると聞いたので挨拶をと」


 そう言うと、マスターは顔を寄せて声を潜める。周りに聞かせたくないようだ。


「そうか……それはここでは言わないほうがいい。余計な因縁をつけられる」

「因縁……どういうことですか?」

「レコードブレイカーってのは、2年ほど前から活動を始めた『アメンボ』だ。ああ、アメンボっていうのは船を使って運搬、運送をする奴らのことだ。細い水路でもすいすい進んでいくのが由来だよ」

「つまり、労働者ってことですか? 不良集団ではなく?」

「そうだ、あいつらは金をもらって見合った仕事をする。その点はここにいるアメンボと変わりない」


 アインは、そっと横目に客を窺う。店にいる男たちは体格は違えど、腕は大きく日焼けしている。袖を捲り上げて一日中船を漕ぐためだろう。

 そしてマスターは気になることを言った。その点『は』ということは、それ以外に決定的な違いがあるということだ。そう言うと彼は頷く。


「ああ、そうだ。レコードブレイカーは、船舶ギルドに所属していない未認可店なんだよ。だから、ギルドの連中から見れば飯の種をかっさらう悪党ってわけさ」


 ギルドとは関連業種で形成される集団である。一つの大集団となることで職人を守り、お互いの利益を守ることを目的としている。魔術師協会もギルドの一種だと言えるだろう。

 そしてギルドに所属せず商売を行うということは、その利益を奪うことに他ならない。忌み嫌われるどころか力ずくで排除されてもおかしくない行為だ。


「それなのに、何故今まで放置されているんですか? 然るべき機関があるはずでは」

「ただの悪党ならな。だが、あいつらは違った。乗っている船を見たか? 櫂も無いのに馬みたいな速度で水を走る。速度も段違いとなれば、未認可だろうと雇う奴らは必ずいる。それこそ一分一秒を争うような商売をしている金持ち達がな」

「なるほど……」

「それに、悪党っていうのもギルドから見た場合だ。確かにお世辞にも上品とは言えない連中だが、犯罪を犯しちゃいない。領主や利用者からすれば『何故ギルドの一員にしてやらないのか』と思ってるだろうさ」

「ふむ……」

「それとな……」


 ここだけの話なんだが、とマスターはさらに声を潜めて続ける。


「この街の交通輸送を独占するギルドを好ましく思ってない奴らも多いんだ。『自分たちが居なければ満足な生活は送れない』ってことがわかっているから偉ぶってる奴も少なくない。だから、こっそりとレコードブレイカーを支援する奴もいるんだ」

「……もしかして、貴方も」

「さて、そいつはどうかな」


 マスターは肩をすくめて笑うと、わざとらしくメニューの方を見やりながら言う。


「酒の肴につまらない話をしちまったな。どうだい、美味い肴で口直しなんて」

「……そう言われては断れませんね」


 ユウではなく苦笑を浮かべたアインが答えると、マスターは笑顔でメニューを差し出した。

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