第62話 旅の始まり、その理由

「いやー楽しかったわね。どう? あの格好で旅したら人気出るんじゃない?」

「誰からの人気ですか……そんなことしたら恥ずかしくて死んでしまいます」

「大袈裟ねえ」


 上機嫌な顔のラピスと疲れた顔のアインは、水路脇のベンチに並んで座っていた、街の中心を走る大水路は川のように幅広く、何隻もの小舟が行き来している。

 二人は、しばらく黙ってその風景を眺めていた。船頭が漕ぐ櫂が立てる水音、僅かな波の音。手を伸ばせば届きそうな水面は、陽光を浴びて複雑な光を反射している。


「ねえ、アインはどうして旅に出たの?」


 沈黙を破ったのはラピスだった。なんとなく気になったというふうだったが、何処か声が硬かった。


「それは……その、ラピスに恥ずかしくない人になろうと」

「それは旅に出てからの理由でしょう? 貴方の故郷と魔術を学んだ街、その距離は気軽に行き来できるものじゃなかった。それに、故郷に行った時もご両親は特に心配していなかった。それは、最初から旅に出ていたからじゃないの?」

「……」


 アインは沈黙し、苦い顔をする。誤魔化しは聞きそうもないと、半ば諦観しているようだった。


「旅に出た理由のう。ユウは知らんのか?」


 それを、二つ隣のベンチから眺めていたツバキはユウに訊ねる。


「いや。出会った日に訊いたけど、詳しくは訊いてない」


 目が覚めたら剣になっていて、そしてアインと出会った。その日のことは、数ヶ月も経っていないのに随分前のことのように感じる。それだけ密度の高い日々だったということだろう。ぼんやりと一日を過ごしていた時は1週間前のことさえも曖昧だったのに。

 中でも衝撃的だった初日のことは良く覚えている。確かアインは旅に出た理由を――。


『とくには……旅自体が目的みたいなものです』

『ふぅん? それはまたどうして?』

『……これくらいしか出来そうなことがなかったからです』


 そう気落ちしたように言っていた。その詳細な理由までは、ユウも知らない情報だ。

 ふむ、と顎に手を当てるツバキ。その間にも、アイン達の会話は進んでいた。


「……言いづらいならいいけど、出来れば教えて欲しい。私と――アインのこれからにも関わることだから」

「これから……どういう意味ですか?」

「どうしても旅を続ける理由が無いなら、ロッソの魔術協会に所属して……一緒に働かない?」

「……」


 それは、いつかの日の問いに似ていた。

 前にもこんなことを訊いたわね、とラピスは懐かしむように言う。


「けど、貴方はあの時とは違うし私も違う。今のアインは、誰もが魔術師だと認める力がある。人見知りも少しはマシになった。今の私なら貴方の負担を減らす役職にだってつけられる。だから――」

「ラピス」


 手に触れた熱にはっとするラピス。知らぬ間に握りしめていた手には、不安げにこちらを見やるアインの手が重ねられていた。


「どうしたんですか……なんだか、らしくないですよ」

「……らしくない、か」


 自嘲するようにラピスは言う。


「違うわ。きっと私はそういうものなの。貴方と旅に出るって約束したのに……今になって不安で仕方ない。貴方の隣に私は居ないまま旅に出て、そのまま戻ってこないんじゃないかって」


 水路を一隻の小舟が進んでいく。陸から離れたそれは、緩やかな水の流れのままに街の外に向かっていく。そのまま何処へ行くのかは、船にもわからない。

 流されていく船を見ながら、ラピスは言う。


「貴方に友人ができる度に嬉しくて、そして不安になる。アインを連れて行ってしまうんじゃないかって。そして私が旅に出るには捨てないといけないものが多すぎる。それを整理するまでに、貴方は待ってくれる?」

「ラピス……」

「……ごめん、変なこと言って。ちょっと仕事続きで疲れてたのね。忘れてちょうだい」


 そう言ってラピスは笑う。それが無理に感情を圧し殺すための仮面であることは明らかだった。

 重ねられた手が解かれようとし――アインは、その手を強く握りしめる。私はここにいると言うように。 


「ラピス」


 アインはラピスの眼を真っ直ぐ見据える。

 あの時は、彼女の前から逃げ出し不安を残してしまった。その過ちは繰り返さない。今度は、自分の意志を伝えなければならない。


「……魔術協会に務めるという提案には賛成できません」

「……それは、相応しくないから?」

「違います。私は……旅を続けたい。そう思えるようになったんです。もう逃げ続けるだけの旅は終わったんです」

「逃げ続ける旅……?」

「……私が旅に出た理由ですが」


 アインはそこで言葉を区切り、何度か深呼吸する。空気を吸い込むのと同時に決意を胸の中に作り出しているようだった。

 隣にいるラピス、離れたところにいるツバキとユウは固唾をのんで言葉を待つ。

 何処かで鳥が羽ばたいた。その時、アインの重い口が開く。


「……メイドカフェが嫌だったからです」


 重く、沈んだ言葉がラピスの耳に届く。届くが、その響きの意味不明さに、


「……はっ?」


 言外に冗談でしょ?というニュアンスを含んだその声。しかし、アインの表情は何処までも真剣で冗談や嘘を言ってるようには思えない。

 口を開けたまま固まるラピスに構わず、アインは続ける。


「朝起きてきた父が『天啓だ! メイドが接客するカフェ! これは絶対流行る!』と言い出し……母も乗り気で、そうなるとメイドになるのは私。それは絶対に嫌だと、『魔術師になって旅をすればそれ以上に儲かる』と必死に説得し家を出たのです。本当はつつがない一生を過ごしたいだけだったのに……」

「……あ。ああ、なるほど。そういう」


 やっと理解が追いついたラピスは何度も頷く。

 ただでさえ人見知りなのにメイド服を来て接客など、アインにとっては逆立ちしながらスパゲティを食べるほうが余程簡単だろう。


「そして、私は魔術を学び――今度はラピスから逃げました。その結果、私は貴方を深く傷つけた」

「……」

「そこからの1年は、後ろめたさに付き纏われる日々でした。親しく話せるものも居らず、ただ後悔を続け……けど、それも終わりました」


 アインは目を閉じ、これまでの日々の熱を思い出すように胸に手を当てる。僅かに吊上がった唇が浮かべているのは微笑みだ。


「ユウさんと出会い満足にできなかった依頼ができるようになって……ラピスと再会して謝ることが出来て……ツバキという新しい友人もできました。そして何よりも――ラピスと旅に出る約束ができた」


 だから。アインは自信を持って続ける。


「『こんなにも旅は楽しいんだ』。やっとそう言えるようになったんです。終わらせたくないんです。ラピスと旅に出る日までも、それからも」

「アイン……」

「その、確かに私はふらふらして危なっかしいかもしれませんが、今はユウさんがいます。支えてくれる人がいるんです。だから、ちゃんと貴方の元まで帰ってこれます。誰と旅をすることがあっても、帰る場所はラピスだけですから」

「なっ……あ、あんた……急にそういう恥ずかしいことを……」


 頬を紅潮させてぶつぶつと言うラピスに、アインは首をひねる。

 顔をそらしていたラピスだったが、小さく深呼吸すると、


「……うん、そっか。じゃあ、私の我儘で邪魔をするわけにはいかないわね」


 少しだけ残念そうに、けれど満足気にそう呟いた。


「ラピス……」

「謝らないで。私が勝手なことを言っただけなんだから。けど……うん、私の元に帰る気があるって聞けたのは、嬉しいかな」


 そういうラピスの顔は、本心からの笑顔だった。それに安心したアインも笑顔で答える。


「はい、どんなことがあっても必ず帰ってきます。だから、安心してください」

「そうね……貴方は旅に出るんだもの。漂流するわけじゃないものね」


 そう呟くラピスの視線の先には、流された小舟をロープで誘導する船がいた。帰るべき場所に帰るのだろう。

 あてはない旅でも目的はある。それならば彷徨っているのではなく、前に進んでいるのだ。その旅に終わりは必ず訪れる。

 その時を笑顔で迎えられるように信じて待ち続けよう。彼女が安心して帰ってこられるように。

 ラピスは握られた手を強く握り返す。今感じるこの熱も、手を離してしまえば消えてしまう。けれど、その記憶までは消えない。なら、きっと大丈夫だ。


「けど、旅に出る時はちゃんと言いなさいよ。余計な心配はしたくないから」

「はい。出かける場所と帰る時間は伝えます」

「そう、それは大事。ちゃんと覚えていたのね」

「ええ、もう怒られたくありませんから」


 二人は顔を見合わせて笑い合う。

 そこに、バババババと響く低音が水路の上流が聞こえていた。それは段々と近づいてきて、


「ヒャッハー!」


 叫び声と共に弾丸のような速度の小舟は水しぶきを巻き上げる。周囲の船と比べ物にならない速度のそれは櫂が無く、船頭は船先から上に伸びるレバーのようなものを握り、馬に跨るように座席に座って操作していた。

 巻き上げられた水は陽光に煌めき、そして重力に従って落下し、


「きゃっ!?」

「冷たっ!?」


 シャワーのようにアイン達に降り注いだ。突然のことに悲鳴を上げる二人。


「おっと、すまねえな! つい飛ばし過ぎちまった! 苦情は『レコードブレイカー』まで頼むぜ!」


 弧を描きアイン達の前まで戻ってきたモヒカンヘアーの船頭は、濡れ鼠になって俯く彼女たちに告げて立ち去ろうとする。

 が、背中に感じたプレッシャーに振り向き、そして絶句する。


「……なるほど、水を差すというのはこういうことですか」

「頭が冷えるってわけね。ふふふ……」


 二人は笑っていた。笑っていたが、目は全く笑っていなし手には光球を浮かべている。誰が見ても報復準備ありと判断するだろう。

 無論、モヒカン船頭も一瞬でそう判断し、レバーを握りしめる。同時に獣のような唸り声を船があげる。


「ふざけるな……!」

「このバカー!」

「ひええええええ!?」


 放たれた光球は船の直ぐ側に着弾し、二つの水柱を作り上げる。モヒカン船頭は悲鳴を上げながら、その場から逃げ去っていく。

 その小さくなる背中を二人は睨みながら、


「『苦情はレコードブレイカーまで』と言っていましたね」

「ええ、そうね。行ってやろうじゃないの。私たちに水を引っ掛けたことを後悔させてやるわ」

「はい。このツケは高いですよ」


 物騒なカチコミの相談をしていたが、どちらともなくくしゃみをした。

 二人は顔を見合わせると、 


「……まずは着替えましょうか」

「そうね……。あのゴスロリしかないけどいい?」

「はい……はい!? 買ったんですかアレ!?」

「そうよ。今は店に預けてるけど。たまに着せて遊ぼうかなって」

「遊ぶ前提ですか!? やめてくださいってば!」


 ぎゃいぎゃいと楽しそうに騒ぎながら宿に向かうアインとラピス。

 その背中を見ながら、彼女らが立てた水柱の水を被ったツバキは呟く。


「しまらん奴らよな」

「その方がらしいんじゃないか?」

「それは言えとるな。変に深刻ぶるより余程いいか! くははははは……くしょん!」


 空を見上げて大声で笑うツバキは可愛らしいくしゃみをすると、水に濡れた体を抱えながらアイン達の後を追った。

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