第57話 罰は亡霊が振り下ろす

奥様方から解放されたアインは遅めの昼食をとってからアリエスの店に向かった。

 賑わいを見せる職人区画からやや外れた場所にある店は、そのものだけでなく周囲も物寂しさが漂っていた。


「ここですか……」


 アインは、店の前に供物の酒を一瓶置くと、ぼろぼろになったドアを引いて店に入る。長年放置されていたためか空気が埃っぽい。口元を外套で覆いながら探索していく。

 店を入ってすぐにカウンターがあった。おそらく受付だった部屋だろう。その奥に進むと、樽が積まれた部屋があった。


「人が住んでる雰囲気じゃないな」

「ですね。浮浪者が住み着いているなら、もう少し埃が少ないはずです」


 アインは来た道を振り返る。はっきりと積もった埃に足跡が残っていた。他に足跡が無いということは、ここを出入りした者はここ最近はいないということだ。

 ここで目撃された人が亡霊ゴーストなら足跡を残さず移動できるだろうが、


亡霊ゴーストが居るって言う割には、普通なんですよね。変な空気がしないというか」

「空気でわかるものなのか?」

「なんとなくですけどね。害意を持った亡霊ゴーストなら嫌な空気がするものです。あのキマイラがいた遺跡がわかりやすいですね」

「なるほど」

 

 言われて思い出すユウ。確かにあの時は不自然な冷たさを感じていた。

 しかし、ここは誇りが積もり打ち棄てられた部屋特有の寂しさこそあるが、『向こう側』に引っ張られるようなじとっとした空気は感じられない。ただ在るが儘に時間が過ぎた場所と言った感じだ。


「けど、居るのがわからないゴーストなんてあり得るのか?」

「無くはない……はずです。亡霊ゴーストですが人を驚かせるだけの無害なものがいたという記録もあります」

「探知するような魔術はないのか?」


 ユウが訊ねると、アインは渋い顔で答える。


「あるにはありますが……怒らせて引っ張り出す類の魔術なので、今は使いたくないですね」

「そりゃそうか。して貰うために来たのに、怒らせたら意味がない」

「その通りです。まあ、居ても話を聞いてくれるかはわかりませんしね」


 そう言ってアインは踵を返し、店の外に出る。眩しい太陽の下、両腕を挙げてぐるぐると肩を回して息を吐く。


「疲れてるのか?」

「ええ……さっきの長話のせいか肩が重い……」

「大袈裟な……って言いたいけど、アレはな……」

「はい……」


 げっそりとした顔で同意するアイン。 

 次から次へと話題を投げかけられ、答えを考える間に次の話題へと切り替わる会話はとても疲れる。何度うちの嫁に来ないかと言われただろう。


「これも全部グインって奴が悪いんです。明後日には決着をつけますよ」


 アインは八つ当たり気味に気合を入れると、アリエスの店を離れた。





 コンテストまで残り一週間となった日。

 街は夕暮れに染まり始め、大通りは食事処を求める人々で一層に賑わい始めている。

 そこに面する一軒のレストランに二人の男が席を居合わせていた。


「今日はお招きいただき感謝しますぞ、ムンド殿」

「いえいえ、こちらこそ来てくださり感謝しています、グインさん」


 グインと対面しているのは運送業を営むムンド氏だ。この街で初めてアインが依頼を受けた人物でもある。

 広く洒落た店内に居るのは彼ら二人だけだった。普段なら談笑が漏れ聞こえる空間に響くのは、バイオリンの演奏と彼らの会話だけだった。


「して、今日は何の御用ですかな?」

「用というほどのことはありませんよ。商売をするもの同士密な関係をと。もっとも、コンテストで忙しい時期に迷惑だったかもしれませんが」

「ははは、それは気にすることはありませぬよ。優秀な部下が日夜働いておりますでな!」

「それは羨ましい限りです」


 ムンドはそう言って軽く笑う。

 そこにウェイターがトレイに乗せたワインをテーブルに置いていく。グインとムンドは軽くグラスをぶつけ、一口飲む。

 それを見たムンドが、身を乗り出し声を潜めて言う。

 

「ところで、アルミード氏のご息女について聞きましたかな?」

「シーナのことかね? ああ、知っているよ。なんでもチンピラに店を荒らされたとか。まったく可愛そうな娘だ」


 グインはさらにワインを煽り、悪びれず大声で笑う。ムンドは無表情のまま続ける。


「いえ、話はその続きです。その日以来、彼女は行方知れずとなっていまして」

「ふぅん? それがどうかしたのかね?」

「噂によると、自ら命を断ったとか……」


 その言葉に一瞬グインの動きが止まる。しかし、馬鹿らしいと一笑に付すと残るワインを一気に傾ける。


「そんなものただの噂だ! つまらないことを言わないで貰いたいな! ウエイター、次のワインを持って来い!」


 グインは厨房に向かって怒鳴るが返事はない。二度三度繰り返すが、返ってくるのは無音ばかりだった。いつの間にかバイオリンの演奏も止まり、響くのはグインの怒鳴り声だけだ。

 グインが痺れを切らし厨房に向かおうと立ち上がった時、店内の照明が一瞬で掻き消える。


「な、なんだ!?」


 シャンデリアからテーブルキャンドルまで全ての炎が消えた店内を照らすのは、窓から漏れる僅かな光だけだった。突然のことに動揺の声をあげるグイン。そして振り向くと同時に息を呑む。

 先程までそこに居たはずのムンドがいない。異様な状況に耐えようと、グインは怒鳴ることで恐怖を紛らわせる。


「おい、誰も居ないのか! 俺を誰だと思っているんだ!」


 闇に向かって投げつけられた言葉に、


『――グイン。私の大切なものを壊した男』


 静かな、しかし怒りを隠そうとしない声が答える。遠く、ここではない何処かから響くような声だった。

 グインの動きが止まる。声を発しようとしても息が溢れるだけで音にならない。冷や汗が全身を流れていく。


「お前は……シーナ……」


 なんとか言葉に出来たグインの前に現れたのはシーナだった。だが、それは顔や体つきが彼女に酷似しているからそう判断できるだけだ。誰が青白く透き通った体をしたものを知人と認められるだろうか。

 音もなくシーナはグインに近づく。それはまるで亡霊ゴーストのような――。


「あ、ああああああああああああああ!」


 恐慌を来たしたグインは叫び、出口に向かおうとする。しかし、それを妨害するように置かれた椅子に躓き床を這いずる。


『お前が、お前が俺の店を奪った!』


 怒りの声に顔を上げると、同じく青白い体の男がグインを睨みつけていた。声にならない悲鳴をあげ、グインは後ずさる。その前にさらに亡霊ゴーストが現れていく。


『俺の夢を潰したんだ!』

『私の明日を返して!』

『罪を認めろ悪党!』


 店を奪ってやったもの、渾身の酒を目の前で潰してやったもの、仕入れを拒否した腹いせに殴りつけたもの。罪を責め続ける者の顔は全て見覚えがある。昨日までは行きていたものまでが、己を詰る現実にグインの精神は限界一歩手前だった。

 そして、その最後の防波堤も崩れ落ちる。 


「お、まえ……は!」


 グインは限界まで目を見開き、目の前に立つ男の姿を見た。怒りの表情さえ浮かべず、無表情のままこちらを見下ろす若者。それと目が合う。


「……」


 若者は笑う。『こんなに日焼けしてしまったよ』というくらいに軽く、なんてことのない笑み。

 だが、グインにとっては恐怖でしか無かった。どうして、こんなことになって笑っている! と。


「あ、うわああああああああ! 私だ! 私が悪いんだ! だから許してくれ! 許してくれええええええ!」


 グインは亡霊ゴーストに許しを請うように額を床に何度も打ち付ける。その音に混じり、ドアから複数の足音が彼に近づいていた。


「グイン=ブライア」


 そう彼の名を呼んだのは亡霊ゴーストではなく、


「傷害、脅迫、器物破損。その罪を自供したものと判断し、拘束する」


 領主からの命令書を突きつけた憲兵だった。





「……上手くいった、でいいのか」

「勿論、アレなら仮に戻ってきても悪事をする元気も無いでしょう」


 憲兵に連行されるグインをアインとユウは見ていた。その場所はさっきまで彼が居た店内からだ。既に明かりは戻っている。

 一昨日から怠い肩を回すアインに声が掛けられる。


「きっと、彼は罪に怯え続けていたのでしょう。その恐怖から逃れ続けるために、さらに罪を重ねていたのかもしれません」


 哀れな人ですと悲しげに言ったのはシーナだ。勿論体は透けていないし、生身の熱を持った体だ。

 その肩をフードを被った少女が叩く。


「そうかもしれぬが、だとしても御主が気に病むことは無い。罪に罰が追いついただけじゃ」

「ツバキもありがとうございました。お陰で上手くいきました」

「なに、礼なら他の奴らにも言ってやれ。我は幻影を操っただけよ」


 ツバキが目をやった先には、ムンドやグインの前に現れた顔と同じ者たちが立っていた。

 アインが建てた計画は、亡霊ゴーストに怯えるグイン自らに罪を自供させるというものだった。

 そのためにアインはムンドに協力を仰ぎここまでおびき出してもらうように依頼し、グインの被害者たちを集めておいた。

 先程現れた亡霊ゴーストは、ツバキが作り出した幻影だ。幻をグインの前に出現させ、声は反響させ遠くから聞こえるように細工したのだ。幻だと気がつかれないために、彼のワインには薬を混ぜておいた。突然消えたムンドは、テーブルの下に隠れただけだ。

 後はグインの被害者たちを集め動揺を誘い、罪を認めさせ、呼んでおいた憲兵たちを突入させるだけでいい。


「ムンドさんもありがとうございました。店まで貸し切ってもらって……」


 アインはムンドたちに頭を下げて礼を述べる。


「良いんですよ。アインさんにはお世話になりましたし、彼には私も困っていましたから」

「そうだぜお嬢ちゃん。俺たちもすっきりしたぜ」

「ええ、これで恨みを晴らせた」

「奴に怯える必要はなくなった」

「グインの部下たちももっと堂々と仕事が出来るだろうよ」


 ムンドらは口々に言う。誰もが怒りが消えた晴れ晴れとした表情だった。


「……あれ?」


 そこでアインは不自然なことに気がつく。ムンドの前に現れた幻影はシーナを除き5人。しかし、ここに亡霊ゴースト役は4人しか居ない。居ないのは、怒りを見せず笑った若者だ。


「ツバキ、作った幻影は4人ですよね?」

「ん、当たり前じゃろ。ただの靄ならともかく、人のように動く幻影なぞ想像だけで作れるわけがあるまい」


 じゃあ、最後に現れた若者は一体――。

 ことん、と小さくテーブルが鳴る。振り向いた先には誰も居らず、代わりに酒が一瓶置かれていた。

 見覚えのあるそれに、アインは知らず息を飲んでいた。恐る恐る手を伸ばし、掴む。


『……なあ、アイン。それって』

『…………一昨日私が置いたものです』


 封が切られた瓶の中には酒の代わりに1枚の紙が入っていた。取り出したそれを広げる。流れるような字体で『酒ありがとう、美味かったよ』とだけ書かれていた。

 

「……」


 彼が何故亡霊ゴーストになったかはわからない。けれど、そうなったことすら在るが儘に受け入れた彼はグインを恨んではいなかったのだろう。

 アインは手紙をたたみ、ポケットにしまおうとして気がつく。肩の重さが嘘のように無くなっていた。


「疲れていた……のではなく、憑かれていたんでしょうか」


 あまり上手くないな。そう言ったユウを、アインは軽く叩いた。

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