第53話 毒を断つために
シーナの濡れた服を着替えさせたアインは、彼女をベッドに寝かせる。赤い顔で早く短い呼吸を繰り返す彼女を、アインは無言で見つめていた。
「あまり自分を責めるな。悪いって言うなら気がつかなかった俺も悪い」
悔しさに手を握りしめるアインにユウは言う。顔を俯かせる彼女は、
「……ありがとうございます。けど、あの惨状は私が原因であることには変わりありません」
目に焼き付けた光景は、脳裏に浮かべるまでもなく思い出すことが出来た。本当になんて酷いことを――。
「……っ、アイン、様?」
「シーナさん、大丈夫ですか?」
目を開けたシーナはゆっくりと上半身を起こす。頭痛がするのか頭を押さえて顔をしかめた。そして、辛そうに顔を俯かせるアインにすべてを察したのか、
「……やはり、夢ではないのですね」
静かに、しかし大雨の前兆のように沈んだ声をもらす。
「……殆どの酒樽がひっくり返されるか、泥を混ぜられていました。一階の材料に異常はありません」
それでも何があったかは伝えなければならない。これからどうするかを決めるのためにも。自分よりも彼女のほうが辛いに決まっているのだ、この位の苦しみは当然だ。
「全ては私の責任です。出来る償いがあるならさせてください」
重々しいアインの言葉にシーナは、
「そうですか……」
もうどうでもいい。そんな空虚さを感じさせる声だった。毅然とした態度を取り続けた彼女がそうなってしまったことに、アインは胸が締め付けられる。
それはユウも同じだ。それでも、何かできることを見つけるしか無い。自分にはそれしか出来ないのだから。
その思いから、ユウは声を借りて訊ねる。
「もう一度最初から造り治すことはできないんですか? 期日はまだ10日はありますし、材料も残っています」
「……そう、ですね。それは不可能ではありません」
「だったら――」
「ですが、駄目なんです。私では……酒が飲めない私では、一からの酒造りに耐えられないんです」
「……酒が、飲めない?」
馬鹿な、と言いかけてそれを飲み込む。酒屋の娘だから酒に強いと決っているわけではない。現に彼女がアインの前で酒を飲んでいたことなどなかった。ここ数日怠そうだったのも、疲れだけが原因ではなく試飲を続けたことも原因なのだろう。
そして、今こうして怠そうなのも浴びた酒で酔っているからだ。
「コップ半分も飲めないほどに、私は酒に弱いのです。味を確かめる時も、口に含むだけで留めていました。ですが、一から酒を造り期日に間に合わせるとなれば、その回数も増えます。それには……耐えられません……」
シーナはそう言ってシーツを強く握りしめる。無力な自分を呪うように、潰れてしまえばいいと言うように。
『酒の神に愛想を尽かされた女がよくもまぁ!』
グインが言っていたことはこのことだったのだ。だから、酒だけ潰して彼女には手を出さなかった。一から酒を造るには時間が足りないということがわかっていたから。
隠していたことを責めることは出来ない。出来るわけがない。その事実に打ちのめされてきたのは、誰よりもシーナ自身だ。だからこそ、感覚に頼れない分データを収集し補おうとしていたのだろう。
しかし、その努力は実を結ぶこと無く踏み潰されてしまった。その苦しみ、悔しさは想像すら出来ない。
「……申し訳ありません。少し、一人にさせてください」
震え気味の声で言うシーナに、アインは黙って頷くことしかできなかった。
部屋を出たアインは、事務所の扉に寄りかかって警備を行っていた。すぐに何か仕掛けてくる可能性もあるし、何より何もせずにいるのが辛かった。
彼女は、動きやすいようにいつもの格好に着替えてフードを被っている。その睨みを向けられた通行人が、そそくさと足早に通り過ぎていった。
その様子に不安を覚えたユウは訊ねる。
「……アイン、大丈夫か?」
「大丈夫です……今はへこたれている場合じゃありません」
「……グインの所へ乗り込む気か?」
冷静なことに安心した反面不安を覚えるユウ。彼女が冷静そうに見える時は、実は底冷えする怒りを湛えていることが多かったからだ。
アインは、少し間を開けて答える。
「……ユウさんが賛成するならすぐにでも」
「するわけない、ってわかってるよな?」
「ええ、勿論です。そうしたところで何の解決にもならない。ただ私の気が晴れるだけです」
「良かった、『吐くまで叩き続ければ解決ですね』とか言い出すかと思ってたよ」
「……ユウさんの中の私はどれだけバイオレンスなんですか」
冗談めかしたユウの言葉に、アインは失礼ですねと拗ね気味に答える。そして、小さく笑った。
「……ありがとうございます。そうですね、そうしないで済むように解決策を考えましょう」
「そうしよう。まずは、コンテスト用の酒をどうするかだな」
これを解決しないことには、グイン達をどうこうしても意味がない。とは言え、一番の難題でもあるのだが。
一番解決になりそうな手なのはアインの魔術なのだが、彼女は難しそうな表情で唇に手を当てる。
「酒に強くする魔術……無くはないでしょうが、酔わせないということは感覚を麻痺させるということでしょう。そうなると味もわからなくなる可能性が高いです」
「そもそも麻痺させるだけだと、魔術が解けた瞬間に酔いつぶれる可能性があるか?」
「あり得ますね。それじゃ意味がない……」
「アルコールを分解させる魔術……も駄目だな。酒の味が変わる」
「単純に酔わなくなる
「参ったな……」
魔術があればどんな問題も即解決とはならない。それは科学と変わらない点のようだ。
しかし、それを乗り越えてきたのが科学であるなら魔術だってそうであるはずだ。問題というのは、まったくの新技術や零からのひらめきから解決するのではなく、ちょっとした視点の変化から解決されるものだ。
まずは、基本から考えましょう。アインはそう言って続ける。
「そもそも酒に対する強弱は何処で決まるのか。グインは酒の神に愛想を尽かされたと言っていましたが、彼女を見限る神なんて役に立ちません。その線は無いでしょう」
「神様が実在するかはともかく、酒の強さは生まれつき決っている。確かアセトアルデヒドの分解力の違いだったかな」
「アセ……なんですって?」
「ええと……」
保険の授業で習った知識を思い出すユウ。
アルコールを摂取すると体内でアセトアルデヒドに分解される。さらに酵素がこのアセトアルデヒドを分解するのだが、その能力は個人差があり中にはまったく出来ない者もいる。そのため毒性が強いアセトアルデヒドが体内に残留し続け、結果強く酔ってしまう。
ユウの説明を聞いたアインは、興味深そうに何度も頷く。
「そうなんですか……ユウさんって実は医者だったんですか?」
「俺はしがない学生だ。これは一般常識の範囲だよ」
「随分進んでいるんですね。しかし、毒ですか」
「焼いて消えればそれでいいんだけどな。いや、酒やシーナを焼くわけにはいかないけど」
「……焼く?」
そう呟くとアインは考え込むように腕を組み、視線を空から地面へ、地面から空へと忙しなく彷徨わせる。答えにたどり着かない思考に焦れたように、指で上下させ続けていたが、
「それです!」
「あっ、おい!? 何処へ行くんだ!?」
アインは叫ぶと地面を蹴って走り出す。沈んでいた表情は、今は発見の予感に輝いていた。
「うわっ!?」
「すいません!」
ユウはぶつかりそうになった通行人に謝り、興奮気味に駆け続ける彼女に訊ねる。
「何処に行くかくらい教えてくれ! まさかグインの家を焼き討ちするわけじゃないよな!」
「宿屋です! 必要なものを取りに行きます!」
「必要って何の!?」
「シーナさんが酒を飲めるようになるために必要なものです!」
そう言ってアインは笑ってみせる。自信に溢れた、必ずやってくれると確信できる横顔だった。
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