第54話 炎よ、毒を断つ刃となれ
「シーナさん!」
アインはノックもせず、シーナが眠る部屋のドアを蹴破るように勢い良く開く。突然のことに横になっていたシーナは、酷く驚き体を跳ねさせる。
シーナは、ザックを抱え息を切らし肩で息をするアインに心配そうに言う。
「アイン様……? 何かあったんですか?」
「いえ……大丈夫です。ただ走り続けただけです……」
そう言ってアインは大きく深呼吸をして息を整える。そして、シーナに問う。
「シーナさん。もし貴方が人並みに酒が飲めるようになれば、コンテストに間に合わせることはできますか?」
「突然何を……」
「お願いします、答えてください。ただ酒が飲めないということだけが問題なら、それを解決できるかもしれないんです」
「……! 本当ですか!?」
シーナは身を乗り出し縋るようにアインを見る。その目は赤く腫れていた。頬にはうっすらと涙が溢れた跡が残っている。
守ることのできなかった後悔がアインを絞めつける。そうさせてしまったのは自分だと、俯きかけた顔を、
『アイン』
たった一言の呼びかけ。しかし深い信頼が込められた呼びかけに、アインはシーナの目を見つめ返し言う。
「絶対とは言えません。それでもやる価値はあると思います。今だけは……私を信じてください」
原因が被害者に対して信じろという傲慢な願い。それでも言わなければならない。彼女が咲かそうとした花の芽をこんなところで摘ませるわけにはいかないのだから。
「……間に合わせることは可能です。ですが、その前に聞かせてください。どうして私のためにそこまでするのですか?」
「……どうして?」
「はい。確かに依頼には失敗したと言える状況です。しかし、私は違約金を要求する気はありませんし、父もそうでしょう。それでも、これ以上関わると言うのですか?」
「……ええ、ここで去る気はありません」
「それは何故ですか? 貴方様に得はないはずです」
彼女の言うとおり、これ以上この件に関わってもアインに得るものはない。違約金を求めないと言っている以上、さっさと次の依頼に移るのが旅人としてあるべき姿だろう。
では、自分が関わろうとする理由は? 半ば勢いでここまで来てしまったが、言葉に出来る理由があるはずだ。
依頼に失敗した罪滅ぼし? それは否定しないが、全てではない。
悪を見逃せない正義感? 違う、そんな立派なものじゃない。
そんな大層な理由じゃない。もっと個人的でちっぽけな理由――これまでもそうだったように。
「ああ……なるほど。わかりました、どうしてここまでするのかが」
深くアインは頷き、言葉にすることが出来たそれをシーナに告げる。
「貴方はいい人です。そしてグインはムカつく悪人です。その悪意に貴方が晒され傷つけられていることが、私は我慢ならない。あんな奴がデカイ顔をしているという事実が気に入らない。だから、吠え面をかかせるためには協力を惜しみません。ただそれだけです」
「……」
要約すると『あいつは気に入らないからぶっ飛ばす』という宣言に、シーナは唖然とした表情でアインを眺めていた。
アインは言うことは言ったと黙り、シーナも開いた口が塞がらないままで声をだすことが出来ない。
もう少しオブラートに包むべきだったのでは、とユウが不安になった時、
「ふっ、ふふっ……」
シーナはおかしそうに笑う。眼鏡を外し溢れた涙を拭い、小さい息を吐く。そして、穏やかな表情で言った。
「アイン様は……理知的に動く方だと思っていましたが、意外と感情的な思考なのですね」
「そ、そんなことは……ない……はず……」
反論を試みるが、自分でも思い当たる節があったのか段々と小声になっていくアイン。友人を傷つけた敵を殴るためなら、超高価な宝石も使い捨てるのが彼女だ。
けれど、それは彼女の長所なのだろうとユウは思う。友人のために自分の資産を投げ捨てるなど簡単にできることではない。それを当たり前にやってのけるから、自分もラピスもツバキも彼女に惹かれ、そして危なっかしい彼女を放っておけないのだろう。
シーナは照れくさそうに顔を背けるアインに優しい目を送っていたが、表情を引き締めると頭を下げて言う。
「……アイン様、お願いします。例え夜空の星のように小さな可能性だとしても、私はそれに手を伸ばしたい」
自分の弱さを呪うシーナはもういない。ここにいるのは、運命に立ち向かうことを決心した彼女だ。
アインは頷く。彼女は信頼してくれた。後は自分次第だ。緊張する体を奮い立たせるように、彼女は頬を叩く。
「では、これから行う魔術について説明します」
そう言ってアインは抱えていたザックから箱を取り出す。その蓋を開けて現れたものに、シーナは怪訝そうに訊ねる。
「これは……ナイフ、でしょうか?」
「はい。宝石で刀身が作られたものです。刃はついてないので切れませんが」
アルカから報酬として受け取った宝石ナイフをアインは手に取る。炎を固めて形にしたような刀身は、鮮やかな赤の輝きを放っていた。
「これを利用して耐毒魔術をシーナさんに付与します」
「耐毒……? どういうことでしょうか?」
「酒に酔う原因は、アルコールを体内で分解した時に発生するアセトアルデヒドが原因です。そのアセトアルデヒドを分解する働きもあるのですが、シーナさんの場合その能力が零に近い。そのためすぐに酔ってしまうのでしょう」
すらすらと先ほどユウが説明したことをそのまま述べるアイン。シーナは、そんな彼女に尊敬の眼差しを向けていた。
「博識なのですね……己の無知が恥ずかしいです」
「いえ、そんな大したことじゃありませんから」
そりゃ受け売りだからな、と内心で呟くユウ。わかっていますと言うように鞘が叩かれた。
アインは咳払いをして続ける。
「そして、このナイフは炎と刃――つまり『毒を灼き、毒を断つ』という概念を持ちます。そこに耐毒魔術で付与してやれば、
「なるほど……魔術のことはわかりませんが、これを身につければ酔わずに済むということなのですね」
「そのはず……です」
アインが曖昧な物言いになったのは理由がある。
耐毒魔術と言っても、付与すれば毒がまったく効かなくなるという魔術ではない。ただ毒の効きが鈍くなる、治りが早くなると言った程度のものなのだ。
毒を即治癒する魔術も存在するが、そちらの場合はどれだけ毒に関する情報が揃っているかで効果に大きな差が出る。今回ので言うならアセトアルデヒドはアルコールから変化し、酔いを引き起こす程度の情報しか無い。
そのため、これからアインが行う魔術は、
「毒全般に対する魔術をこのナイフで無理矢理高めるという力押しです。効果は出るはずですが、それが何処までかは……」
不確かなことしか言えず尻込みするアイン。しかし、
「問題ありません。例えコップ1杯飲める程度でも大きな成果です」
何も疑うことなど無い。シーナの目はそう言っていた。
それならば、魔術師である自分が怯んでばかりはいられない。アインは弱音と不安を片隅に追いやり、代わりに赤い宝石の欠片をシーナに渡す。
「このナイフの欠片です。それを体内に取り込むことで、このナイフとの結びつきを強化します」
「飲めば良いのですね」
そう言うなりシーナは何も躊躇うこと無く宝石を口に運び、そして飲み込む。お願いします、と目で言う彼女にアインは頷く。
「始めます。これを首にかけて、手で握っていてください」
ナイフの雑に巻かれた紐の輪を首に通し、ナイフを握りしめるシーナ。それを確かめたアインは、その手に重ねるように自らの手を置く。
そして、ゆっくりと詠唱を始める。
「――赤の石に宿るは炎。それは不浄を灼き尽くす太陽の一滴。されど人を癒やす浄化の雫」
詠唱とともに魔力がナイフに流し込まれていく。赤い輝きが高まっていき、部屋が赤く染まっていく。
「――炎が形作るは刃。それは毒を断つ必滅の一閃。されど人を守りし強堅の証」
「……っ」
シーナは内側から焼かれるような錯覚に小さな声を上げる。だが、それだけだ。そのまま固く手にしたナイフを握り続ける。まるで、それが未来そのものだというように。
「――炎と刃が紡ぐは力。それは全ての不浄と毒を断つ力。その証を――今ここに!」
眩い輝きを放つナイフに最後の一押を送り込むアイン。瞬間、目が眩むほどの光が放たれる。赤い光が全てを覆い隠し、何も見えない。
その場に居る全員が目をつぶり、次に目を開けた時には部屋は何もなかったように静けさを取り戻していた。
「……成功、のはずです」
息を吐いた途端に吹き出した汗を拭いながらアインは言う。
ナイフは、シーナの胸元で淡いオレンジ色を放っていた。焚き火のように優しく暖かい光を放つそれを、シーナは大切そうに胸に抱きとめる。
「……何だか体が暖かい気がします。それに、体が楽になったようです」
「まだ気のせいかもしれません。実証してみましょう」
アインは慌ただしく部屋から飛び出す。足音が遠ざかっていき、そしてすぐに近づいてくる。
「お待たせしました」
部屋に戻ってきたアインの手には無事だった蜂蜜酒の瓶とグラスが握られていた。
「……」
グラスに注がれていく蜂蜜酒を神妙な顔で見続けるシーナ。鬼気迫る顔と言ってもいいかもしれない。
彼女の気持ちを考えればそうなるのは当然なのだが、その顔は酒屋の娘として――いや、酒を飲むときには相応しくない。
ユウは、声を借りて喋りかける。何ら気負うことなどないのだと言うように。
「シーナさん」
「なんでしょう?」
「お酒は楽しく呑みましょう」
その言葉にシーナは面食らったような顔をするが、
「……はいっ」
微笑むと固く握りしめていたグラスから力を抜き、一気にそれを傾ける。ごくごくと気持ちよく喉が鳴り、そしてグラスは空となる。
「……っはぁ」
「どう、ですか?」
不安げに訊ねるアイン。シーナは無言でグラスを彼女に向ける。
「シーナさん?」
「……もう一杯お願いします」
「は、はい」
アインが慌ててグラスに蜂蜜酒を注ぐと、シーナはすぐさまグラスを口に運ぶ。一息で飲み干すと、またもグラスを向ける。
「もう一杯」
「あ、あのシーナさん……」
シーナはアインに答えないまま3杯目を一気に飲み干す。グラスを膝においたまま俯く彼女だったが、その体がふらついた。
「シーナさん!」
アインは彼女の体を支える。駄目だったのか――。追いやっていた不安が蘇りかける。
しかし、シーナは、
「いえ、違うんです……もし酒が飲めたのなら……なってみたかったんです……ほろ酔い気分というものに」
ひたすらに楽しくて嬉しくて仕方ない。ろれつが怪しい言葉でも、それはわかった。そして、魔術が成功したのだということも。
「お疲れ。よくやったな……ああ、良かった……」
ユウは声に出してアインを労う。そうしてやるべきだと思ったのだ。
「はい……本当に……良かった」
しなだれかかるシーナを抱きとめるようにアインは彼女の背中を叩く。今日までよく頑張ったと労うように。
大きな問題は一つ解決した。だが、まだ懸念事項は残っている。彼女が酒を飲めるようになったとグインが知れば、また何か仕掛けてくるだろう。
けれど、それでも。
「輝かしい明日に……乾杯」
未来は明るいとそう言い切れる。
だから、グラスを掲げるシーナに答える言葉は決っている。
「輝かしい明日に!」
「乾杯!」
アインとユウはそう言って、シーナと顔を見合わせて笑いあった。
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