第50話 彼女の決意
「すまねえなアイン……病院まで運んでもらってよ」
「いえ、気にしないでください。それよりも、体の方は……」
「ああ、そうだな」
ベッドに横になったアルミードは、腰に巻かれたコルセットを忌々しそうに睨んで言う。
「しばらくは安静にしていろ。無理をすればすぐに再発する、酒は以ての外だとよ。ったく、こんなときに「魔女の一撃』を貰うなんてな」
魔女の一撃というのは俗称で、正確には急性腰痛症――所謂ぎっくり腰だ。それを知らなかったユウは、物々しい名称に酷い病気なのかと慌ててしまったが、そうと聞いて安心していた。
いや、それは違うか。確かに命に別状は無かったが、問題はこの先に残っているのだ。
空にいる神を睨むように天井を見上げるアルミードを見て、ユウはそう考える。
「動けない、酒は飲めないじゃコンテスト用の酒の調整が出来ねえな……。クソ、今年こそはと思っていたのによ」
「ですが、まだ2周間あります。それだけあれば、蜂蜜酒は作れるのでは?」
「確かに造るだけなら1週間あれば出来る。だが、旨い酒を作るには水やハーブを適宜加える必要がある。その加減は、俺じゃなきゃ出来ねえんだ。しかし、医者は10日間は安静にしていろと言う。どうやっても間に合わねえ」
「では、ここで造るというのは」
「出来るならそうしてぇがな。そんなことを医者が許すわけ無いだろうし、酒もこんな人で騒がしいところは嫌がっちまう。出来たとしても、俺が飲めないなら意味がねえ。……お前さん、酒造りの魔術でも知ってるか?」
無言で首を振るアイン。だよな、とアルミードは嘆息し、枕に頭をあずける。
「酒に詳しい奴がいればいいんだが……そう都合良くはいねえか……」
諦観の念がこもった呟きは、傍に座るアインに向けたものですら無い独り言だ。しかし、
「ここに居ます、お父さん」
それに答える声があった。アインとアルミードは、その声に向かって振り向く。
胸の前に大量のノートを持ったシーナが、ゆっくりと病室に入ってくる。アルミードが倒れた時は酷く動揺していた彼女だが、今は落ち着きを取り戻していた。
医者から説明を受けてから姿の見えなかった彼女が何処に居たのか訪ねようとするユウだったが、アルミードの驚愕した声に遮られる。
「ここに居るって……まさか、お前が酒の調整をするっていうのか!?」
「はい。他人のコンテストに協力する同業者なんて居ないでしょうし、私ならお父さんの酒はよく知っています」
「だが、お前は……」
「……確かに、私は未熟――いえ、それ以下かもしれません」
目を伏せるシーナ。だが、アルミードを見据える瞳には強い決意が宿っていた。彼女は、持っていたノートの一冊をアルミードに渡す。
受け取ったアルミードは、頁をめくっていきその度に目を丸くする。
「これは……俺の酒のデータか?」
「はい。酒の種類、使った蜂蜜、加減した水の量、ハーブの量、その日の天気、室温と湿度、混ぜ合わせた時の味、その量。考える限りのことは記録してあります」
姿が見えなかったのはこれを取りに戻っていたのか、と納得するユウ。細かい記録をつけない父に代わって行っていたのだろう。
「いつの間にこんなことを……」
「6年前のあの日からです」
そう言うシーナの表情は変わらない。しかし、自分の翼はただの飾りだったことに気がついた鳥が哭いているような悲しい響きがあった。
その言葉にアルミードは、
「……そうか」
重い口調で言うと、閉じたノートをシーナに返す。一瞬硬直し、鈍い動きでノートを受け取った彼女に、
「わかった。全部お前に任せる。あの酒も気に入らなかったら捨てて自分で造っても構わんぞ」
そう言ってアルミードは笑う。ここに運ばれる前と同じ豪快な笑い声に、シーナは力強く頷き、
「もう……周りの患者に迷惑よ」
冗談っぽく言って微笑む。そうだったな、とアルミードは言って目元を拭った。その声は、どこか上ずった鼻声だった。
「ええと……」
その様子から、家族同士でしかわからない出来事が過去にあったのだろうと察すことは出来るが、それ以上のことは出来ずアインは二人を交互に見やり、内心で呟く。
『私達、邪魔ですかね……?』
『かもな。ここは帰ったほうが良さそうだ』
部外者が何時までも居ても仕方ない。当初の目的は果たしたし、折を見て見舞いに来よう。
そうアインとユウが結論を出した時、
「アイン、ちょっと追加で依頼してもいいか?」
少し躊躇いながらアルミードはそう言った。
「いらっしゃいませ。ご用件は何でしょうか」
事務所に入ってきた客にお辞儀をする女性。それはシーナではなく、
「おや、シーナお嬢さんはお休みかな」
「はい、アルミードさんが入院中のため、今は蜂蜜酒の管理を行っています。私は受付代理のアイン=ナットと申します」
いつもの旅着から白いブラウスとタイトスカートに着替えたアインだった。唇には薄く口紅が塗られ、少し大人っぽい雰囲気を纏っている。表情は硬いが、客である紳士風の男性は特に気にした様子もなく、むしろ微笑ましげだった。
「若いのに立派なことだ。要件は、蜂蜜酒をお願いしたい。ギルバートからと言えばそれで伝わるよ」
「了解しました。そのようにお伝えします」
「では、頼んだよ」
紳士は優雅に一礼すると、事務所から去っていく。ドアが閉じるまでお辞儀をしていたアインは、大きく息を吐くと椅子に腰を下ろす。
「はぁ……緊張しました……」
「けど、ちゃんとらしくなってたぞ。やれば出来るじゃないか」
「ありがとうございます……ユウさんが喋ってくれるお陰です」
そう言ってアインは、もう一度大きな溜息をつく。
アルミードの依頼は、シーナが担当している受付を代理して欲しいというものだった。今から信頼できる人間を探すのは時間が惜しいというのは理由だ。
コミュ障のアインにとってはワイバーン退治よりも難易度の高い依頼で、当然彼女は断ろうとした。
しかし、アルミードのみならずシーナからも頭を下げて懇願されては、流石に『人と喋るのが嫌なので無理です』と断るのはバツが悪かった。物欲的な面でも、多額の報酬を支払ってくれた彼と良い関係を築くのは大きなメリットとなる。
我儘と人情を秤にかけた結果は、現在のとおりである。
「しかし、こういう服はちょっと落ち着きませんね」
アインはスカートの端を摘みながら言う。腰には服装に不釣り合いな剣――ユウが吊られていた。
服を用意したシーナからは外すように言われたのだが、会話においての生命線である彼を手放すわけにはいかず、親の形見で片時も離すという遺言を受けているという嘘までついて要求し続けた。その必死さが通じたのか、カウンターに居る時ならと妥協案が通ったのだった。
「うん……まあ、そうだな」
そして、落ち着かないのはユウも同じだった。
普段のアインは、飾り気のないシャツとズボンという動きやすく露出のない格好だ。しかし、今はスカートを履いており綺麗な生足を晒している。普段は隠されているそれを見ていると、妙な背徳感というか悪いことをしているような気になる。
とは言え、つい目で追ってしまうのは男の性というか。その視線に気がついていないアインは大きく伸びをして時計を見る。時刻は12時を過ぎたところだった。
「そろそろお昼にしましょうか。シーナさんも、朝からずっと酒造所にこもっていますし休憩してもらいましょう」
「そうだな。かなり根を詰めていたようだし、切り替えるには良い時間だ」
「お昼は何を食べましょうか。経費扱いなので好きなものが食べられますよ」
「お前は奢りの食事だと本当に機嫌が良くなるな……」
そんな会話をしつつ、二人は隣に建てられた酒造所に向かう。
酒造所のドアを開けると、蜂蜜の甘い匂いに混じってハーブの爽やかな香りが漂っていた。ここは材料と成る蜂蜜やハーブ、水が保管されており、酒造は地下で行わている。
「シーナさん、そろそろお昼にしませんか」
ユウは、壁に備えられた伝声管に喋りかける。地下までパイプが繋がっており、それによって声を届ける仕組みだ。しかし、声は届いたはずだが返事はない。
「シーナさん、どうしました?」
再び呼びかけるが返事は無い。余程集中しているのだろうか。それならば、邪魔するのも悪いかもしれない。
これで答えなかったら最後にしよう。そう考え、ユウは呼びかける。
「シーナさん、先に昼食を取らせてもらいます。何か食べたいものがあれば買ってきますよ」
返事は無く、空気が鳴る音が返ってくるだけだった。
雇い主より先に昼食を取るのは後ろ髪を引かれるが、昼食は好きなタイミングで取って良いとも言われている。何より、慣れないことをしたせいで空腹なのは事実だ。シーナを待っていては、空腹は限界に達するだろう。ならば、遠慮することもない。
結論を出したアインは、酒造所を後にする。
「昼食はサンドイッチにしましょう。それならシーナさんも食べられます」
「ちゃんと考えてるんだな、偉いぞ」
「……そんなことで褒められるのは、逆に馬鹿にされているような気がします」
気のせいだよ、と笑うユウ。アインは疑わしげな表情だったが、空腹が勝ったのか追求することもなく、パン屋に歩を進めていった。
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