第49話 魔女の一撃

昼下がりの大通りをアインは歩いていた。普段であれば固い足音を響かせる石畳も、今日はワントーン高い音を出している気がした。もちろん気がするだけで、そんなわけはないのだが。

 そんな気にさせる原因は、これから向かう先にあった。アインは、立ち止まると目の前の店に掲げられた看板を見上げる。グッドミード、そこにはそう書かれていた。

 特別な蜂蜜酒を作るために妖精蜜ニンフハニーを依頼した店だ。彼女がここを訪れたのは、伝えられた完成予定日になったためだった。


「報酬、楽しみですね。何を買いましょうか」

「使うことだけじゃなくて貯めることは考えないのか?」

「それは後で考えますよ。今は達成感に浸りましょう」


 機嫌良さそうにアインは言って、赤煉瓦製の酒造所の隣に立つ小さな事務所のドアを引く。外観通り小じんまりとした受付に居たのは、アルミードではなく黒髪の女性だった。

 

「いらっしゃいませ。ご用件は何でしょうか」


 こちらに気がついた女性は真っすぐ伸ばした背筋を二つに折る。測られたように綺麗なお辞儀に、切り揃えられた髪がゆっくりと揺れた。

 見知らぬ女性が居たことに動揺しつつも、アインは軽く頭を下げる。ユウは、アインに代わって答えた。


「私はアイン=ナット。妖精蜜ニンフハニーの報酬の受取りに来ました。アルミードさんにそう伝えてもらえばわかります」

「アイン=ナット……?」


 アインの名を聞いた女性は目を瞬かせる。


「私の名前が何か?」

「いえ、父から依頼を達成したのは少女と聞いていましたが、予想よりも年若かったので。失礼しました」

「ああいえ、気にしてませんから。というか、父? ひょっとして、父というのは……」

「ええ、そうです。私はアルミードの娘、シーナと申します」


 アインは、思わず溢れかけた声を手で塞ぐ。それはユウも同じだった。

 豪快で大柄な頑固親父といった風体のアルミードと、楚々とした態度がよく似合うシーナが親子と言われれば流石に驚く。誰が並んだ二人を見て親子と判断できようか。

 母親似なのかなとユウが考えていると、シーナは受付横のドアを示して言う。


「今、父を呼んできますのでそちらでお待ち下さい。それと」


 シーナは言葉を区切り、じっとアインを見つめる。何か気分を害してしまったかと怯む彼女に、シーナは続ける。


妖精蜜ニンフハニーの件はありがとうございました。父も良い酒が出来たと喜んでいました。私からもお礼を言わせてください」


 深々と頭を下げ感謝を示すシーナ。アインはぽかんとそれを眺めていたが、遅まきながらその意味に気がつき、


「あ、ありがとう……」


 相変わらず感謝されるのには慣れていないのか、ぶっきらぼうにそう答えた。

 




「いやぁよく来たなアイン! すごいなお前は! 本当に助かったぜ!」

「ど、どうも……」

「思った通り妖精蜜ニンフハニーを使った蜂蜜酒は最高だ! ああ、蜂蜜じゃないから妖精酒って言うべきか? まあ、何にせよ美味いことには変わりないけどな!」

「は、はは……」


 休憩室でアルミードと顔を合わせるのは2回目だったが、あの時と同じく大きな彼の声がアインの鼓膜を震わせる。

 先程と同じく感謝の言葉を掛けられているのだが、照れるよりも声量に引いてしまっているのか、アインは肩を丸めて縮こまっていた。


「お父さん、アイン様が困っています。本題に入るべきです」


 アルミードとは対象的な静かな声で、彼の隣に座るシーナは言う。そんな彼女を、改めてユウは観察する。

 少女と女性のハイブリッドな雰囲気を纏っていたラピスよりも大人びた雰囲気ということから、年齢は20歳程度。眼鏡のレンズの奥にある目は若干キツく、意思の強さを感じさせる。整然とした姿勢は、几帳面さの現れだろうか。

 アイン曰く、レンズを作るのは熟練の職人か魔術師にしか出来ないため高価になりがちなのだという。それを掛けていることは、彼女が愛されているという証左だろう。


「おっといけねえ。報酬の話だったな。かなり儲けさせてもらったからな。20万リル、それに加えて妖精酒でいいか?」


 盗賊退治の2倍以上の報酬にユウは驚く。やったことと言えば森を散歩したくらいなのに、そんなに受け取っても良いのだろうか。

 思わず言葉を失った彼の代わり、アインは満足げに頷く。


「はい、十分です」


 答えるアインに遠慮や躊躇いというものはない。貰えるなら貰うというポリシーを貫く姿勢は、小市民的な金銭感覚のユウには少し羨ましかった。

 アルミードは嬉しげに手を叩き、


「おし、交渉成立だな。チェックの使い方は知ってるか?」

「ええ、何度か経験があります」

「へえ、流石だな。それだけデカイ仕事をやってきたってとこか」


 二人が会話する横で、シーナは取り出した横長の紙に金額とサインを書き込んでいた。それについてユウは訊ねる。


『あれは?』

小切手チェックです。あれを銀行に持っていくとその分のお金と交換してくれるんですよ』

『……銀行あったのか、この街』

『都市なら大抵ありますよ。もっとも、地元商人以外が使うことは少ないですけどね』

『ここで預けて、他の街で引き落としは出来ないのか?』

『大抵は領主が行っている事業なので、領地外だと出来ません。なので、流れ者は高額貨幣や宝石を持ち歩く者が大半です』

『なるほどな。まあ、お前は趣味半分だろうが』

『失礼な。何を根拠にそんなことを言うんですか』

『寝る前に宝石眺めてニヤニヤする奴が言うことか?』

『あれは! 宝石の状態を確かめるという魔術師には必須の作業で!』

「アイン様?」


 アインとユウが声に出さないやり取りを行っている間に、シーナは小切手チェックを書き終えていた。差し出されたそれを、アインは咳払いして受け取る。


「では、これで失礼――」


 目的を果たしたアインが椅子から立ち上がろうとした時、アルミードはそう言えばと、


「お前さん、ヴァッサで開かれるコンテストは知ってるか?」


 そう訊ねる。アインは首を横に振った。


「そうか。ヴァッサはここから近い山の麓にある街なんだが、そこでは毎年酒のコンテストをやってるんだ。酒に興味があるなら行ってみるといい」

「ということは、アルミードさんも参加するんですか?」

「勿論よ。去年は優勝こそできなかったが、3位までは行ったんだぜ」


 自慢じゃないがな。そう言ってアルミードは豪快に笑う。そんな父親をシーナは呆れ気味に、しかし誇らしげな目で見ていた。

 笑い終えたアルミードは、アインに向かって不敵な笑みを浮かべて言う。


「だが、今年は違う。あんたが手に入れてくれた妖精蜜ニンフハニーのお陰で最高のものが出来そうだ。当日まで2週間もあるし、今年の優勝は頂きだな!」


 酔っ払っているのではと疑うほどにアルミードは陽気な笑い声を上げる。天井を見上げるほどに背中を反らしながら笑う彼だったが、


「――ぐうううううっ!?」


 突如腰を押さえ膝から崩れ落ちる。巨体はそのまま前のめりに倒れ、テーブルに這いつくばる体は支えることが出来ずずるずると滑り落ちていく。床に蹲るアルミードは、声もあげることが出来ず脂汗を額に浮かべていた。


「お父さん!? どうしたの!?」


 シーナの呼びかけにもアルミードは呻き声をあげるのが精一杯だった。必死に呼びかけながら肩を揺する彼女の手をアインは止める。


「いけません! これは『魔女の一撃』です! 安静にさせないと……」


 沈痛な表情で告げるアインに、シーナは顔色を無くす。


「そんな……どうして……!」


 無力感にシーナは顔を俯かせる。その顔は絶望という鋸に撫でられたように歪んでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る