第48話 異文化食談義

「美味いものが食べたい」


 ベッドに寝転がり天井を見上げるツバキは、唐突にそんなことを言い出した。


「なんですか急に」


 対面のベッドに腰掛け本を読んでいたアインは、頁をめくる手を止めて訊ねる。

 先日のラピスとの一件もあり、アインとツバキは二人部屋に拠点を移していた。同じベッドで語り合ってそのまま寝てしまったり、寝ぼけて間違えたりするので改善されたとは言い難いが。

 ツバキは、寝転んだまま顔をアインに向けて言う。


「パンとパスタもいいんじゃが、こう……未体験の味が欲しいのじゃよ。米を食べていた身としては、それらに飽きてきたのじゃ」


 要は旅行先の食事に飽きてきたということらしい。それはともかく、気になる単語があった。


「ツバキって米を食べる国出身だったのか。和風っぽいとは思ってたけど」

「うん? ユウもそうだったのかえ?」

「ここに来るまではな。日本ってところで暮らしていた」

「ニホン……。ふむ、聞き覚えはないのう」


 もしかしたら、という淡い希望だったが、そう上手くはいかないか。まあ、仮にこの世界に日本があったとしても、自分が知っている日本とは別物なのだろうが。

 その流れでアインも浮かんだ疑問をぶつける。 


「そういえば、ツバキって何処から来たんですか?」

「ここから東の隠れ里よ。あちこちにフクスが休める拠点が作られておる。もっとも、人払いの結界があるゆえ人間にはただの森に見えるがな」

「へえ、そこでの食事はどんなものだったんですか?」


 興味深そうに訊ねるアイン。そうじゃのう、とツバキは答える。


「米の他にはうどんや蕎麦が主食じゃったな」

「ウドン……って何ですか? それに蕎麦が主食って、ガレットも食べていたんですか?」

「うどんは小麦粉を練って作った太い麺で、つゆ――スープにつけて食べる料理。蕎麦はそば粉で作った麺だな」

「ふむ、こちらでのパスタみたいなものでしょうか」

「そんな感じだ。けど、なんだかんだ一番多く食べてたのは米だったかな」

「じゃな。一番身近で手頃なものは米じゃった」


 ユウの言葉にツバキも頷く。現代日本では米離れと言われていたが、こちらでは主食の座を守り続けているようだ。

 唯一麦文化で暮らしてきたアインは、腕を組んで小さく唸っていた。


「米の食事……と言われてもピンときませんね。そんなに美味しいものなんですか?」

「美味いぞ。とくにスシ。あれは最高じゃった……」

「スシか……回転寿司でも十分に美味かったな……」


 その味を思い出し、ユウは郷愁にひたる。

 元いた世界への未練こそ薄まっていたが、懐かしさを覚えることは未だにある。ただ、それ以上に第2の生というべき状況を楽しんでいるため、不満は無い。信頼できるパートナーが居るというのは、想像よりも心地よかった。

 そんなユウを知ってか知らずか、アインは輝いた目を彼に向けて訊ねる。


「そんなにスシとは美味しいんですか。それは、どんな料理なのですか?」

「ええと……酢を混ぜて炊いた米――酢飯の小さな塊の上に魚介類が載っているんだ」

「ほう、魚介類。サーモンのムニエルは私も好きですよ。それで、スシはどのように調理するんですか?」


 うんうんと頷くアイン。彼女にとって、魚とは焼くか揚げるか――つまりは火を通すものというのが常識だ。

 しかし、日本で暮らしてきたユウはそうではない。なんてことのないように、彼は続ける。


「え、それで完成だけど」

「……うん? それでは、生魚を米の上に載せただけではないですか」

「いや、そういう料理だし。まあ、簡単そうに見えて難しいらしいけど」

「…………はっ? いやいやユウさん、私をからかってますよね。魚を生で食べるなんてそんな」


 アインは、引きつった笑みを浮かべてツバキを見るが、


「食べるぞ、生で」


 あっさりと肯定され、アインは信じ難いものを見る目をユウとツバキに向ける。『実は私たち土を食べて生きているんです』と告白されたら、こんな顔になるだろうか。

 このまま勘違いさせておくのも面白そうだが、生まれ故郷の食文化を歪んだ目で見られるのも居心地が悪い。ユウは、カルチャーショックに頭を抱えるアインに言う。


「食べるたって、釣って数日経ったような魚じゃないぞ。釣ったばかりの新鮮なやつだ」


 もっとも現代日本ではそうとも限らないのだが。話がややこしくなるのでそれは伝えない。

 ツバキも、誤解されっぱなしは困ると思ったのか、ユウに続く。


「魚だけでは生臭い。食べるには醤油が欠かせぬよ」

「ショーユ……ああ、それは何処かで聞いたことがあります。真っ黒でしょっぱい調味料だと」

「それを掛けると生臭さが消えて食べやすくなるんだ。通ぶってる奴はつけないらしいけど」

「なるほど……スシ……米は用意できませんが、魚だけなら……」

「言っておくけど、スシに出来るのは基本的に海のものだけだぞ。川魚でやるのはやめておけ」

「……そうなんですか」


 はぁ、と残念そうに溜息をつくアイン。

 異文化交流においては食への理解を示すことがかなり重要とは言え、この手のひら返しっぷりは流石というか。

 ユウが半ば呆れていると、


「ってそうじゃない。スシの美味さを語った所でスシが現れるわけではあるまい。未体験の味が欲しいというのじゃ」


 元の話を思い出したツバキがずいっと身を乗り出す。だが、アインの反応は芳しくない。


「そう言われても……この街の殆どの食堂は行きましたし、自分で作るしか無いのでは?」

「ぐぬぬ……ユウ! 御主なら珍しい食事の一つや二つ知っておらんか!」

「無茶を言う……。珍しいだけならともかく、ここで作れる食事なんてあったかな」


 ユウが慣れ親しんだ味といえば、和食が中心だがアインの様子では醤油も味噌も無さそうだ。その二つ無しで味を再現するのは困難だろう。

 そうなると、パスタかパンを使ったものになるわけだが、食事経験こそあれど調理方法まで知っているものは殆ど無い。今まで作ったパスタ料理と言えば――。


「ナポリタンくらいかぁ?」


 ユウは、当たり前のように食べていたそれを呟く。彼にとっては珍しくもなんともない料理だったが、


「なぽりたん?」

「何ですかそれ?」


 アインとツバキは、揃って首を傾げた。




 細長い麺を赤く染めるのはミートソースではなく、真っ赤なトマトケチャップ。食感と彩りにアクセントを加えるのは、玉ねぎとピーマン。肉の代わりに入れられたウインナーは、タコのように脚を広げている。


「ほう……これが」

「ナポリタン、ですか」


 フォークを握るアインとツバキは、テーブルに置かれた湯気立つ大皿を前に興味津々とそれを眺めていた。 

 ケチャップを使ったナポリタンは、ナポリ発祥ではなく日本で開発されたという。つまり、西洋文化に近いこの世界では存在しない味のはず。それを思い出したユウが、宿のシェフにオーダーしたのだ。

 パスタをケチャップで和え、フライパンで炒めるという工程を聞いたシェフは目を丸くしていたが、時折横から口を挟みながら作られたそれは、見事な出来栄えとなった。


「では……頂くとしようか」

「はい……」


 真剣な眼差しで二人は言うと、それぞれの取り皿にナポリタンを取り分けていく。そして、フォークに巻いたそれを口に運んだ。

 味わうように咀嚼した二人は、 


「……むぅ」

「……これは」


 それだけ言って再びフォークに巻いたナポリタンを口に運ぶ。口の中のものを飲み込めば、すぐさまフォークを赤の山に突き刺し巻きとる。

 それを短時間の内に何度も繰り返す。その間はまったくの無言で、


「――美味かった!」

「美味しいですね!」


 そう言ったのは、大皿が空になってからだった。ケチャップで汚れた口元を拭う二人は、満足感に溢れた笑顔を浮かべていた。


「口にあったようで何よりだ」


 ほっと安堵するユウ。自分が作ったわけではないが、慣れ親しんだ味を認められるのは嬉しかった。

 

「これは良い、実に良い。甘いケチャップがパスタと絡んで……こう、すごい」

「ウインナーの旨味と野菜の美味しさが……なんというか、つよい」

「あとこのウインナーも可愛いですね。ええ、可愛いです」


 語彙力を無くされるのは、流石に苦笑するしか無いが。ただ、ユウは胸の奥で暖かいものを感じていた。

 食事は人を笑顔にする。食事は摂れなくなったこの体だが、


「ユウさん、他には知りませんか? これ以外に何かありますよね?」

「出し惜しみせず教えるのじゃ」

「デザート系だと尚良しです」


 こういう形でも笑顔にすることは出来るのだな。迫る二人を前に、そう思った。

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