第43話 甘い蜜に誘われて

妖精の目撃情報があった場所は、街の西部に位置する森林地帯だった。街道からはさほど離れておらず、薪拾いに訪れる農民や獲物を求める狩猟者も出入りする浅いところだ。

 しかし、今の森にはそれ以外の人の姿も見られる。年季の入った外套を纏った者、覚束ない足取りで木の根に躓く者。彼らは、普段から森に出入りしている者ではないだろう。

 

「私達以外にも妖精を探しに来ている者がいるようですね」


 アインは、めんどくさそうな顔でそう言った。静かな場所で過ごせると思ったのに、という不満が読み取れる。


「みたいだな。急がなくていいのか?」


 目の前では若い男が音を立てながら草をかき分け、別の男は木に登っては樹洞を覗いていた。どうやら複数人で探索しているようだが、こちらは実質一人だ。素人相手とは言え、万が一ということもあるのでは。

 ユウの心配にアインは、


「平気ですよ。それくらいで見つかるなら苦労はしません」


 そう言って、騒がしいそこから背を向け離れていく。喧騒を背にしながら、折りたたまれた依頼書を取り出した。


「納品希望には、ここらで採取できるものも多いですね。そちらを進めましょう」

「一気に片付けるのはいいけど『二兎を追う者は一兎をも得ず』にならないか?」

「問題ありません。そもそも妖精は追って捕まえられるものでもないですし」

「ならいいけど」

「むっ」


 アインは枯れ木を乗り越えようとし、不意にその場にしゃがみ込む。その視線の先には茶色いきのこが生えていた。『きのこ』と言われれば誰もが思い浮かぶ、柄の先に傘が広がる形のものだ。


「それは?」

「イータケですね。食用になりますし、とっておきましょう」

「……本当に大丈夫なのか?」


 見た目は椎茸っぽいイータケだが、自分が知っているそれと同じとは限らない。食用かと思ったら猛毒だった、なんてことはよくある話だ。目の前でパートナーがそんな目に合うのは遠慮したい。

 心配性ですね、とアインは何処か嬉しそうに言って、


「そんなに言うなら確かめますけど」


 枯れ木からちぎったイータケの端を小さく齧る。僅かに咀嚼し、すぐに吐き出す。

 そのリアクションに思わずユウは、


「おい、大丈夫か!?」

「平気ですって。毒味しましたが、痺れるような味も苦さもしませんでした」


 そう言ってアインは、ザックから取り出した小袋にイータケを詰めていく。

 無事だったことに胸をなでおろすユウだったが、ふと疑問が浮かんだ。


「アインってインドア型なのに、なんで野外知識が豊富なんだ?」


 本で読んだから、が一番単純な答えだろうが、本で得た知識と実際に体験した知識は別物だ。さっきの毒味も手慣れているようだったし、実体験に基づく知識を保持しているように思える。

 

「ああ、それですか」


 アインは立ち上がり、次の枯れ木に移動する。そこに生えていたイータケをちぎりつつ、答える。


「故郷のお姉さんが教えてくれたんですよ。鉱石を探すには山に入ることも多いですし、役立つだろうからって」

「へえ、どんな人なんだ?」

「うーん……基本的には子どもっぽい人でした。よく笑って、よく泣いて……年齢はわかりませんが、私が小さい時からずっとそんなでした」

「ふぅん。けど、基本的にはって?」

「たまに、人が変わったような時があるんです。運動音痴を自称しているのに木刀だけで10人を伸したり、妙な高笑いをしたり」

「……それはまた」


 変人というか、なんというか。アインがこうなった理由の一端を見たような気がする。

 アインは、じとっとした目をユウに向ける。


「失礼なこと考えていませんか?」

「いや、別に。類友とか思っていないぞ」

「思ってるじゃないですか! やめてくださいよ熊の心臓を素手で抉り出す人と一緒にしないでください!」

「……えっ、なにそれ」


 二人は、そんな会話をしながら森を進んでいく。きのこに薬草、果実を見つける度にアインはザックに放り込む。ユウがそれについて訊ね、アインが答えるというのが定形となっていく。

 そうしている内にかなりの範囲を歩き回り、時間も経過していたが妖精の姿は見当たらない。しかし、アインの顔には焦燥感も徒労感も浮かんではいなかった。


「このハーブは、スッキリとした匂いで料理や酒にも使われる人気の種なんですが、栽培は許可されてないんです。どうしてわかりますか?」

「んー、毒性が強くて素人には危険とか」

「当たらずとも遠からずですね。答えは、繁殖力が超強いからです。うっかり畑に種を蒔こうものなら、数日の内に根を広げて栄養を根こそぎ奪います。なので、嫌がらせには最適ですね」

「犯罪を推奨するな」

「おや、よくご存知で。これを畑に蒔くのは放火並の罪とされることもあるんですよ」

「本当に犯罪なのか……」


 何かを見つける度に疑問を口にし、答えに驚いたり呆れたりと反応を返してくれるユウがいるためだった。結構な教えたがりなアインだが、その機会に乏しい彼女にとっては絶好の相手なのだ。

 ともあれ、徒労感は溜まらずとも疲労感は溜まっていく。アインは歩みを止めると、虫や動物の巣がないことを確認し、木の幹に体を預ける。そして、大きく伸びとともに欠伸を零した。


「そろそろ休憩しますか……ユウさん、目覚ましは任せました」

「ん、わかった」

「起こすタイミングは、傍に近づいた時です」

「傍に……? どういう」


 意味だ、と続けようとするユウだったが、それを飲み込む。既に小さな寝息を聞こえていたからだ。

 妙な起こし方を指示されたが、それまでどうしていようか。ユウは、ふらふらと視線を彷徨わせていたが、


「……すぅ」


 形の良い唇は時折心地よさ気な吐息をこぼし、普段は緊張で固い表情も今はリラックスしきっていた。フードからはみ出した銀髪が、木漏れ日を受けて淡いきらめきを返す。

 ユウは、ぼんやりとアインを眺め続ける。この場で一番綺麗なものが、そうだったからだ。


「……そう言ったらどんな反応するかな」


 自分だったら、ツバキだったら、ラピスだったら。様々なパターンを考え、その結果に含み笑いがこぼれる。

 そんなことを知らないアインは、気持ちよさそうに寝息を立てていた。




 誰かに名前を呼ばれた。

 ぼんやりとした頭でアインはそう考え、気のせいだと再び寝に入る。体はふわふわした感覚に包まれており、気持ちが良かったからだ。


「――イン。起きなさい」


 またしても名前を呼ばれた気がする。聞き覚えのある声だった。

 しかし、それでもアインは目を開けない。十分な睡眠を満たしていないと体が言っている。言っているのだから仕方ない。

 声に構わず惰眠を貪ろうとするアインだったが、


「アイン。起きなさい」


 はっきりと名前が呼ばれた。そして、その声の主が誰かに気がつき、息が止まる。

 跳ね上がる体を抑え、慌てて目を開けるアインの前には、


「ラピ……ス……」

「ああやっと起きた。本当にねぼすけね」


 そう言って笑うラピスの顔があった。少し突き出せば鼻頭が触れ合いそうな距離に、息だけでなく心臓まで止まりそうだった。

 触れなくてもわかるくらいにうるさい心臓に邪魔されながらも、アインは言う。


「どうして、ここに……仕事は終わったんですか?」

「終わってないけど……アインの顔が見たくなっちゃって」


 そう言ってラピスは、頬を染めはにかんだ笑みを浮かべる。対峙するアインは、


「そう……ですか……」 


 くらくらする頭を押さえ、そう言うので精一杯だった。頬だけでなく、体が熱い。風邪を引いたように熱い体は、そのまま浮き上がってしまうのではと心配になってくる。地に足がついてる気がしなかった。

 そんなアインに、ラピスは不安そうな顔をする。


「アイン、どうしたの? 熱いの?」

「はい……なんだか……熱くてふわふわします……」

「だったら、泉に行きましょう? 冷たいからすっきりするわよ」


 アインは、差し出された手を握って立ち上がるとそのままラピスに引っ張られていく。手に絡まる細い指、時折振り返っては微笑む彼女に心臓が休まる暇がない。

 熱を増していく体に限界を覚えたアインが、手を離すよう言いかけたとき、


「ここよ」


 見計らったように泉に到着した。その景色に、アインは思わず息を呑む。

 水は底が見えるほど透明で清らかさに溢れ、水底には鮮やかな宝石が砂のように敷き詰められている。木漏れ日を浴びる水面は、宝石の照り返しで万華鏡のように複雑な輝きを放っていた。

 この世のものとは思えない美しさとは、こういったものを言うのではないだろうか。言葉を失ったアインは、ただ眼前の風景だけを見ていた。


「綺麗でしょ? でも、アインほどじゃないかな」

「はい……ってラピス!? 何を言って……!」


 アインの顔を覗き込み、意味深に微笑むラピス。アインの思考は、煮詰められたミートソースのように熱くぐちゃぐちゃになっていた。

 何か変だ。何が、とは指摘できないがとにかくおかしい。それがわかるのに――おかしさの原因がわからない。不自然と思いながらも、心の片隅では当たり前だと受け入れてしまっている。

 それはまるで――。


「さて、水浴びしましょうか」


 ラピスの声に思考が途切れる。だが、そうだ。まずは頭を冷やそう。考えるのはそれからだ。

 

「あら、駄目よアイン。そのままじゃ」


 一歩踏み出そうとしたアインは、何故と訊ねようとし――目を疑う。


「服を着たまま水浴びする気?」


 ラピスは、笑いながら言ってスカートに手をかける。

 現実感の無い中、現実を思い出せるようにスカートは重力に従って落下した。

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