第42話 飲んでも呑まれるな

「ここ……ですね」


 アインは、手元の依頼書と目の前の看板を見比べる。看板には『グッドミード』と書かれていた。

 ラピスから半ば逃げる形になったとは言え、仕事を確保することは出来た。その仕事の一つが、酒造店『グッドミード』からの依頼だった。街西部の職人区画に店を構えるそれは協会からも近かったため、まず最初に向かうことにしたのだ。


「結構小じんまりとしてるな」


 ユウは、目の前の建物への感想を口にする。

 事務所らしき2階建ての簡素な建物の横には、赤煉瓦製の倉庫のような建物が並んでいる。こう言ってはなんだが、ちょっと豪華な物置くらいの大きさしか無く、酒造店というイメージからはやや離れていた。


「大量生産の一杯ではなく、こだわり抜いた一杯を提供……といのがモットーのようです」

「職人気質って奴かね。気難しそうだな」

「嫌なこと言わないでくださいよ……緊張するじゃないですか」


 ふぅ、とアインは呼吸を整え一歩踏み出そうとし、


「ガキが何の用だ!」

「ッ!」


 突如、背後からの怒鳴り声に飛び上がり、勢いそのままに振り返る。そして、鋭い目で声の持ち主を睨みつける。


「なんだオメェ。何しに俺の店に来やがった」


 背後に居たのは、大柄な赤ら顔の男だった。半ば禿げた頭に分厚い髭をたくわえた顔は酔っているかのように赤い。それに190センチはありそうな身長も相まって威圧的な印象を与える。

 男は、睨むアインを不機嫌そうな顔で見下ろしていた。フードを被った不審者が睨んでくるのだから、それも当然だ。

 しかし、当のアインは、


『ほらユウさんが変なこと言うから本当に怖そうな人が来たじゃないですか!』

『いや俺は関係ないだろ。俺が生成したわけじゃあるまいに』

言霊ワードスピリットですよ! ユウさんの言葉が現実に影響したんです!』


 威圧的な店主を前に完全にパニックになっていた。キマイラを前にしたときだってここまではなっていなかったと言うのに、何故そこまでビビるのか。

 ユウの疑問にアインは、


『キマイラは力で排除できますけど、依頼人に暴力を振るうわけにはいきませんし……』


 いざとなったら暴力で解決できるかどうかがポイントのようだ。

 おそらく、それが一番自信がある手段だからなのだろうが、一歩間違えると危険人物まっしぐらなので控えて欲しいユウだった。


『ともかく、まずはフードを取れ。笑わなくていいから少し力を抜け』

『は、はい……』


 言われたとおりにフードを取り、目元を意識的に緩めるアイン。そして、握りしめてくしゃくしゃになった依頼書を広げて見せる。

 依頼書を見た男は、不機嫌そうな顔を崩すと意外そうな声で言う。


「もしかしてお前さんが?」

「はい、私はアイン=ナット。依頼があるということで、魔術協会から伺いました」


 ユウはアインの声を借り、そう告げる。

 男は、腕を組みアインを上から下へ、下から上へとじっくりと眺める。彼女は居心地悪そうに目をそらすが、男は観察することをやめない。

 アインの喉が乾き、口の中にすっぱい味が広がり始めた時、男は唐突に大声で笑い始める。体を震わせ後ずさるアインに構わず、男はおかしそうに言った。


「いや、悪かったな! 魔術師って言うからもっとネクラが来るもんだとばかり! こんな別嬪さんとは思わなくてな!」


 豪快に笑う男をよそに、アインはこっそりと胸をなでおろしていた。



「さっきは悪かったな。ガキが酒造所に紛れでもしたら大変だからな。つい怒鳴っちまった」

「い、いえ……気にしてませんから……」


 店内に案内されたアインは、小さな休憩室に通される。壁には酒瓶がずらりと並べられ、それに交じって『酒は生き物!』と書かれた紙が貼られていた。木製のテーブルと椅子がセットで置かれている他には大した物は無い。

 休憩所と言うからもう少し散らかってるものと思ったが、かなり整理されているようだ。そう二人が思っていると、  


「片付いてるだろ? 娘が煩くてな、仕事に必要ないものはすぐ家に戻されちまうんだ」


 椅子に座った男――店主のアルミードはそう言った。困ったもんだと言いながら、その口元は緩んでいた。

 

「いい娘さんですね」

「まあな。俺には勿体無い娘だよ。けど、あんただって大したもんだ。その年齢で一人旅とはな」

「ありがとうございます。では、依頼について詳細をお願いします」


 対面するアインは、テーブルに依頼書を広げる。依頼内容は『蜂蜜の納品』と書かれていた。 

 訊ねられたアルミードは、髭を弄りながら答える。


「そこに書いてある通り蜂蜜が欲しいんだが、もちろんただの蜂蜜じゃない。そんじゃそこらの安物じゃ敵わない特別な一品に相応しいものが欲しいんだ」

「特別な、ですか」

「あんた、蜂蜜酒の作り方は知ってるか?」


 アインは、首を横に振る。ユウも、酒の製造に関する知識はない。


「そうか。まあ、作り方なんて言うほど大げさじゃない。蜂蜜酒ってのは蜂蜜を水で薄めて放っておけば、いつの間にか出来てる程度のもんだ」

「そうなんですか? 随分と簡単に出来るんですね」

「作るだけならな。そんな作り方じゃ酸っぱくて飲めたもんじゃない。しかし、先人たちはそんな『マズイ安酒』だった蜂蜜酒を改良し続け、立派な酒にまで精錬した」


 そう言ってアルミードは、壁に並べられた酒瓶を見やる。ラベルも瓶の大きさもバラバラなそれらは、蜂蜜酒というものの歴史の縮図だ。

 

「俺の店もその流れを継ぐ一つだ。大量に消費する一杯ではなく、大切な一瞬のための一杯を提供する。それがモットーよ」

「なるほど……」


 小さい酒造所は、そもそも量ではなく質を重視しているためだったのだ。休憩所の物が少ないのも、出入りする者が少ないというのもあるのだろう。

 アルミードは、姿勢を正して言う。


「それでだ。欲しい蜂蜜っていうのは妖精蜜ニンフハニーって奴よ。魔術師なら知っているか?」

「はい……聞いたことは……」


 ユウの代わりにアインが答える。

 妖精蜜ニンフハニーとは、文字通り妖精たちが集めた蜜のことだ。はっきりとした目撃証言が無いフクス族とは違い、妖精は正式に存在が認められている種族であり、妖精蜜ニンフハニーも稀にだが市場に出回ることもある。とろけるような甘さは、どんな人間でも虜になるほどの美味だという。

 しかし、妖精蜜ニンフハニーが何処にあるのかは妖精しか知らず、そもそも妖精と出会うこと自体が難しい。出会ったとしても、悪戯好きな彼らのターゲットにされ、一日中森を彷徨うことになったという話もある。

 要するに一朝一夕で手に入る物ではないということだ。ユウはそう伝えるが、アルミードはニヤリと笑う。


「ところがだ。つい最近西の森で妖精を見たってやつが居るんだ。それも子どもだ。はっきりと、手の平くらいの大きさの人が浮かんでいたってな」

「子どもが?」


 子どもが妖精を見た、と言っても信頼性は欠けるのでは。内心首をひねるユウに、アインが答える。


『妖精は子どもの前に姿を現しやすいと言われています。なので、はっきりと見たというなら信頼性はむしろ高いでしょう』

『ってことは……』

妖精蜜ニンフハニーが手に入る可能性はあります』


 口ぶりから察するに、アインはこの依頼に乗り気のようだった。人と話さなくても良く、妖精との遭遇を期待しているからだろうか。

 それならば、ユウが反対する理由はない。自分も、妖精には興味があった。


「わかりました。この依頼、受けさせて頂きます」

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