第41話 求めるは金、雄弁は禁
「お金がありません」
食堂は今日も大勢の客で賑わっている。その喧騒から逃れるように端の席に座るアインはそう切り出した。対面には空席があるだけだが、答えはすぐ傍から返ってくる。
「まあ、そうだろうな。収入があったのはムンドの10万と、遺跡発掘に協力した僅かな報酬だけだ」
椅子に立て掛けられた剣――ユウはそう答える。
その収入も宝石の補填や入院費に宿代、貸本代と出費ばかりがあったせいでかなり減少していた。今すぐ危機というわけではないが、近い将来のことを考えると悠長に構えてはいられない。
「そうなんですよね……。それにしても、減るのが早いような」
運ばれてきた大盛りのミートスパゲティを啜りながら不思議そうに言うアイン。答えは目の前にあるだろというユウの声は聞こえていないようだ。
「ともかく、旅を続けるには日銭が必要です。宿代はツバキが支払っていますが、いつまでもそうするわけにはいきません」
「なんだ、何時になく真面目だな。『ツバキがお金を出してくれるお陰で無限に本を読んでられます』と喜ぶもんだと」
「私の声で私が言っていないことを捏造しないでください。まあ、ツバキは確かにお金持ちですよ。ですけど……」
「ですけど?」
「……傍から見たら、子どもに養われるひもじゃないですか」
「……ああ、うん。それは嫌だな」
実際にはツバキの方が僅かに歳上なのだが、世間というのはイメージで人を判断するのである。知らないものが見れば、いたいけな子どもから金を巻き上げる悪質な旅人と思われても仕方ない。それは、人として避けたい。
「そのためにも、お金は必要です」
フォークに巻いたスパゲティを頬張るアイン。3人前はあった大盛りスパゲティが既に消失していることに、隣の席の客は戦慄の眼差しを向けていた。
「それで、あてはあるのか?」
口をナフキンで拭うアインにユウは訊ねる。
「魔術協会が一番なんですが……あんなことがあったばかりで、少し気が引けますね」
「だけど、そうも言ってられないだろ。ラピスに相談するのが一番手っ取り早い」
ラピスの名前を挙げると、アインは微妙そうな顔をする。水滴が垂れるコップを指先で弄びながら、彼女の名前を反復していたが、結局出てきた答えは、
「彼女には……あまり頼りたくないというか」
「なんでさ。まだ負い目を感じてるのか?」
「そういうわけじゃないんですが……『お金が足りないから依頼を紹介してください』と言うのがかっこ悪いというか……」
「そういう理由か……」
憧れの人に幻滅されたくない、良く見られたい。それは、誰もが考えることだしその気持ちを否定するつもりはない。
けどな、とユウは続ける。
「それで見栄を張った結果が、これまでの負債じゃないか?」
「うっ……それは、そうかもしれませんが……」
「今更そんなことで幻滅しないだろうさ。むしろ『そろそろ来るかと思っていた』と言ってくれるんじゃないか」
「そうでしょうか……」
「そうだって」
軽く答えるユウに、アインは疑わしそうな目を向けていた。
「そろそろ来るかと思っていたわ」
大量の書類に囲まれたラピスは、遠慮がちに部屋に入ってきたアインを見て開口一番にそう言った。
「……」
「ほら、言ったとおりだろ」
アインは納得がいかないようであったが、それだけ理解してくれているってことだよというユウの言葉に頬を緩める。この手は使えるな、と内心ユウは考えていた。
とりあえず座ってと言うラピスに従って対面に座るアイン。机の上には書類や書簡が敷き詰められ、壁際には木箱が何個も積み重ねられており、その蓋が踏み石のように足もとに散らばっていた。
部屋を見渡すアインに、疲れた様子のラピスは言う。手は黒いインクで汚れていた。
「レプリが不正に入手したものが無いかチェックしていたの。後は、他の魔術協会や市民からのクレームの対処。まったく、死んでも迷惑な奴だわ」
「ラピスは、現地作業が主ではないのですか?」
「普段ならね。けど、トップが憲兵や野盗とつるんで不正を働いたなんて状況じゃそうも言ってられないわ。信頼回復のためにも依頼は受けたいけど、そのための人員が足りない。信頼できる部外者なんてのも、そうそう都合良くはいないしね」
そこでラピスは、チラリとアインを見やり笑う。来てくれて嬉しい、という笑みなのだが妙に危険というか怪しいものを感じる。重い荷物を抱えていたら、ちょうどそこに押し付けられる奴が居たというような。
思わず椅子を引いて距離を取るアイン。しかし、笑顔で答えを待つ彼女から逃げるわけにも行かず、
「……ええと。私で良ければ力に」
「本当! いやぁ、やっぱり持つべきは友ね! はいこれが依頼書! 報酬は6対4で分けるから安心して!」
食い気味にラピスは言って、書類の山から数枚を抜き取るとアインに押し付けるように手渡す。
勢いに目を白黒させるアインは、おずおずとラピスに訊ねる。
「その、書類仕事の方は手伝わなくていいんですか?」
「ああ……あんたは本当に優しいわね……。けど駄目なの。部外者には見せられないものもあるから。だから、そっちを片付けて……」
眠たそうにラピスは言うと、大きく体を伸ばす。ずっと作業をしていたのか骨が鳴る音がした。鮮やかな赤髪も、今日はボサボサに膨らんでいる。
しっかりした彼女の乱れた髪は新鮮だったが、やはり落ち着かない。そんな思いから、アインは提案を口にしていた。
「ラピス。良ければ、髪を梳きましょうか」
「いいの? 助かるわ、自分だと面倒で手が進まなくてね」
「せっかく綺麗な髪なんですから、勿体無いですよ。……ラピス?」
「な、何でもないから! ほら、お願い!」
慌てて背を向けるラピスを不思議そうに見るアイン。彼女は気がついていなかったが、赤い髪に紛れるようにラピスの耳は朱に染まっていた。
その理由もわかっていないアインは、背後に回ると取り出した櫛を彼女の髪に入れる。髪の付け根から終点までゆっくりと、絡まった糸を解すように優しく梳いていく。
「んっ……慣れてるのね……」
「毎日ツバキにしていますから」
「ああ……確かに、あの髪と尻尾は大変そうね……」
髪を傷つけないように、アインは慎重に櫛を髪に通していく。気持ちよさそうに息を吐き、目を細めるラピス。それに気を良くしたのか、アインの口調も軽くなる。
「はい、自分では出来ないのに文句が多くて。けど、あの尻尾を触るとどうでも良くなるんですよね」
「ふかふかで気持ちよさそうね……私は、触ったこと無いけど」
「今度触らせてもらいましょう。やみつきになります」
「そうね……」
ラピスの声は小さく曖昧で、体はゆっくりと船を漕ぎ始めていた。
春の日差しのように暖かく緩やかな時間を彼女と過ごしている。1年前には当たり前だったことが、再び訪れたことにアインは喜びを感じていた。率直に言えば、彼女は浮かれていた。
だからだろう――。
「ツバキの尻尾を抱きながらだと、よく眠れるんですよ」
わざわざ言わなくても良いことを言ってしまったのは。
船を漕いでいたラピスの動きが止まり、ゆっくりと振り向いていく。笑顔こそ浮かべていたが、引きつっているのは誰の目にも明らかだ。
ラピスは、髪を梳いていたアインの手を掴みながら言う。
「アイン……貴方、ツバキと同衾しているのかしら……?」
「どうきん……?」
言葉の意味がわからないと、顎に手を当て考え込むアイン。結局その言葉の意味はわからなかったが、
「……! ち、違いますから! 空きがなかったのでやむを得ず一つのベッドで寝ていたというだけです!」
今更ながら年頃の少女が寝具を共にする意味に気がつき、大慌てで否定する。当たり前のようになっていたから感覚が麻痺していたが、そういう関係だと疑われてもおかしくない行為だった。ただでさえ前科があるのにだ。
ラピスは疑いの目を隠すこと無くアインに向ける。
「本当にナニもしてないのね?」
「してません! ほ、ほらユウさんからもお願いします!」
「俺に振るなよ……。まあ、本当だよ。ただ寝ていただけで、ラピスが心配するようなことは無い」
「べ、別に心配なんてしてないわよ!」
顔を赤くして怒鳴るラピス。その拍子に掴んでいたアインの手が離れる。
アインはその隙を見逃さず、素早くドアに向かう。
「で、では私はこれで! 依頼は間違いなく解決するので心配なく!」
「あ、コラ待ちなさい! ずるいわよ!」
ラピスの制止をドア越しに聞きつつ、アインはその場から走り去る。
今度は別の理由で顔が出しづらくなりそうだな。独りごちるユウの言葉は、必死で走るアインには届かなかった。
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