第38話 剣は口となり杖となる
「地より生まれし百の杭、我が敵を穿て!」
先手を打ったのはアインだった。手が地面に触れた瞬間、脈動する地面は杭のように隆起しレプリへと殺到する。
魔力を撃ちだしただけではあの鎧には通じない。だが、土による物理攻撃なら無効化出来ないはず。アインはそう考えたが、
「ふむ、その狙いは正しい。だが、力不足だ」
串刺しにせんと殺到する杭は、鎧に傷をつけることも出来ず砕けていく。触れてはいるものの、強度差の前に歯が立たない。
「ファイヤ・ボール!」
ラピスが放った火球は爆音を上げレプリを紅蓮で包み込む。しかし、それも一瞬のことで鎧は熱を蒸気に変換し吐き出す。ゼグラスが使ったものとまったく同じ現象だ。
「つまらないな。その程度かい?」
レプリの声を無視し、アインはラピスに目配せする。彼女は頷き、詠唱を開始し魔術を解き放つ。
ここまでの行為は、確認作業のようなものだ。純粋な魔力は吸収し、生半可な物理攻撃は通じず、炎は瞬時に鎮火される。だが、逆に言えば、四元素を付与した魔力は吸収できず、強力な物理攻撃なら通じる可能性があるということ。
「アイス・プリズン!」
隆起した地面の間から次々と氷の杭が生まれ、そこから枝分かれした氷がレプリの動きを封じていく。その隙に、アインは魔術を完成させていた。
「地の底より来たれ、古の巨人の一欠片、我が為にその力を奮え。顕現せよ、鏖殺の剛腕!」
アインが拳を突き出すと、連動するように巨大な右腕が地面から現れる。右腕は風を切り、唸りをあげながらレプリに向かって突き進んでいく。土と氷の杭を容易く蹴散らす一撃は、直撃すれば無傷では済まない。
だが、拳がレプリに届くよりも早く、
「なに!?」
氷の牢獄内で生まれた光は、爆発を生み縛めを吹き飛ばしていく。黒い影は上空に飛び、巨人の腕は虚しく空を切る。
「今のが正解だ。確かに、大質量による物理攻撃ならこの鎧にダメージを与えられるだろう。しかし、それは当たれば話だ」
「空を飛んで……!?」
重力を無視しているかのように、レプリは空中に制止し二人を見下ろしている。鎧の両足と両肩に淡い緑の光が灯り、静かに風が鳴いていた。
「エリオだったか……あの野盗と戦ったなら見覚えがあるだろう? あれは試作品だが、こっちは完成形だ。数があれば空も飛べる」
「それがどうしたと? ただ空を飛ぶだけなら蝿だって出来ます」
「無論、それだけのものではないさ。これは、武器なのだからね」
そう言ってレプリは右手を突きつける。黒い掌には真紅の宝石が埋め込まれており、陽の光を浴びて不吉な輝きを返す。
その光景にユウとアインは見覚えがあった。彼女はとっさにしゃがみ込み、
「顕現せよ、土の盾!」
召喚された土の壁に、連続で何かが撃ち込まれ爆発音が鳴り響く。鳴り止まない雨に盾が破られる前に、二人は左右に別れ飛び出す。
盾が崩れた音を後ろで聞きつつ、ラピスは魔術を解き放つ。
「コールド・ボルト!」
しかし、レプリに向かって撃ち出された氷の弾丸は、届くこと無く放たれた閃光に呑まれ溶けていく。舌打ちをし、ラピスは柱の陰に飛び込み閃光から身を隠す。
「捕まえて!」
「遅い」
アインは巨人の右腕を伸ばすが、空を駆けるような速さのレプリを捉えることは出来ず、距離を詰められる。やむを得ず巨人のコントロールを手放し、閃光を走り躱していく。
「貴方、ウルフにまで魔道具を提供していたんですか!」
「ああ、そんな名前の野盗もいたな。同じような顔ばかりでよく覚えていないが、性能はよく覚えている。これほど連射は効かなかっただろう?」
「みたいですね!」
走りながらもアインは怒鳴り返し、必死に閃光を避けていく。ウルフの時は、盾にするものが多い森だったが、この遺跡では身を隠せるものは少ない。だからといって迂闊に盾を作れば、狭い空間を更に狭め自身の首を絞めかねない。しかし、
「どうした、逃げるだけか? それではすぐに限界が来るぞ」
レプリの言うとおり、それは走り回っていても同じことだ。迫る結末から必死に逃げ回る愚かな魔術師をレプリは嘲る。
――そして、そう思わせることが二人の狙いだった。
「イディオット・ボム!」
アインに気を取られている隙を突き、直径1メートルはある巨大な光球をラピスは放つ。見るからに危険なそれだが、速度は遅く大きいそれは格好の的だった。あっさりとレプリが放った閃光に貫かれる。
ラピスはニヤリと笑う。
「うおっ!?」
「なんだ!?」
声を上げたのは、戦いに慣れていないユウとレプリだった。
地面が震えるほどの大音響と派手な七色の光を撒き散らしながら光球は炸裂し、視覚と聴覚を麻痺させる。動揺にレプリは動きを止め、無防備を晒した。
その好機をラピスは見逃さない。
「火竜の吐息よ、牙と成れ! クリムゾン・ファング!」
両肩に埋め込まれた緑色の宝石に上下二対の灼熱の牙は食らいつく。熱を注ぎこまれた宝石は、軽い音を立てて弾け飛んだ。
「ッ!」
体勢を崩すレプリ。翼を2つ失ったことで飛行は不可能となった。地上戦になれば、アイン達に大きく勝負は傾く。
そうユウは思っていた。油断なく追撃しようと詠唱していたアインとラピスも、このまま地上に落ちた瞬間を狙い撃とうとその時を待っていた。
だが、そうはならなかった。落ちる最中、レプリは何もない空中を踏みしめる。そして、空中を蹴り爆発的な加速でラピスに向かって突進する。
「……速ッ!」
砂塵を巻き上げ接近するそれは、一本の黒い線にしか見えない。これまでの速さは遊んでいただけに過ぎなかった。
反射的にガードした腕に鈍い痛みと衝撃が走る。歯を食いしばり耐える間もなく連続で襲い来る痛み。それが唐突に止んだ。それを認識した瞬間、視界が高くなる。
「なっ、この……! 離しなさい、よ! この!」
胸ぐらを掴まれたラピスは、レプリの顔面に魔術を放つが微動だにしない。フェイスガード越しに見える闇は、怒りに蠢いていた。
「……なるほど。確かに剥き出しでは耐久に難ありだ。要改善として記録しておこう」
「こいつ……! がはっ!?」
淡々と怒りに満ちた呪詛を吐きながら、レプリはラピスを地面に向かって叩きつける。何度も執拗に、一方的な勝利を奪われた恨みをぶつけていく。
「この、程度で……!」
肺の全てを空気を吐き出し、全身が砕けそうな衝撃に晒されながらもラピスは気丈な顔を崩さず、レプリを睨みつける。
「その目をやめろ!」
その顔を潰そうと拳を振り上げるレプリ。それを前にしても目を逸らさない彼女に、苛立たしげに拳を震わせる。
「させるかああああああ!」
アインの叫びに応え、地面から生まれた鎖が次々とレプリに向かっていく。しかし、風を纏ったレプリを捉えることは出来ず、逆に一歩で間合いに踏み込まれてしまう。
力任せに振るわれる拳をアインは避け、あるいは受け流す。衝撃に腕が痺れ、動きが鈍っていく。腕の感覚が無くなり始めた時、
「しまっ……!」
避けきれなかった一撃が頭を掠め、脳を揺らす。定まらない視界の中、放たれた前蹴りをとっさにガードするが堪えきれず倒れてしまう。
アインは、見下ろすレプリが放つ閃光を土の盾で防ぐが、集中がままならず数発で崩れ落ちる。防ぎきれなかった一発が、彼女の間近で爆発した。
「アイン!」
直撃こそしなかったが、アインは爆風に吹き飛ばされ地面を転がり、壁にぶつかって止まる。すぐに立ち上がろうとするが、彼女は膝をついてしまう。
「……っ、ああ……」
頭を掠めた一撃と爆風の衝撃で朦朧とする意識を必死で維持する。こみ上げる吐き気と倦怠感が、拘束具のように動きを制限する。それでも倒れるわけにはいかない。何故なら――。
「何故、そこまでする? 君が勝った所で何の意味がある?」
――何故、だろう。
苛立たしげに発せられたレプリの言葉を自問するが、早鐘のように頭痛が響く頭では答えが導き出せない。
黙るアインを畳み込むように、レプリは口早に続ける。
「君が私に勝ったとしても、得るものは何もない。むしろマイナスだ。魔術協会会長を殺害したという汚点だけが君の報酬だ。だが、私が勝つことには大きな意味がある。この体になっても研究は十分に可能だ。この成果を元に新たに開発するリビングメイルは、社会をより一層豊かにするだろう。わかるかね? この戦いに意味は無くなった。もう負けを認めろ、勝ち目はない」
そのとおりかもしれない。崩れた思考でアインは素直にそう思った。
私は根無し草の魔術師で、彼は一流の研究者だ。例え犯罪を行っていたとしても、それ以上のプラスが存在するのならそれでもいいのかもしれない。きっと、私よりも社会の役に立ってくれるだろう。
霞む視界には人形の闇以外のものは映らず、何か言おうにも口は動かない。突きつける剣もここにはない。
「……ぁ」
唯一の支えだった膝が崩れる。傾いた視界が、ボロボロの地面で埋まり近づき――。
「何言ってんだこのコミュ障が!」
叫び声と共に、それが止まる。
「……えっ?」
ゆっくりとアインは顔を上げ、自分が握りしめているものを確かめる。崩れ落ちそうな自分を支えていたのは、地味で飾り気のない――けれど、大切な友人だった。
ユウは、声を上げ続ける。それは、だらしない自分への激だ。
「社会の役に立つなんて高尚なことを一度でも考えたことがあったか!? そんなことのためにお前は必死だったのか!?」
アインの崩れかけていた思考が少しずつ立ち直っていく。
何のために私は、無理して教師の真似をしたり野盗と戦ったのだろう。彼の言うとおり、社会のためでは無かったし依頼人のためでも無かった。だとすると――。
掴みかけた答えを、ユウが代弁する。
「お前は、ずっとお前自身のために必死だったんだろ! 憧れを、友人を守るために戦った! ありふれた、だけど大切なものを守るために! 違うのか!?」
焦点が合い始めたアインの目が黒鎧と、その背後で倒れるラピスを映し出す。
「……!」
早鐘が止んだ。体を縛める拘束具を歯を食いしばって無視する。そんなものは瑣末ごとにすぎない。彼を手に取ったのは、理性が諦めても無意識は認めていないからだ。
「その通り……です……。最初から私は、私のために戦っていた」
ユウを杖とし、アインは立ち上がる。土に塗れ汚れていようと、青い瞳は輝きを失ってはいなかった。
その目でレプリを見据えながら、アインは言う。
「この戦いに意味は無くなった。そう言いましたね、レプリ」
「それが、どうした」
「貴方がこの世界にいる限り意味は無くなりません。貴方は、ラピスを利用し傷つけた。それだけで、私には十分な理由です」
はっきりと言い切り、アインは一歩前に出る。気圧されたように、逆にレプリは後ずさる。
「意味がわからない……どうしてそんな無意味なことが出来る」
「あんたにはわからないだろうさ。人が嫌いなのに、人の目を気にするしか出来ないあんたにはな」
「なんだと……」
ユウの言葉に、レプリは後退する足を止める。
「あんたは『やりたかったから』その鎧を造った。それが全てで目的だと、そう言った。じゃあ、どうして作品を馬鹿にされて腹立つ必要がある? 思い通りいかないことに苛立つ必要がある?」
「やめろ……」
「それは、認められたがっているからだ。『こんなものを作るなんてすごい!』と褒め称えられたいんだ。けど、それを認めることが出来ないから、他人を見下すことしか出来ない」
「やめろ!」
「だからアインを否定する! 素晴らしい自分を認めない愚図だと! 後のことなど考えていないと言いながら、私の未来のために諦めろと言う!」
再三の制止を聞き流し、ユウは喋り続ける。それが自身の役割だというように。
「その愚図から褒められたがっている矛盾した存在がお前だ! いくら鎧の体を手に入れても、内面の弱さまでは隠せない!」
「黙れ、黙れ! 無知が私を否定するか! 何も出来ない道具が!」
激高するレプリは、凄まじい踏み込みでアインに突進する。回避は不可避の速度で突っ込む鎧を前にアインは、
「ええ、確かにユウさんは戦えません」
口に含んでいた琥珀を飲み込む。瞬時に血管、神経の一本一本まで力は駆け巡り、限界を超えて発現する。
投げられたボールを受け取るような軽さで、アインは構える。
「なぁ!?」
驚愕の声を上げるレプリ。
振り抜いた拳は、いとも簡単に捉えられ左腕で固められていた。幾ら速度があろうと、怒りに任せた単純な攻撃を見切るのは難しいことではなかった。
そこまでがユウの役目であり、
「戦うのは、私の役目です」
アインは右拳を固める。力が集中するそれは閃光の如く輝きを放っていた。その輝きをレプリの顔面に向かって振り抜く。
「何を、無意味な!?」
強化した拳であっても、鎧を傷つけることは出来ない。それがわかっていながらも、アインはさらに振り抜く。
「がぁ!? 何を、何故、不合理を!?」
あげた声は痛みではなく、理解が出来ないという恐怖の声。掴まれた右腕を引き抜こうと暴れるが、闇雲に暴れるだけで抜けるほど拘束は甘くない。
「合理的ですよ。何故なら――」
睨む瞳は、固く握りしめられた拳の照準を顔面に合わせる。
「その顔を、ぶん殴ってやりたくてたまらなかったからです!」
殴りつけられた鎧が甲高い音を立てる。それは、まるで悲鳴のように響き渡った。
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