第35話 不安的中
石鹸と消毒液の匂いが漂う廊下をアインは進む。新たに買いなおした外套を纏っていたが、フードは被っていない。受付で不審者と間違われ、憲兵を呼ばれかけたからだ
それでも睨みつけるような目をした彼女にすれ違う医者や看護師は、そそくさと距離を取るものもいた。しかし、今の彼女にはそれを気にする余裕もない。
アインは、名前が書かれず番号だけの札が出された病室の前で足を止める。逸る気持ちを抑えるよう胸に手をやり、深呼吸する。そして、ドアを開けた。
「お前は!」
全身から顔まで包帯が巻かれベッドに横たわる男は、アインを見ると驚愕の声をあげる。アインは、
「一週間ぶりですね、エ……エリ……エリザベート」
『エリオだよ』
思い切り名前を間違えた彼女に、小声で指摘するユウ。名札が書かれていないのは漏洩を避けるためだと思っていたが、単に名前を忘れていたのではなかろうか。
ともかく、とアインは咳払いをして仕切り直す。
「エリオ、元気そうで何よりです」
「……皮肉か、それは」
両手両足、石膏で固められていない部位は存在しないエリオは、小声でそう言った。
「生きているだけマシでしょう。その気があれば、貴方の犠牲者と同じ目に合わせることも出来た」
「……はっ。それで? 俺に何の用だ」
「知っている情報を洗いざらい吐いてください。とくに、宝石の偽造を指示したものについてです」
「俺が吐くと?」
「吐けないなら、吐かせる手伝いは幾らでもしますが」
そう言ってアインは右手に光球を浮かべる。それだけでエリオは体を震わせ、カタカタと歯を鳴らす。ゆっくりと近づけられる光球から這いずるように距離を取ろうとするが、ベッドの上ではたかが知れている。
「わかった! 喋る! 喋るからやめてくれ!」
悲痛な声で叫ぶエリオに、アインはつまらなそうに、
「最初からそうすればいいんですよ。ほら、早く喋ってください」
「や、やめ、痛っ! 痛え!」
ガンガンとエリオの固められた右腕を拳で叩き催促する。恐怖と痛みで涙を流すエリオに、自業自得とはわかっていながらも同情してしまうユウ。
やっと痛みが引いたのか、肩で息をしながらもエリオはボソボソと喋り始める。
「俺達は……元々野盗だった。だが、奪うだけじゃ限界が来る。もっとデカイ稼ぎを手に入れようとした……」
「そこはいいです。共犯者を教えなさい」
「がっ!?……っぅ、共犯者は……レプリ、レプリ=アッシャー。お前たちも知っている……ロッソの魔術協会会長だ」
「レプリ……」
当たって欲しくない考えが的中してしまった。よりにもよってラピスが所属する協会のトップが黒幕だとは。
アインは、目を閉じゆっくりと息を吐く。再び開けた目には、静かな怒りが灯っていた。
「行きましょう。もうここに用はありません」
「あっ、おい」
ユウの制止も効かず、彼女はドアを勢い良く開けて病室から飛び出す。突然開かれたドアに看護師が腰を抜かしていたが、それに構っている暇はない。
医者や病人とすれ違いながら廊下を駆け抜ける彼女に、ユウは言う。
「いいのか、動機とかそういうことを聞かなくても?」
「興味ありません。本人から聞き出せばいいことです」
それよりも。病院から外へ出たアインは、左右を見渡し方角を確かめる。
「何を企んでいるにせよ、まずは危険を伝える必要があります。急がなくては……」
言ってアインは、脇目もふらず協会に向かって走り出した。
「……いない?」
「ええ、数日前から会長は遺跡調査に向かっています」
受付の無情な通達に、アインはカウンターを拳で叩く。
その遺跡調査とは、ラピスが向かうと言っていたものと同じだろう。彼女の傍にレプリがいる。それがどうしようもなく心をざわつかせる。エリオが情報を漏らしたことも、そもそも彼が捕らえられたこともレプリは知らないはずだ。
だから、彼女の身に危険は無い。それがわかっていても、納得ができない。
「あ、あの……」
「すまない。それは、いつこちらに戻ってくる?」
怯える受付に、代わりにユウが謝り訊ねる。声を借りてはいるが、口調を真似る余裕がない。不安に覆われているのは、ユウも同じだった。
「確か……今日だったかと」
受付がそう答えた時、
「おっ、その黒いマントはアイン君じゃないか。なにかお困りのことでもあるかな」
背後から掛けられた気楽な声に、アインは振り返る。
「アルカさん……」
アルカに続いて入り口から土に汚れた服を着た魔術師たちがロビーにやってくる。一瞬、安堵の息を漏らしかけたアインだったが、
「……ラピスは」
彼女の姿が見えないことに気がつき、飲み込む。そして、この場にいないのは彼女だけではない。
「レプリもいない……」
ユウの溢した声に、アインはよろめく。
アルカが近寄り、心配そうな顔をしていた何を言ったのかはわからない。不甲斐なさに歯を食いしばり、掌に爪を立てる。ミシミシという音は、歯と爪どちらから鳴ったのだろう。
わざわざ彼女だけを残し、他の者を帰した理由はわからない。だが、わかることはある。
『アイン!』
「わかっています……ラピスが危ない」
ユウの声に、アインは頭を振って思考を切り替える。自分を攻めている場合ではない。手遅れになる前に、早く何とかしなくては。
無言のまま立ち去ろうとするアインの腕が掴まれる。掴んだのは、軽薄さなど一切ない真剣な顔のアルカだった。
「何かあったようだが、聞かせて欲しい。それは、ボク達にも関係あるようだ」
振りほどこうとアインは一瞬考え、すぐに否定する。彼の言う通り自分だけの問題ではない。
『……ユウさん、お願いします。今の私には、まともに説明ができそうにありません』
『任せろ、お前はその間に頭を冷やしておけ』
了解です。そう答えるアインの掌には血が滲んでいた。
説明を聞き終えた魔術師たちが浮かべる感情は、困惑だった。組織のトップが犯罪に加担していたと言われたらそうもなるだろうが、今はその無理解がもどかしい。
黙って聞いていたアルカは、アインと向き合い言う。
「……正直、君の言っていることは信じ難い。証拠らしいものは、そのエリオという野盗の証言だけだ」
「ですが!」
わかっている、と身を乗り出すアインを制するアルカ。
「けど、君は嘘つくような人じゃない。そして、もし君の言うことが真実ならラピス君に危険が迫っている。だったら、ボクがすることは決っている。君を信頼し、解決の手助けをしよう」
「アルカさん……」
アルカは、優しく微笑みアインの肩に手を置く。そして、表情を人を率いるに相応しいものへと切り替える。
「聞いた通りだ! 手が空いてるものは、休暇中の魔術師にも声をかけてくれ! とくに戦闘が得意なやつだ! 戦闘が不得意なものは、裏付け捜査を行う! 会長室だろうが私室だろうが構わない、ボクが責任を持つ!」
声を飛ばされた魔術師達は、それぞれの役割を遂行すべく散っていく。残ったアルカは、
「馬を用意させておく。正門前で待っていてくれ」
アインにそう告げて、その場から去っていく。その背中にアインは、
「あ、ありがとうございます!」
精一杯の声で礼を言う。振り返ったアルカは、いつもの軽い声で返す。
「いいっていいって! 君がそうであるように、皆もラピス君が好きなんだよ!」
「うぇっ!? そ、そういうわけじゃ――」
言い返すよりも早く、楽しそうな笑い声を残しアルカは曲がり角に姿を消す。アインは、呆然とその残響を聞いていた。
「……リラックスさせるため、だったんじゃないか」
「……そう、でしょうか。まあ、うん……そう思いましょう」
鼓動こそ高まったものの、体を覆っていた無力感は吹き飛んでいた。それに、協力者が居るという事実が彼女の心を支えてくれる。
アインは、心の中で再び礼を言って正門に向かって駆け出す。
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