第34話 一時の平穏

「いち、に……あたた……だいぶマシになりましたが、まだ痛む……」

「動かさないと良くならないんだろ。もうちょっと頑張れ」

「ユウさんは見てるだけですけど、こっちは辛いんですからね……うぎぎ」


 体に走る痛みを歯を食いしばって耐えながらストレッチを続けるアイン。住人である鹿が呻き声を挙げる彼女を不思議そうに眺め、立ち去る。

 二人は、街近くの森で体を慣らすためのストレッチを行っていた。いつまでも筋肉痛に悶えて肝心な時に実力が発揮できないのは困る。偽宝石を巡る一連の決着の時は近いのだから。

 前屈を終えたアインは、息を吐いて地面に腰を下ろす。そして、ユウに訊ねる。


「……レプリが絡んでいる可能性は、あるでしょうか」


 『れ、レプ――』。

 魔術師が死に際に言いかけた名前。二人が連想したのは魔術協会会長であるレプリだった。協会のトップである彼が、犯罪に手を染めたとは考えたくないが、


「否定する根拠も今のところありません。金欲しさ、というのは魔術師が犯罪を犯すには十分な理由です」

「もしそうだとすると……どこまで魔術師が関わっているかだな」

「組織ぐるみというのは考えづらいですね。関わる人間が増えれば、それだけ足がつきやすくなります。いたとしても、数人でしょう」

「……けど、犯人だっていう根拠もないんだよな」

「それが問題です。いきなり乗り込んで『貴方が犯人です』というわけにも行きませんし。……なんですかその目は」

「いや、『それで抵抗してきたら犯人の証拠。簡単でいいですね』くらいは言うものかと」


 心外な、と眉をひそめるアイン。


「それが通用するならそうしますよ。けど、今回はそんな簡単じゃありません」

「なんだ、ちゃんと考えてたのか。……いや、通用するならそうしたって、候補にはあったのかよ」

「結局エリオの回復を待つしか無いということですね。喋るだけなら数日で済むでしょう」

「そういうことになるか……。待つだけっていうのも歯がゆいな」


 その時、アインの元に近づいてくる足音があった。彼女は、警戒したようにユウを手に取り、


「なんだ、ツバキですか」


 ツバキの姿を認めると、体勢を崩す。


「なんだとはなんじゃ。差し入れを持ってきてやったのに」


 ほれ、と差し出された紙袋を受け取るアイン。袋を開けると、甘い蜂蜜の香りが漂う。彼女は、たっぷりのバターと蜂蜜がかかったクレープを嬉しそうに口に運ぶ。

 ツバキは、その隣に座り同じくクレープを口に運ぶ。そして、アインが二つ目のクレープに取り掛かろうとしたの見計らい話しかける。


「いつまでここに居るつもりじゃ?」

「いつまで、とは?」

「御主は旅人じゃろ。ここに定住するつもりがないなら、いつかは去る定めじゃ」

「それは、そうですが……」

「何を目的にここに留まっておる? そこに望むものはあるのか?」


 そう言われて、視線を落とすアイン。

 自分がこの街に留まっていたのは、偶然ラピスがいたからに過ぎない。留まることを決意したのは、先延ばしにしていた問題があるからだ。彼女に誇れる者になろうという。

 けれど、『そうなれた』と認められるのは自身しかいない。自信を持てないままでは、いつまでも変わらない。


「宝石の輝きを損なうことを恐れ、原石のまま愛でるのでは味気ない。ぶつかりあって輝くものもあろう」


 それは、暗にラピスとの関係を示唆していた。

 出会ったばかりだと言うのに、そこまで見抜く目に驚嘆するアイン。力なく答えることしか出来ない。


「……はい」

「責めるわけではないのじゃよ。ただ……そう、まどろっこしくてな。お節介だと思え」


 沈み込んでしまったアインに、ツバキは頭を掻く。そこで、何か思い出したのかポケットから取り出したものを彼女の手に握らせる。


「何ですか、これ?」

「奴らをとっちめてくれた報酬じゃよ。まだ解決しきってはいないが、先に渡しておこうと思ってな。期待していると言ったじゃろ?」

「ああ、そんなことを言いましたね」

 

 アインは、受け取ったものを確かめようと手を広げ――石になったように硬直する。そんな彼女を、ツバキはニヤニヤした表情で眺めていた。


「ああああのこれって……」


 アインは、震えた声で掌に置かれた宝石を指差す。血のように紅く鮮やかなそれは、陽の光ではなく自身の内側から輝いているような錯覚すら覚える。

 アインとユウが今日まで見てきたどんな宝石よりも美しいそれを前に、ツバキは誇らしげに胸を張る。


「我が磨いてやった一級品のルビーじゃ。どうじゃ、満足したか?」

「満足なんてレベルじゃありませんよ……本当に貰っていいんですか?」


 その言葉に驚くユウ。彼女がそんな遠慮するようなことを言うのは初めてだった。


「そんなにすごいのか、これ?」

「はい……私達が泊まっている宿屋がありますよね?」

「ああ、結構大きめで広いな」

「あれが、これ一つで買えます。いえ、下手すると区画ごと買えるかもしれません」

「……マジか」


 想像以上の価値に言葉を失う。宝石は、装飾品だけでなく魔術にも重要な素材のため高品質のものは高価だとは聞いていたが、ここまでとは。

 壊れ物を扱うようなアインを、ツバキはおかしそうに笑う。


「輝くものは輝く人にこそ相応しい。もっとしゃきっとせい」

「い、いいんですね。貰っちゃいますからね。返してなんて言いませんよね?」

「言わんわ。ありがたく受け取れい」

「わぁ……」


 アインは、宝石に負けないくらい輝いた目でルビーを空に透かしたり、冷たさを確かめるように頬に当てていたが、いそいそとザックに手を伸ばす。取り出した保護ケースにルビーを収めると、満足げに鼻を鳴らした。


「仕舞うのか? いつもだったらポケットに放り込んでるのに」

「こんなものを使い捨てるなんて贅沢すぎますよ。これは、時折取り出して輝きを楽しむものです」


 さっきまで沈んでいたとは思えないほど上機嫌なアインに、ユウは半ば呆れながらもわかりやすいのはいいことか、と内心呟く。

 ツバキは、そっと紙袋を引き寄せ最後のクレープを頬張る。浮かれるアインは、それに気が付かない。


「元気になったのなら良し。ガツンと当たって見るものいいじゃろ」

「はい、そうですね!」

「とは言っても、ラピスは街を離れているようじゃがな」

「どこでそんな情報を?」


 ユウが訊ねると、ツバキは指についた蜂蜜を舐めながら答える。


「此奴がいつまでも寝ている朝にじゃよ。キマイラがいたとかいう遺跡の調査の続き、と言っておったぞ」

「あそこか……」


 あの魔獣の眼光を思い出すと、今でも芯が冷える思いだ。あんなものがまた出ないとも限らない故に、彼女が同行したのだろう。

 ――何故か心がざわつく。根拠はないが、何か嫌な感じがする。


「数日で帰ると言っていた。その時話せばよかろう」

「はい、任せてください!」


 アインは、力強く言って、そこで紙袋の中が空になっていることに気がつく。ばっとツバキに目を向けるが、彼女は寝転がり寝たふりをしていた。そして始まる舌戦。勝ってきたのは我だ、私のほうが一つ少ないなどと静かな森に響き渡る騒がしい声。

 その光景に呆れながらも、ユウはどこか安心していた。何も問題はない、いつも通りだと。


「しょうもないことで喧嘩するなって」


 胸によぎった不安を消すように、彼は騒がしい二人の会話に身を投じた。

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