第33話 疲れとわだかまりをお湯に流して

風呂屋というのは、単に汚れを落とすだけの施設ででない。様々な職業、人種が集まる風呂場は交流、娯楽の場としても重要な施設である。

 しかし、人が集まる場所ほど問題も多く発生する。賭博、売春など街全体の治安を損ねかねない事態に、一時期風呂屋は存亡の危機に立たされた。

 そこで風呂屋たちは、店種を切り分けることで解決を図った。すなわち、安価で入浴のみ可能な銭湯と、高額だが『そういうこと』も可能な宿泊施設である。高額である分悪質な客は立ち入りづらくなり、また風呂屋全体で街の見回り協力をすることで、業界のイメージアップを図った。

 これによって、完全に解決したわけではないが、目くじらを立てるほど問題が起きているわけでもないという状態にまで至ることとなった。

 閑話休題。


「……じゃあ、その娘はここがただの風呂屋だと思っていただけなのね」


 上ずった声で言うラピスに、対面に座るアインはコクコクと頷く。そのツバキは、離れたソファーに座ってジュースを飲んでいた。その隣にはユウが置かれている。

 宿泊施設前で固まる二人を部屋に入れるようツバキに指示をしたのはユウだった。別の店に移動しようにもラピスはショックのあまりへたり込みそうだったし、アインはまったく動けなかったからだ。店の前でどうこうするよりはまだマシだろう。


「そっか……ごめん、ちょっとびっくりしちゃって……」

「いえ……私こそ誤解を招く行動を……」


 お互いに顔を俯かせながら会話する二人。そんな二人を何処吹く風で、ツバキはふかふかのソファーに寝転びながら言う。


「話は終わったかー? 我は早く風呂に入りたいぞ」

「……」

「……」


 無言の『お前のせいで……』という視線も涼しい顔で受け流すツバキ。そんな彼女を目で示しながら、ラピスは訊ねる。


「で、あの娘はあんたとどういう関係?」

「ツバキは、依頼人です。フクスの名を騙る偽造宝石が出回っているということで、その解決を依頼されました」

「……その格好を見ると、もう解決したみたいね。相変わらず手が早い」


 外套を纏っていないアインを見て苦笑するラピス。

 ここで言う『手が早い』というのは『仕事が早い』という意味だけでなく『喧嘩っ早い』という意味も含まれていたが、それに気が付かないアインは少し誇らしげだった。


「けど、フクスの宝石ねえ。言っちゃ何だけど、出回っているものの殆どが偽物になるんじゃないかしら」

「いや、本物も存在するぞ」


 悪戯っぽい笑みを浮かべるツバキ。ただの少女だと思っていたラピスは、困惑したように訊ねる。


「ええと、ツバキさん? それはどうしてわかるのかしら?」

「なんじゃ、敬語なんて要らぬぞ。我と歳は変わらんじゃろ」

「……えっ、あの、ツバキって幾つなんですか」

「我か? 齢17の若輩者じゃよ」


 さらっと告げたその言葉に、面食らった顔をするアイン。ユウも少なからず衝撃を受けた。

 古風な言葉使いや年月を感じさせるような言葉から、見た目以上に生きていると思っていたのだが、見た目通りだとは。


「……17歳? 私と1つ違い? フクスは長命の種族で数百年は余裕で生きるはずでは」

「最初から100歳で生まれてくるわけがなかろうに。まあ、一番歳が近い同胞でも100と少しじゃし、我ほど若いものはおらんじゃろな」

「ちょっと、二人だけで会話しないでよ。そもそも、なんでこの娘がフクスみたいな言い方なのよ。フクスが居るわけないじゃない」


 そう言うラピスに微妙な顔で答えるアイン。その視線の先には、ドヤ顔で胸を張るツバキの姿があった。


「ラピス、と言ったな。汝はアインの友であろう。ならば、特別に見せてやろうぞ」

「何を……」

「歴史の闇に消えたはずの種族、フクスの姿をじゃ」


 芝居がかった調子でツバキは言って、フードを取り去る。現れた美しい金色の髪と狐耳を見せつけるように、ラピスに近づく。

 

「……」


 ラピスは、真顔でひょこひょこ動く狐耳を見つめていたが、不意に手を伸ばしそれに触れる。作り物には無い血の通った暖かさが手を通して伝わってくる。


「むっ、触るなら言わんか。くすぐったいではないか」

「…………嘘」

「んっ?」

「嘘でしょ!? だって、だって!? なんで!? 本当なの!? ねえ、アイン!」

「は、はい……そう、です……あ、あの顔が近い……」


 なんでどうしてと繰り返すラピスは、興奮した様子でアインの両肩を掴んで揺さぶる。

 期待通りのリアクションが得られたツバキは、満足げに頷いていたが、


「いつから! いつから知ってたの!?」

「ええと、数日前から……」

「早く教えなさいよ! ずるい、ずるいわ!」

「す、すいません……」


 自分のことで盛り上がっているが、目は向けられていないことが不満なのか、


「のう、いつまでそうしているんじゃ」


 拗ねたようにそう言った。




「ふぅん、そんなことがあったのね」

「はい……なので、とても疲れています……」


 首まで湯船に浸かったアインは、気持ちよさそうに息を吐く。

 話なら風呂でも出来るということで、真ん中にアイン、それを挟むようにツバキとラピスが肩を並べて入浴していた。広い浴槽は、足を伸ばしても端に届かないほど大きく、疲れきった体に温かいお湯が染み入る。

 緩みきった顔のアインを微笑ましげに見ていたラピスだが、ツバキと目が合うと少し気まずそうな顔をする。


「なんじゃラピス。人の顔を見て曇るとは、褒められたことではないな」

「い、いや……。その、さっきはごめんなさい」

「ん? なんのことじゃ?」

「『フクスは既にいない』とか言って……それで、実際目の当たりにしたら大騒ぎして……珍獣みたいな扱いをして、また貴方達フクスを傷つけてしまったんじゃないかって……」

「『また』……? ああ、人がフクスを追いやったという話か」


 ツバキの言葉に、ラピスは無言で頷く。

 優れた知慧を持った狐が、いつしか人の形を取って生き始めたのがフクス族の始まり。彼らは、人間には及びもつかない魔力と技術で発展を遂げた。しかし、その平穏はもろくも崩れ去ってしまう。


「――人はフクス族の力を恐れ、隠し持つ宝石を羨んだ。村は焼かれ、フクス族は散り散りとなり人口を激減させた」

「子どもでも知ってる昔話よ。……貴方も私もまだ生まれていない時代の話だけれど、それでも……人がフクス傷つけたことには変わりないわ」


 沈痛な表情で告げるラピス。しかし、ツバキはどうでも良さそうに欠伸をすると、息を吐いて肩までお湯に浸かる。


「別に気にすることないじゃろ。さっきのことも我は気にしておらん。むしろ期待通りで面白かったぞ」

「けど……」

「そもそもその話は嘘じゃしな」


 ツバキはさらっと言って、再び気持ちよさそうに息を吐く。

 ラピスは、言われた内容が理解できないのか額を押さえ、確認するようにゆっくりと訊ねる。


「……ツバキ。今、嘘と言った?」

「言った」

「何が、嘘なのかしら」

「ほぼ全部じゃな。確かに我らは魔力に優れてはいるが、人を上回る技術など宝石加工くらいのものよ。こんな熱い湯が湧き出る管を作ることなど出来まい」

「……他には」

「数が少ないのは始めから。長命なのじゃから当たり前じゃろ。村も人払いの結界で見つからないだけで、今も存在する」

「じゃ、じゃあ村が焼かれたというのは!? これは、文書でも残っている事実のはずよ!」


 身を乗り出したラピスの体がアインに触れる。眠りかけていた彼女はその衝撃で目覚めるが、ラピスの顔が目の前にあること、柔らかいものが押し付けられている衝撃に動きを止める。

 そんなことには構わず、ツバキはおかしそうに笑って言う。


「それは事実じゃが、真実ではない」

「どういうこと?」

「なに、我らの宝を奪おうと村を焼こうと企んだものはおった。しかし、あっさりと返り討ちになったのよ」

「尚更わからないわ。だったら、何故村が焼かれてしまったの?」

「ただ追い払うだけではキリがないと先祖は考えたのだろうな。その不届き者に暗示を掛けたのよ、『自分たちはフクスの村を焼いた』と。そして、先祖は自ら村を焼き何処かへ去っていった」

「じゃあ、この話は……」

「そう、我らが自ら広めたものじゃよ。結果、人の子は自分たちは愚かなことをしてしまったと悔み、フクスは消えてしまったものと考えた」

「どうして、そんなことを?」


 気を紛らわせようと会話に混じったアインの問に、ツバキは意地の悪い笑顔を見せる。


「人の子は不思議でな、綺麗な宝石よりも物語のある宝石の方が好きなんじゃよ。『これは友を失ったフクスの涙が星となり閉じ込められた宝石です』と言うと、皆が飛びつく」

「……ひょっとして、スターサファイアって」


 おそるおそる訊ねるアイン。

 スターサファイアとは、表面に星のような光の筋が走るサファイアのことで、魔術師からは星の力を宿すと信じられ、装飾品としても人気がある宝石である。

 かくいうアインも、幼いときより信じ憧れた宝石であるが、


「おお、それじゃな。200歳くらいの者から聞いた話じゃが、未だに伝わっているとはな」

「……まさか与太話だったなんて」

「ほんとね……子どもの時の涙を返してほしいわ……」

「かかかっ。それはすまなかったのう」


 肩をすくめるラピスだったが、表情は明るくすっきりとしていた。大きく腕を伸ばすと、お湯に身を委ね体を浮かせる。

 ラピスが離れ緊張が解けたアインは、ふと彼女の方を見やり、


「……」


 豊かなそれを羨ましげに見た後、ツバキの方を見やり、


「……うん」


 安心したように呟く。


「何がうん。なんじゃ? ええ?」


 ベツニナンデモナイデスヨと、詰め寄るツバキから目を逸らしつつアインは答えた。

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