第32話 輝きはその手に、修羅場はすぐ傍に
日没を迎え星が瞬き始めた空の下、アインらを乗せた馬車は進む。御者はツバキが務め、その隣にはアイン。簡素な荷台には簀巻にされたエリオが乗せられていた。
山岳地帯を抜け、平原に戻りつつある道の左右からは虫の大合唱や狼の遠吠えが聞こえてくる。夜の風は冷たいが、その冷たさも今は心地良い。
自然の夜とはもっと静かなものだと思っていたけれど、案外そうでもないものだ。車が行き交う夜を懐かしむユウだったが、
「あー……だるい……動けない……」
死んだ目で呻き続けるアインが傍にいるせいで、風情とか雅とかそういったものはまったくない。
隣に座るツバキは、呆れたように言う。
「当たり前じゃ。本来持たない力を無理やり使ったんじゃ。肉体がそれについていけるわけがなかろう」
「それはわかってますけど、あいてて……ここまでとは……」
僅かに四肢を動かすだけで走る痛みに顔をしかめるアイン。酷い筋肉痛とそれに伴う倦怠感に、彼女は溜息をつく。
「だったら、どうして一騎打ちを受けたんだ? 始まってからは手の出しようがなかったけど、その前なら幾らでもチャンスはあっただろう」
ユウは、改めて疑問をぶつける。
外に出る途中の坑道、エリオが剣を取る前。やろうと思えばもっと楽に勝てる手段はあったはずなのに、敢えて彼女は勝負を受けた。『叩きのめす理由は山ほどある』とは言っていたが、わざわざ一騎打ちである必要はあったのか。
「それで勝っても相手は負けを認めません。情報を聞き出すのに二度手間になりますから、徹底的に心を折って負けを認めさせた方が楽です」
疑問にアインはそう答え、目を伏せる。
「心どころか骨も折れてたぞ。あれじゃまともに喋れるようになるまで時間がかかる」
「一応手加減しましたよ。現に死んではいません」
「そういう問題か……? というか、
「あれは伝説に残る技ですよ。魔術しか通じない魔王に魔術が使えない騎士が無我夢中で放った起死回生の一撃。その閃光さながらの強烈さから
「ホントかよ……」
「本当です。古文書にもそう書かれていました」
益体もない話を続ける二人をツバキは黙ってみていたが、咳払いするとアインに向かって言う。
「あー、アイン。今回の一件は見事な活躍じゃった。邪智を企む輩は一掃され、我らフクスの誇りも取り戻すことが出来た」
そこまで言って、落ち着かない様子で視線を彷徨わせていたが、
「……それと、我の心を傷つけたと代償を払わせたこと。別に、傷ついたわけではないのじゃが。寝る時に思い出しそうとかそんなことはないのじゃが」
早口で言い訳を言い終えると、アインに向かって笑顔を見せる。
「……ありがとう。久しぶりに人の子の優しさに触れたぞ。やはり、心地良いものじゃな」
「…………別に、大したことじゃありませんよ」
そう言ってアインは、背中のフードに手を伸ばし――無かったことを思い出し固まっていたが、ふてくされたようにそっぽを向く。しかし、そうではないことは隠せていない赤い耳を見れば明らかだった。
褒められると嬉しそうな顔をするのに、感謝されるとそっけない態度を取る彼女を不思議に思うユウ。その理由は、すぐにわかった。
「…………友人を助けるのは、当たり前のことじゃないですか」
そっぽを向いたまま独り言のように言うアイン。それが答えだった。
「……ああ」
「なるほどのう」
「な、なんですか。見えてませんけど、なんだか微笑ましい目を私に向けていませんか」
「別に?」
「のう?」
魔術が使えること、それで成果を挙げることは誰でも出来ることではない。だから、認められれば彼女は誇る。
けれど、友人に手を差し伸べること、友の名誉のために戦うこと。それは、食事前の挨拶のように彼女にとっては当たり前のことなのだ。だから、当たり前のことで感謝されるとむず痒くなってしまうのだろう。
膝を抱えるようにして顔を隠すアインは、ぶっきらぼうに言う。
「ああもう……ツバキ、もっと飛ばしてください。早く風呂に入りたいです」
「それは我も同意じゃが、この夜道では速度は出せぬよ。何、焦ることはないじゃろ。話題は山ほどある」
「そうだな。じゃあ、俺とアインが出会った日のことでも話すか」
「……貴方達、私をからかっていますか」
憮然と言うアインに、ツバキはそんなことはない、とニヤつく顔を堪えながら答えた。
ロッソの街に戻った二人は、まずエリオを病院に運び込んだ。突然の重傷患者に医者は何事かと大騒ぎだったが、余計に治療費を支払ったお陰で余計な追求を受けることは無かった。
出来るだけ外部には情報を漏らさないこと、憲兵に対しては特にと口止めをし、病院を出たのは30分後だった。
笑い声に嬌声、時々怒声が聞こえる酒場が立ち並ぶ通り。アインとツバキは、そこにある風呂屋を目指していた。
「馬車の揺れもキツかったですけど……歩くのもしんどい……」
「ほれ、早くせぬか。まだ若いじゃろうに」
ふらふらと覚束ない足取りのアインの手をツバキは取り、先導する。逆の手には、杖のようにユウが握られている。
ツバキは、初めての風呂屋に興奮しているのがキラキラした目でアインの手を引っ張り、催促していた。
「早くせんと風呂屋が閉まってしまうぞ」
「わかってますって。わかってますが、体がついていかないんです……」
今日一日の汗と汚れを落としたい。女性にとって切実な思いに、ふらつきながらも脚は止めないアイン。
大変だな、と他人事のように考えていたユウだが、そこでふと疑問が浮かぶ。
「なあ、風呂屋ってどんな感じなんだ?」
「色々です。二人用の浴槽が並んでいる小さい風呂屋もあれば、大浴場にサウナが用意されている風呂屋もあります」
「じゃあ、他の客もいるんだろ? ツバキは平気なのか?」
「むっ。それはそうじゃ。耳も尻尾も隠しっぱなしでは安らげぬ」
「家族風呂……はわからないか。個室になっている風呂屋とかはないのか?」
そうアインに訊ねるユウ。しかし、彼女は答えず脚も止まっていた。
「アイン?」
「あ、はい。いえ、無くはないんですが……」
「あれがそうではないか? そんなことが看板に書いておるぞ」
ツバキが指差した先には、黒服が入口前で警備する如何にも高級と言った風呂屋があった。彼女の言うとおり、看板には個室風呂ありということが書かれている。
明るい顔のツバキに対して、何故かアインは顔を曇らせる。心なしか顔が赤かった。
「アイン、あそこでいいじゃろ。しっかりした店のようじゃし」
「い、いや確かにしっかりはしてますが……えっと、そう、値段が高くてですね」
「なんじゃ、そんなもの我が払うぞ。それ以上の働きをしてくれたからな」
「そ、そうではなく……女性同士だと問題があるというか、いや男女でもアレなんですが……」
「ええい、まどろっこしい。行くと言ったら行くのじゃ」
わたわたと要領の得ないことを繰り返すアインに痺れを切らしたのか、強引に彼女の手を引くツバキ。抵抗しようとするが、疲れきった体ではどうしようもなく、
「御主、一部屋借りたいのじゃが、空きはあるか?」
為す術無く黒服の前まで引きずられてしまう。
黒服は、アインとツバキに目をやると、丁寧な動作で頭を下げる。
「申し訳ありません。16歳未満のお客様の利用はお断りしております」
「ほ、ほらツバキ。そう言ってるし、別の店を」
「何を言うとる。我は16歳以上よ、のう?」
当然であろう、と黒服に聞き返すツバキ。その手元から、蝶が飛び立つのをユウは見逃さなかった。
「……失礼しました。問題なくご利用可能です。空きについて確認しますので、少々お待ち下さい」
「うぇっ!?」
黒服の返答に素っ頓狂な声を上げるアイン。背を向ける黒服を信じられない目で見つめていた。
「な、なんで……」
「さてのう。まあ、気にすることではないな」
愉快そうにツバキは笑い、アインは万策尽きたと顔を覆う。
一体何がそんなに嫌なのだと、ユウが訊ねるが、
「そんなこと言わせないでくださいよ!」
顔を赤くしたアインに怒鳴り返されるだけで、さっぱりわからない。ツバキが言うとおりしっかりした建物だし、他に客がいない個室風呂というのは彼女好みでもあるはずだ。値が張ると言っても支払うのはツバキだし、それを遠慮するような性格でもない。
無い首をひねりながら、再びユウは看板に目を向ける。看板には、幾つかのコースとその値段が書かれていた。入浴、休憩、そして――。
「――アイン?」
不意に掛けられた声に、アインの動きが止まる。目の動きも息も止まり、心臓も止まってしまったのでは思うくらいに、完全に制止していた。
前にもこんなことがあったな、とユウは声の持ち主に視線を向ける。
「………………ラピス」
1年と数日の違いはあれど、再会を果たした二人ということに違いはない。しかし、アインの声はあの時以上に固く、世界が終わったような絶望に溢れており、
「……なんで、嘘。嘘、嘘でしょ……そんな、小さい娘と……?」
ラピスは、あまりのショックに表情を無くし、目には大粒の涙を浮かべていた。膝は、今にも崩れ落ちてしまいそうに震えている。
その理由がわからないツバキは、そんな二人の顔を見て首をひねり、そしてユウに訊ねる。
「何故二人共固まっているのじゃ?」
アインが嫌がっていた理由を理解したユウは、どう説明したものかと言葉を選ぶ。
「あーうん……その、ここはただ風呂に入るだけの場所じゃないというか」
「つまり?」
看板に書かれていた文字は、入浴、休憩、そして『宿泊』。
成人で無ければ入場できず、男女でも女性同士でも関係が悟られ、年頃の少女が口に出しづらい場所。それにとても良く似た施設は、ユウの世界にも存在した。
ユウは、アインに同情しつつその名を告げる。
「ラブホテル……みたいな場所なのでは」
らぶほてる? とツバキは固まる二人を他所に反対側に首をひねった。
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