第29話 馬車は魔術師を乗せて

「暇ですね」


 椅子に座って読書中のアインは、そう言って欠伸をする。宿の一室でダラダラと時間を潰すアインという見慣れた風景だったが、


「暇じゃなー」


 それに加えてツバキもベッドの仰向けに寝転がり同じく欠伸をする。耳も尻尾も隠さないという緩みきった格好で、オリエンタルな着物にシワがつくのも気にしていない。

 結局部屋に空きがなかったため、ツバキもアインの部屋に居付くことになった。それが三日前のことで、それ以降の二人は殆ど部屋でダラダラと時間を過ごしている。


「アインー続きとってー」

「はいはい」


 寝転がったまま続きを催促するツバキに本を放るアイン。会って3日なのにかなり打ち解けているのは、お互いに共通する趣味と知識があるためというのが大きい。喋れる話題があれば会話は出来るのだ。ただ消費エネルギーが常人よりも多いと言うだけで。

 しかし、それならラピスとは緊張気味なのは何故かとユウが訊ねると、


「色々思うところもありますし……まあ、特別なんですよ。彼女は、その、色々な意味で」


 そう言ってすぐに顔を隠してしまう。

 ともあれ、そういうことが続くとやれることが殆ど無いユウはかなり退屈となる。そのため少々棘っぽい言葉も出てくる。


「暇って、偽宝石はどうするんだよ。あんだけ許さない風だったのに」

「わかってますよ。けど、向こうが動かないならこちらも動きようがありません」

「だったら他に仕事なりすればいいだろ。ムンドからの報酬だって、この調子じゃすぐに無くなるぞ」

「仕事中に動かれたら仕事を放棄せざるを得ません。それを避けるためにも、こうして待機しているのです」

「ああ言えばこう……はあ、本当に大丈夫なのか?」


 平気ですよ、とアインが答えた時、不意にツバキは体を起こす。ダレていた狐耳がピンと立ち、何かを探るように目を閉じる。尻尾が左右に揺れ、やがて止まる。


「どうやら動いたようじゃ。街の外に向かっている」

「ほら、言った通りでしょう?」


 勝ち誇った顔で言うアインに釈然としないユウだったが、そうだなと気のない返事をする。二人は読んでいた本を放り、アインはユウを掴み、ツバキは手ぶらのまま外に向かう。


「どうやら奴は北に向かっているようじゃ」

「北……山岳部で洞窟が多い地帯だったはずです。そこを根城にしているんでしょうか」

「さてな。どちらにせよ、行けばわかることよ」


 二人は会話しつつ足早に街道を進み、北の大門まで向かっていく。


「近いぞ……むっ、あの馬車がそうではないか」


 ツバキは立ち止まり、門から外へ向かう馬車を指差す。それは、騒ぎになった時に偽宝石商が引いていたものと同じだった。数台の馬車が前方に並んでいるため、まだ速度は出ていない。


「飛び乗りましょう」


 言うが早く、アインとツバキは馬車の後方に回り、素早く幌の中に身を滑り込ませる。幌内は薄暗く、ランプの灯りが僅かに灯るばかりで視界が悪い。

 アインは、右手に魔力の灯りを浮かべ照らす。すると、


「あっ?」

「あっ」


 中にいた男と目と目が合う。薄闇に同化するように黒い肌をした男は、ぽかんと口を開けていたが、何かに気がついたのかアインを指差し大きく目を見開く。


「お前この間の――」

「シュート!」


 抑えめの声量で放たれた光球は、男の鳩尾にえぐりこむように突き刺さり、僅かな呻き声を漏らして倒れる。アインは、悶絶し蹲る男の首筋を掴み、


「奔れ雷」


 瞬間、男の体がびくんと跳ね、そのまま力を失いだらっと横たわる。安堵の息を漏らすアインとツバキだったが、


「なんだ、今の音はどうした?」


 異変に気がついた御者がこちらに向かって叫ぶ。その声は、間違いなく偽宝石商のものだった。

 しかし、それを気にする余裕はアインにはない。このままでは異常に気が付かれる。そうなれば、わざわざ泳がせた意味がなくなってしまう。


「どどどどうしましょうこのままではこっちに来てしまいます!」

「お、落ち着いて。こういう時はネコの真似を……」


 パニックに陥る二人に、ユウは冷静に呼びかける。


「俺をそいつの手に握らせろ。試してみる」


 ユウの指示通りに気絶した男の手を彼に触れさせるアイン。ユウは、小さく発声を繰り返す。


「あーあー……本日は晴天なり。よし、いけるな」


 発せられた声は、少なくとも自分のものではない。意を決し、ユウは外に叫び返す。


「何でもない! 暗くて躓いちまっただけだ!」


 答えが返ってくるまでの僅かな時間。3人の間に緊張が走る。息を飲んだのは誰だったろうか。


「気をつけてくれよ! 大事な商品があるんだからな!」


 3人はほっと安堵の息を漏らす。いきなり躓くところだったが、何とかなった。


「助かりました……考えてみれば、こっちの男が居る可能性も十分ありましたね」

「お前って、結構行き当たりばったりだよな」

「ぐっ……以後気をつけます」


 渋い顔をするアインを慰めるようにツバキは肩を叩く。


「まあ、次頑張ればいいのじゃよ。期待しておるぞ」

「あんたも結構パニクってたけどな」

「それは忘れよ!」


 小さく怒鳴るという高度なことをするツバキ。出発前の意趣返しが出来たユウは、内心満足であった。

 

「こいつが悪いんですよこいつが……」


 ブツブツと言いながらアインは、転がっていたロープで男を縛り上げていく。その力の込めようは八つ当たりめいたものを感じさせた。


「途中で放り出してやりましょうか……」


 そんな物騒な魔術師を乗せたとは露知らず、馬車は目的地に向かって轍を残し続ける。



 

「私が馬車を使わない理由を知っていますか」

「いや、知らないな」

「簡単ですよ。馬車は揺れます、ええ揺れるんです」


 通常会話と囁き声の中間くらいで二人は会話していた。そこまで声量を必要が無いのは、アインが愚痴る揺れのためだった。

 石畳で舗装された道はまだマシだったが、剥き出しの地面ともなればちょっとしたことで馬車は跳ねるように揺れる。ユウは剣の体のため平気だが、人型であるアインとツバキはそうはいかない。


「この、揺れがですね。お尻が痛くて……たまに、酔いそうになるときも、あります」


 車輪が大きな石を踏んだのか、ガタンと音を立てる。その度にアインはうんざりした顔となる。

 ふとツバキが静かなことに気がつくユウ。どうしたのかと目を向けると、


「…………」


 青い顔をしているのは魔力の灯りに照らされているせいではないだろう。襲いかかる不快感に耐えるように、固く目を瞑っていた。


「どこまで行くんでしょうか……。道らしい道から既に外れていますが」


 出発時点では天辺に達していなかった太陽は、今や西に沈む準備を始めていた。後数時間もすれば、世界は黄昏に染まっていくだろう。

 もうすぐ着くだろう、と何度目かになる慰めの言葉をユウがかけようとした時、馬車は速度を落とし、そして止まる。


「到着した……?」


 アインの呟きに応えるように、幌の外から声が聞こえ始める。一人ではなく複数だ。


「やっとか……もう馬車は懲り懲りじゃ」


 ツバキは深い溜息をつくと、大きく伸びをする。そして軽く頬を叩き、気合を入れ直した。


「ですね……さっさと帰りましょう」

「じゃな」


 そう言ってアインとツバキは無造作に外に出ようとする。それを慌てて止めるユウ。


「行き当たりばったりはしないとさっき言ったばかりだろう。まさか、何も考えてないのか?」


 その言葉に心外そうに眉をひそめるアイン。


「失礼な、ちゃんと考えてますよ。数で劣る場合は奇襲で撹乱し、頭を叩くのが効果的です」


 ですが。そう言ってアインはポケットに両手を突っ込み、取り出す。その指に挟まれていたのは色鮮やかな大粒の宝石だった。


「それって……」

「こいつらが作っていた偽物の宝石です。そこの箱の中にありました」

「いつの間に……」

「半分はガラスですが、半分は水晶です。これなら触媒には十分です」


 宝石の触媒。ということは、つまり。

 ユウの思考を読んだように、アインは頷く。


「ええ、数の不利はゴーレムで補い混乱を誘発。その間に私とツバキで頭を叩く。何も問題ありません」

「なるほど、面白そうではないか」


 くつくつと笑うツバキ。アインは、意見を求めるようにユウに目をやる。

 強引ではあるが、間違った作戦ではない。そもそも実行するのは彼女たちだし、その彼女たちに自信があるのならユウがすることは決っている。


「わかったよ。アインがやれるっていうなら俺は信じる」


 アインはその答えに満足気に頷くと、腕を交差させ詠唱を始める。


「地の底から来たれ、古の巨人の映し身よ。我が為にその力を奮え、顕現せよ、鏖殺の影よ!」


 光が漏れる幌の隙間から輝く8つの宝石を投擲する。一瞬の静寂の後、怒声と恐怖の声が響いた。


「行きますよ、ツバキ!」

「おうよ!」


 二人は、鬱憤を晴らすように勢い良く馬車から飛び出していく。

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