第27話 狐の少女
憲兵の足音が間近で聞こえる。バタバタと複数の音がすぐ側に聞こえ、止まる。アインは抱えた少女の口を塞ぎ、自身も息を殺す。
「いたか? こっちに逃げたはずだぞ」
「そのはずだが……」
頼むから気がつくなよ。ユウも物言わぬ剣となり、憲兵から身を隠す。僅か数10センチ隣で行われる憲兵の会話に、無いはずの胃が掴まれるような感覚がした。
「いや、いない。ただの行き止まりだ」
「なんだと? くそ、見失うとは……」
苛立ちと困惑の声が聞こえ、壁が蹴りつけられた。それに少女は体を震わせるが、アインがより強く抱きしめ抑える。
「ったく、なんて無駄足だ。そもそも本当に追いかける必要があったのか?」
「知らんよ。上からの命令だ。そう言われれば従うしか無いだろう」
次第に会話と足音は遠ざかっていき、そして路地裏に静寂が戻る。アインは抑えていた手をどけ、少女と同時に大きな息を吐き天を仰ぐ。人が立つのがやっと隙間から見える空は、妙に開放的に思えた。
「気が付かれずに済みましたね……」
アインが目の前の壁に手をつくと、壁はゆっくりと地面に沈んでいき路地裏の風景が現れる。緊張で硬くなった体をほぐすように大きく伸びをする。
「壁の前にもう1枚壁を作って欺くとはのう。御主、なかなかやりおるな」
感心したように言う少女に、満更でもなさそうな顔をするアイン。俺のアイディアだけどなというユウに、わかっていると軽く鞘を叩いて答えた。
それはともかく、とユウ。今は他に気にするべきことがある。アインもそれに同意した。
それは、
「貴方は何者ですか? 何故、憲兵から逃げるようなことを?」
何故詐欺商人に噛み付いていたのか。何故憲兵から逃げる必要があったのか。そもそも何者なのか。目の前の少女には、わからないことが多すぎた。
「ふむ、そうじゃの。まずは、我の正体を明かそうか」
少女はそう言って、勿体ぶるようにフードに手を掛けると、
「刮目せよ人の子よ! そして驚き慄くがいいぞ!」
一気にフードを取り去り、隠れていたものが顕となる。
「……! まさか」
目を見開き、驚きの声を漏らすアイン。それに、少女は満足気に頷く。
透き通るような金色の髪。その頭頂部には、狐に似た耳が二つ並んでいた。ひょこひょこと動くそれは、作り物には見えない。
『なあ、こういう亜人? もいるのか?』
『います……いえ、いるとされています。けど、こうして見るのは初めてです……』
応えるアインは動揺を抑えきれず、信じられないような目で何度も少女とその耳に目をやる。腕を組みこちらを見上げる彼女の姿は、ただの子どものようだったが、その度に狐耳がそれを否定する。
「我の名はツバキ、察しの通りフクス族じゃ」
「フクス族……本当にいたんですね!」
フクス族、という言葉に興奮するアインだが、その凄さがわからないユウは『狐耳が生えてる人』程度の認識だった。尻尾もあるのかな、と何処か冷めた感想を抱いていると、
「ほう……」
ツバキは、ニヤリと笑う。その視線は、アインではなくユウに向けられていた。
「面白い男を連れているではないか。そのような者久しぶりに見たわ」
「……!」
何故わかった? 何処かで会話を聞いていた? いや、そんな余裕は無かったはずだ。
混乱するユウを察したように、ツバキは大声で笑う。
「フクス族は人よりも魔力と石の扱いには優れておる。これくらい造作も無いことよ」
「……ですが、人とは関わりを持たず生きているはずでは。何故ここに?」
「焦るでない、説明はしてやるわ。ただ、長話にはここは相応しくない。場所を移すぞ」
そう言って踵を返すツバキをアインは慌てて追いかける。
「うむ、美味いな! やはり人の子の食べ物は素晴らしい!」
ツバキは、蜂蜜とジャムのクレープを頬張ると満面の笑顔を浮かべる。フードの中で狐耳がひょこひょこ揺れていた。
「あまり、あむ……騒がないでください……うむ……街の外とは言え……んぐ、誰かがいるかもしれません」
「お前は食べるのか喋るかどっちかにしろ」
3つ目のクレープに手を付け始めたアインに、ユウは呆れるように言った。
アイン達は、街を出て近くの森に移動していた。一番落ち着いて話せる場所は宿だったが、憲兵も多い場所のため、ほとぼりが冷めるまでは近づくのは好ましくない。
ならいっそのこと街を出ればいいとツバキの提案に従い、人気のない森を訪れていた。特に必要無さそうなクレープは、話を回すための潤滑油であり必要不可欠なもの、という二人の主張により購入された。
「いや、本当に美味い。昔食べたものはもっとバリバリした生地だったが、これはふわふわだな!」
「小麦が潤沢に収穫できるようになってからは、この柔らかいものが主流ですね。こっちの方が甘くて美味しいです」
「人の子の食に関する執念と情熱には参ったな! これは我らでも追いつけぬ分野よ!」
しかし、実情は潤滑油どころかメインディッシュであり、本来の目的は何処吹く風であった。
「なあ、そろそろ本題をだな」
「ユウさんの世界にもクレープはあったんですか?」
「ん、まあな。もっとクリームとか果物が入ってて分厚いけど」
「ほう、果物。それも美味そうじゃな」
「後は、アイスクリームも入れたり」
「アイス? 熱い生地になんでアイスを入れるんですか?」
「何故と言われると……美味いからとしか言えないな」
「ふむ……まだまだ我の知らぬ味があるのだな……」
いや、そうではなく、とユウ。このままでは話が進まない。
「クレープの感想会をするために移動したわけじゃないだろ。そろそろ説明してくれよ」
「むっ、そうであったな。良いじゃろう、助けてもらった恩もある。聞かせてやろうぞ」
キリッと表情を引き締めるツバキ。アインも、口のクレープを飲み込み真剣な顔になる。
ツバキは、胡座を組みゆっくりと語り始める。
「魔術師なら知っておろうが、我らフクス族は人とは関わりを持たぬ。しかし、まったくないわけではない。生きるための必要なもの、長い時を過ごすに必要な娯楽品。それらを手に入れるためには、金が必要じゃ」
「では、人知れず街を訪れているんですか?」
「その通り。もっとも、姿を変えておるから人と区別はつかぬよ」
「信じられません……存在を認められても、姿を見たものはいない。それがフクス族というものだと……」
それを聞いたツバキはおかしそうに笑う。
「青い鳥と同じじゃよ。人というのは間近に在るものほど気が付かない」
「それで、金が必要といったけど、そのために何をしているんだ?」
「宝石じゃ。我らは石に関しては鼻が利く。それに技術も人よりも優れている。人が金剛石を磨くよりも数百年早く、我らは輝きを作り出していた」
「優れた宝石は『フクスが尻尾で磨き上げた』と言われます。もしかすると、本当にそうなのでは……」
「流石に尻尾では磨けぬよ、綿のようにふかふか故な」
だが、問題が起きた。
そこでツバキを笑いを引っ込め、目を細める。
「ここ最近『フクスの手で作られた』という文句の宝石が出回っている。それだけなら別に構わんが、よりにもよって偽物に冠されていた」
「偽物……さっきの奴らみたいな?」
「そうじゃ。安い偽物が広まると高額な我らの商品に買い手がつかぬ。それは見逃せぬからな」
悪貨は良貨を駆逐するということか。そこでふとユウに疑問が浮かんだ。
「そう言えば、どうしてアインはあれが偽物だってわかったんだ?」
「あのエメラルドは綺麗すぎたんです」
「綺麗すぎた?」
「天然のエメラルドは、通常不純物を含みます。あの大きさなら尚更です。それが無いということは、魔術で再構成したものかまったくの偽物です」
「そして、宝石はモノによって魔力を通した際の感覚が異なる。もっとも、それがわかる魔術師は少ないがの」
ツバキが補足する。その少ない魔術師の一人であるアインは、何処か誇らしげだった。
話を戻そう、とツバキ。
「我は偽物を扱う連中を探るため、しばらくあの街で調べておったというわけじゃ」
「ですが、先程のゴミクズは憲兵に捕まったはずです」
さらっと非道い言葉を使うアイン。真顔で吐かれた暴言にツバキはやや面食らっていたが、咳払いをし話を続ける。
「無駄じゃよ。おそらくすぐにでも解放される。今までも同じじゃった。捕まっては釈放され、また別のものが捕まっても釈放される。その繰り返しじゃ」
「それは……まさか」
「察しの通りじゃよ。おそらく憲兵共も加担しておる。さっきのことを考えればそれもわかるじゃろ?」
理由が無いと思われた憲兵たちの追跡。あれは、余計なことをさせないための脅しだったのだ。捕まれば『何もなかった』と言うまでは帰してもらっただろう。
「それでどうしたものかと街を歩いていると、あの男たちに出くわしてな。無視すべきだったが、フクスの名を出されて喧伝されては頭に来る。思わず食って掛かってしまったのじゃ」
「じゃあ、偽物だってことはわかってたんだろう? どうして言わなかったんだ?」
「嘘を暴いて痛みつけるのは簡単じゃが、こちらが逃げる羽目になっては意味がないじゃろ」
まさしくその通りの行動をしたアインは、明後日の方向に目をそらす。そうすると、こうなった原因は自分たちにあるのでは。
そう言うと、ツバキは表情を和らげ頬を掻く。
「それに乗ったのも我じゃ。それよりも、助けてもらったことに感謝しておる。しかし、アインよ。我のためではないと言いながら、どうして我を見捨てなかった?」
『いえ、そういうわけではありませんが』。
割って入った時、アインはそう言った。一緒に逃げることになったのも、手を引かれたためやむを得ずだった。ツバキが転んだ時、一人で逃げ出す選択肢もあったはずだ。
そうしなかった理由を、
「別に……泣いてる子どもはどうでもいいですが、宝石で詐欺する輩は大嫌いですし。見捨てなかったのは、見捨てるほど無意味無価値ではないと思っただけです」
そう言って、アインはフードを深く被り顔を俯かせる。
本音7割、照れ隠し3割とユウが推測した言葉にツバキは満足げに頷く。
「良い良い。損得を考えながらもそれを投げ捨てて行動できる者は大好きじゃ。うむ、汝らなら頼めそうじゃな」
「頼むって、何を?」
ツバキは悪戯っぽい笑みを浮かべて言う。
「もちろん、悪党退治じゃよ」
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