第22話 空に墜ちる涙

何故、これだけの遺体が存在するのか。その答えが、目の前のキマイラだ。彼らは、この魔獣の犠牲となった者たちだったのだ。

 そして、キマイラを決死の覚悟で石化させ、入り口を埋め立てた。しかし、石化魔術の核となるダイヤは、今はアインの手にある。

 縛めを解かれた魔獣は、唸りをあげアイン達を6つの目で睨めつける。一挙一足を監視する目からは、獲物を逃がす甘さは感じられなかった。


「……逃げるわけには、いかないわね」

「はい。地上に出れば、さらに惨事となります。それは、絶対に避けねばなりません」

「オーケー。アインはゴーレムで牽制と足止めを。そうしたら、私が強力なヤツで仕留めてみせる」

「わかりました。頼みます、ラピス」


 キマイラから目を逸らさず淡々と作戦を決定する二人。だが、その額には一筋の汗が伝っている。一筋縄で行く相手ではないが、それでも戦うしかない。


「行くわよ!」


 ラピスの声とともに、アインは詠唱していた魔術を解き放つ。地面から生まれた5騎の土の騎士は、落ちていた武器を取りキマイラを包囲するように突進する。

 騎士たちが足止めをしている間に、二人はキマイラから距離を取る。大型獣に接近戦を挑むのは無謀過ぎる。遠距離から確実にダメージを与えるのが定石だ。


「……ッ!」


 振るわれた前足に2騎の騎士が上半身を吹き飛ばされ、地に還っていく。その隙を、ラピスは見逃さなかった。


「フレイム・カノン!」


 放たれた炎の砲弾はキマイラに直撃し、強烈な爆発を巻き起こす。爆音に混ざり、魔獣の叫びが広間に響いた。


「効いてる! もう一発行くわよ!」


 再び詠唱を開始するラピス。しかし、それが完了するよりも早く、


「――――!」


 人間には聞き取れない地の底から響くような叫び。瞬間、キマイラの周囲に炎の矢の壁が現れる。


「隠れて!」

「魔術まで使うっていうの!」


 舌打ちとともにラピスはアインが作り出した壁に隠れ、矢の雨をやり過ごす。

 すぐ横に雨が振り続ける中、二人は作戦を練り直す。


「遠距離でも攻撃手段があるなら、悠長な戦いは出来ないわね……」

「しかも、先程の攻撃も大して効いていなかったようです。傷が見当たりません」

「火は効かないか……だったら、内側から攻めるまでよ。私が近距離で囮になる。アインはあいつの足を止めて」


 危険すぎる。アインがそう言うのがわかっていたのか、先んじてラピスは手で制す。


「風の魔術を使えば速度でもキマイラに追いつける。それに、あんたのゴーレムがいれば的も絞られづらくなる。分の悪い賭けってわけじゃないわ」

「ですが、リスクが……」

「リスクの話なら、このままチマチマやりあって魔力・体力切れの方が確実よ。やるしかないのよ」

「……わかりました。絶対に、足を止めてみせます」

「頼むわよ!」


 火の雨が止んだのを見計らい、二人は弾かれたように左右からそれぞれ飛び出す。アインはその場でゴーレムを生み出し、ラピスは魔術を唱え突っ込んでいく。


「フェアリー・ステップ!」


 風を身体に纏ったラピスは、キマイラの周囲を踊るように走り回る。触れれば一撃で命を摘み取る大爪も、ふわりとした動きで舞う彼女を捉えることは出来ない。さながら宙を舞う木の葉だ。

 その合間にラピスは小さな火球を放つが、それはキマイラに触れる直前に不可視の壁に阻まれる。


「さっきの魔術もアレで防いだのか?」

「おそらく。しかし、万能ではありません」

「どういう――ッ! マズイ!」


 キマイラの振るった右前足の一撃をラピスはジャンプすることで躱す。

 しかし、それは罠だった。キマイラは、振るった前足を軸とし、その反動で大きく飛び上がり左前足を振りかぶる。

 空中にいるラピスは、それを避けることが出来ない――!


「アイン!」

「大丈夫です、彼女なら……きっと!」


 振るわれた爪がラピスを切り裂く――その直前、彼女は笑った。諦めではなく、不敵なそれを彼女は浮かべていた。

 何も足場のない空中で、ラピスは脚に力を込める。瞬間、何もないはずの足裏に押し返す力が生まれた。それを踏み台とし、彼女はキマイラとすれ違うように跳ぶ。

 優位は逆転した。キマイラは為す術もなく着地を待つしか無く、


「地より生まれし百の刃、我が敵を穿て!」


 その瞬間を見逃すアインではない。次々と地面から生まれる刃は、不可視の壁を物ともせず貫き、肉を穿っていく。キマイラは、苦悶の叫びをあげるが、串刺しにされた肉体は固定され逃げることは叶わない。

 生まれた絶好の好機に、ラピスは右手を天に向けて詠唱を開始する。


「天の怒りよ! 我が願いを聞き入れたならば、汝が雷霆の一撃をここに!――墜ちろ!」


 掌に生まれた電撃の奔流は渦巻き、抑えきれない余剰エネルギーが周囲に落ち粉塵を巻き上げる。

 ラピスは、巨大な鎚のようなエネルギーを振りかぶる。キマイラが吠えた。


「ライトニング・ブレイカー!」


 迸る雷霆は突き刺さった刃を伝い、肉の内から焦がしていく。耳をつんざく絶叫が響き、放たれた雷撃が地を抉っていく。眩い光と音が止んだ時、キマイラは地に伏していた。


「やった……」

「ラピス!」


 緊張の糸が切れたのか膝をつくラピス。心配そうに呼びかけるアインに、彼女は安心させるように微笑む。


「平気よ。少し疲れただけだから……。今行くわ」


 そう言ってラピスは、立ち上がった――瞬間、枯葉のように吹き飛び、うつ伏せに倒れる。嘘のように静かな世界には、羽音のように低い耳障りな音しか聞こえない。

 まるで現実感の無い光景にアインは、


「ラピ、ス……」


 震えた声で彼女の名を呼ぶ。返事はなかった。

 理解が追いつかない。何故、ラピスが倒れている。頭に見える赤いものは血なのか。何故、何故――。


「どうして、お前は生きている……!」


 刃に串刺しにされ、肉体内部から電撃を浴びせられ死んだはずのキマイラ。しかし、獅子の怒りに満ちた目に灯るのは、死に際の最後の灯火では決して無い。目の前の外敵を喰って生き残るという、原始的な闘争心に燃えていた。

 呼吸をすると喉が焼かれてしまいそうな怒りを前に、しかしユウは冷静さを保っていた。いや、保たざるを得なかった。


「ラピスに……何をした!」


 アインが憤怒に任せて放たれた光球は、キマイラの不可視の壁に防がれる。構わず撃ち続けるが、光球が壁に防がれる度にキマイラが負った傷が回復していく。

 

「落ち着けアイン! それは逆効果だ! 回復されているぞ!」

「そんなこと関係ありません! あの獣が、彼女を!」

「それはわかってる!……来るぞ!」


 キマイラが喰らいつかんと飛びかかるのを、アインは横っ飛びに飛んで躱す。体勢を整えながら地面に手をつき、再び足元に刃を出現させるがあっさりと避けられる。

 尚も構わず強引な攻撃を続けるアイン。その攻撃の全てが避けられ、あるいはキマイラの糧となる。それでも攻撃を止めない彼女にユウは、


「やめろと言ってるのがわからないのか! いい加減人の話を聞けこのコミュ障が!」


 その叫びに、ようやくアインは攻撃を止める。しかし、腕の震えは収まらない。


「どうして……どうしてそんなに冷静でいられるんですか。ラピスが、やられて……!」

「――何も出来ないからだよ」


 静かな、諦観と決意のこもった言葉。

 自分は戦えない。盾にもなれない。喋ることしか出来ない。それでも――。


「何も出来ないからこそ、俺は冷静でないといけないんだ。お前がちゃんと戦えるように」

「私が……」

「いいか、この場で戦えるのはアイン、お前だけだ。そしてラピスは死んだわけじゃない。それがわかるなら、何をすべきかもわかるはずだ」

「……」

「ラピスに誇れる魔術師になるんだろ? だったら、こんな暗い所で燻ってるわけにはいかない。武勇伝と宝、それに彼女を連れて帰るんだ!」


 その叱咤激励に、アインは自分を取り戻す。同時に、自分がどうしたいのかも。


「……はい!」


 腕の震えは止まっていた。眼差しは打ち倒す敵を見定め、思考はそれを導くために回転を始める。

 傷の大部分が塞がっているが、魔術による治療なら体力までは回復できない。だったら、身体能力も落ちているはず。まず、すべきは、


「顕現せよ、土塊の騎士!」


 生まれた騎士は6騎。全員がキマイラに向かっていく隙に、アインはラピスの元に走り寄る。


「ラピス!」


 返事のない彼女を抱き起こす。頭から血が垂れているが、息はある。


「よかった……」


 安心はしたが、まだ安全ではない。アインは、彼女にポケットから取り出した大粒のトパーズを握らせ詠唱を始める。


「天の光、地の安らぎ、星の輝き……願わくば、祝福を人に分け与え給え」


 ラピスの身体が柔らかな光りに包まれる。それを確認するとアインは、もう一体の騎士を生み出し彼女を背負わせて、通路をまっすぐ走り続けることを命令する。


「彼女は大丈夫……ここからです」


 騎士が通路の闇に消えるのと、キマイラが向かってきた騎士を全て打ち砕くのはほぼ同時だった。威嚇するように唸り声をあげながら、こちらを睨む。

 その怨敵を睨みつけるアインの目は冷たく、静かに怒りを燃やしている。


「あまり熱くなるなよ。向こうだってダメージは受けているんだ」

「なのに、かなり回復している。その原因はおそらく……」

「山羊頭の方だな。さっきから聞こえる羽音みたいなのが、魔術の詠唱なのか?」

「ええ。魔術を扱う山羊頭を潰さなければ、魔力がある限り回復し続けます」

「問題は、あのバリアだ。魔術が効かないなら手段が少なすぎる」

「質量攻撃なら問題ありませんが……簡単には当たらないでしょうね」


 冷静に受け答えをするアインに、ユウは安心する。ウルフやゼグラスを倒してきたときと同じ、クールに頭にきている時の彼女だ。

 

「ゴーレムはどうだ。山羊の口に石でも突っ込ませれば詠唱できなくなるんじゃないか?」

「大型だとキマイラの動きについていけませんし、小型では一撃でやられてしまう……攻撃を避けさせるような複雑な命令は無理――」


 はっと何かに気がついたように、アインは周囲を見渡し、破壊された魔伝話を発見し止まる。次に彼女は手持ちの宝石を確認する。中サイズのルビーが一つ。魔術の触媒にすれば、鉄を溶かすくらいは楽勝だろう。

 隙を作る方法も問題はない。しかし、これは一発勝負になる。自分にそれが出来るかどうか……。


「出来るさ。お前はやれば出来る子だって、俺は知っている」


 アインの不安を見透かしたように掛けられた言葉に、彼女は微笑み、そして不満げに眉を寄せる。


「それじゃあ、いつもの私が駄目みたいじゃないですか」

「じゃあ、そうじゃないところを見せてほしいね」

「みせてあげますよ。今から、たっぷりと!」


 ユウの軽口に応えるように、魔伝話の残骸に向かって走る。それと同時にキマイラは吠え、足音を轟かせながら突進を始める。


「シュート!」


 アインは、ワイヤーを引っ掴むと光球を放つ。しかし、それはキマイラではなく天井で灯る魔力の明かりに向かっていく。


「目を閉じてください!」


 アインとユウが目を閉じた瞬間、ぶつかりあった魔力が弾け凄まじい光を放つ。その光をモロに目に受けたキマイラは、怒りの叫びを上げデタラメに暴れまわる。

 その隙にアインは最低限の照明を生み、


「顕現せよ、土塊の騎士! 鉄の刃!」


 土から騎士を、剣から槍を作り出す。騎士の背中には魔伝話のワイヤーが繋げられ、反対側は彼女の手に握られていた。


「行って!」


 命令に従い騎士は槍を構えて突撃する。キマイラの目が見えていないと言っても、普通なら暴れまわる攻撃を避けて肉薄するのは不可能だ。ゴーレムは命令されたことしか出来ず、防御命令を受けても反映する時間がないからだ。

 騎士は、キマイラが振り回した前足に当たり砕け散る。そのはずだった。


「当たらない!」


 アインの叫び通り、騎士は前足を地面に伏せることで躱す。普通なら不可能なそれを可能としたのは、背中に接続されたワイヤーだ。

 『伝達』の魔術が仕込まれたワイヤーは、アインの命令をダイレクトに伝達し、実行までのラグを大幅に軽減することが出来る。

 騎士は、人さながらの動きで前足の死角から背中へと飛びつく。


「やれええええええ!」


 そして、槍を山羊の口に思い切り突き立てた。山羊は、大気を震わす叫びをあげながら、火の雨を騎士に浴びせる。騎士は、一瞬で崩れ落ちるが役目は既に果たしている。


「赤の輝きよ! その牙を持って喉元に喰らいつけ!」


 アインの声に、槍に仕込まれたルビーが赤い輝きを放つ。突き立てたられた槍が赤熱化し、液体となって山羊の喉を焼いていく。気管を埋め尽くす赤鉄に苦悶の声すらあげることすら出来ない。


「これで魔術は使えない!」


 未だ目が回復していないキマイラに、アインはキマイラを封じていたダイヤを持った右手を突きつける。

 特定の元素ではなく無色の魔力そのものを増幅するダイヤは、魔術に用いられる宝石としては最上級のものとされる。そのダイヤがアインの手の中で、内部で魔力を反射し加速させていき、煌めきを増していく。

 魔力を増し解き放たれる時を待ちわびるダイヤは、催促するように震え始める。後は、この魔力をぶつけてやるだけでいい。歯を食いしばり、アインはキマイラを真正面に見据える。


「ッ! 撃て、アイン!」


 見えないはずの目でキマイラは真っ直ぐにアインに向かって突進する。魔力を感じたか、それとも野生の勘か。

 どちらにせよアインにとってはマズイ状況だった。魔力は十分だが、その収束が間に合わない――!


「プラネット……」


 不十分なまま放つことを覚悟したときだった。

 ゆっくりと流れる時間。キマイラが向かってくる視界。それに歯向かうように、蒼い煌めきが魔獣に飛来する。蒼い煌めきが炸裂し、キマイラと地面を氷で縛める。


「やりなさい、アイン!」


 その声は、振り向かずとも誰のものかわかっていた。だから、アインはキマイラだけを視界に収める。手の中のダイヤは、力を解き放つ歓喜に打ち震えていた。


「プラネット・ティアドロップ!」


 放たれた眩い閃光の一撃は、余波だけで空間を揺るがし、直撃したキマイラの凍りついた体を容易く打ち砕く。そして、勢いが止まないまま広間の天井をも貫く。

 余りの威力に放ったアインすら呆然と崩れ落ちる天井を眺めていたが、ぽつりと言葉を漏らす。


「……綺麗、ですね」


 地上から空に墜ちた涙の残滓が、天井から漏れる地上の光に照られされ星のように輝く。星は宙を漂い、雪のように儚く消えていく。死霊で淀んでいた空気が、浄化されていくようだった。


「そうだな……本当に、綺麗だ。本当に……よかった……」


 その光景を3人で見ることが出来たことに、ユウは言葉をつまらせながら、何度も喜びを口にし続けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る