第17話 ごめんなさいと言える魔術師
このテントは、ベースの一つだったようで円形のテーブルを囲むように折りたたみ式の椅子が中央に置かれていた。幕際には簡易棚が置かれ、着替えが詰まったザックが転がっている。
そのテーブルでアインとラピスは向かい合っていた。
「……正直、意外だったわ。あんたから来るとはね」
ラピスは、赤くなった額を抑えながら、対面に座るアインに言う。そのアインは、叱られた子犬のようにしぼんでいた。
「……その、すいません」
「別に気にしてないわ。どれについて謝っているのかはわかりませんけど」
「うっ……」
わざとらしい敬語に険しい目で睨むラピスに怯むアイン。予想はしていたが、昨日の今日では怒りが収まっていないようだ。
しかし、それでも。ここで引き下がるわけにはいかない。
アインは、強張る体に活を入れ顔を上げる。そして数回息を漏らし、
「……突然いなくなったことは謝ります。本当にごめんなさい」
深く頭を下げる。そして、顔を上げて続ける。
「その理由は、今は言えません。けど、貴方の誘いが嫌だったというわけでは決してありません。今でも、ラピスのことは友人だと思っています。それは……本当です」
そう言ったアインをラピスは無言のまま見つめていた。まるで、泉の底に沈んでいるものを見極めるように。
アインは、汗ばむ手を強く握りしめる。呼吸を意識しなければ、止まっているのではと錯覚してしまう。鳩尾は、ネジを撒かれているようにキリキリと痛む。それでも、彼女は目を逸らさなかった。
アインだけでなく、ユウも張り詰めた空気に呼吸を忘れ始めたとき、唐突にラピスが立ち上がる。簡易棚に近づき、ガチャガチャと音を立てながら金属製のカップを二つ取り出すと、無言のままテーブルに置く。
「ラピス……?」
困惑するアインを無視し、ラピスは乱暴に水をカップに注ぐ。跳ねた水がテーブルを濡らした。
一つをアインに突き出すと、そのまま彼女の後ろに回り込む。そして、振り向こうとした彼女の頭をぐっと押さえ込みながら言う。
「振り向くな! 絶対に見ないで! 水でも飲んでろ!」
「は、はい!」
アインは慌てて水を含み、案の定むせる。その最中、ラピスは小さく呟いた。
「……信じる」
「えっ?」
聞き返すアインに、ラピスは唸るように口ごもり、
「だから、信じるって言ったのよ。突然いなくなったことも……まあ、許してないけど――許す。けど、二度目は無いからね」
憮然とした声で言い放つ。
「ラピス……」
アインは、自分を受け入れてくれたことに緊張から解き放たれ、体を覆う高揚感に身を任せようとし、
「だから振り向くな!」
「いたぁ!?」
無理やり頭を戻され、その拍子に椅子に立て掛けられていたユウが倒れる。視点が変わったことで、背後に立つラピスの表情が目に入った。
『……ああ』
それを見て、彼は理解する。不安だったのは、アインだけでは無いのだと。
「ほんっとうに何考えるてるのかわからないやつね! この頭には何が入っているのかしら!」
「ら、ラピス……やめ、やめて……」
上ずった声をあげながらアインの頭を左右に揺さぶるラピス。その瞳は潤んでいたが、口元は確かに緩んでいた。
「ユ、ユウさん……とめ……」
小声で求められる助けを、ユウは素知らぬ顔で聞き流す。
真に友人と再会できた瞬間に水を刺すほど野暮じゃない。それに、アインにはいい薬だろう。友人を大切にしないとこうなるという。
「出かける時は場所と帰る時間を伝えるように教わらなかったの!?」
「ほ、放任主義の親だったので特には……」
「だったら覚えおきなさい! 『出かける時は場所と帰る時間を伝える』! はい、復唱!」
「で、出かける時は場所と帰る時間を伝える……」
「よしっ!」
結局この騒ぎは、不審に思った一人が覗きに来るまで続くのだった。
「あー……」
「……」
アインは顔をうつむかせて、ラピスは何もない虚空に視線をやりながら再び対面していた。冷静になるとかなりの馬鹿騒ぎをしてしまったことに、お互いに気後れしてしまっていた。
しばらくそれが続いていたが、ラピスはええいと唸りアインと向き直る。
「アイン、あんた手伝いに来たのよね。今から遺跡について説明するから、よく聞きなさい」
彼女はやや早口で言うと、テーブルに四つ折りにされた紙を広げる。アインは、ユウが見えるようにテーブルに置くと、おずおずとそれを覗き込む。
「遺跡は地下3メートルくらいに当時の石畳と思われるものが見つかっているわ。その周囲には石壁があり、それらは50メートル四方にまで広がっている」
ラピスが言うとおり、発掘図には四方を囲むように壁が描かれている。壁内部には規則正しく通路が配置され、それに沿って幾つかの小部屋が隣接している。そして、中心には魔法陣のようなものが描かれていた。
「これは……?」
「目下不明。ここは神殿みたいなところで、それは祭壇なんじゃないかって予想しているけど」
「発掘物は?」
「当時の食器と金属製のフォーク、服らしきものが幾つか。魔道具や古書物は今のところ見つかってないわ」
けど、とラピスは続ける。
「埋まっていたわりに、妙に発掘物が新しいのが気になるわね。見つかった食器も魔歴初期の様式なのよ」
「ふむ……」
顎に手を当てるアインにユウは尋ねる。
『どういうことだ? 遺跡なら埋まっていてもおかしくないんじゃないか?』
ユウが過ごした世界では、遺跡は地の下に眠っているものというのが一般的な認識だ。それが埋まっているのが気になるとはどういう意味だろう。
『ユウさんが言う遺跡は、おそらく数万年前のものです。しかし、魔歴初期の様式を持つ食器が見つかったということは、ここは約1500年前のものです』
『埋まるには時間が足りない、ってことか?』
『そういうことです。ここには大規模な火山もありませんし、自然に埋まったとは考えにくいです』
『じゃあ、なんで埋まってるんだよ』
『それを考えるのが学問でしょうが』
正論で窘められてしまった。その通りなのだが、アインに言われると何か腑に落ちない。
そんなユウに構わず、彼女はさらに疑問をぶつけていた。
「発見の経緯は?」
「建物の柱が地上に露出していたのを、通りかかった商人が見つけて協会に報告したの。完全に近い形で残っていたのは、ここの一本だけね」
「発掘状況は、6割程度でしょうか」
「それくらい。最初はマス目状に掘っていたけど、全体の形がわかってからは土砂を取り除くのが作業の中心ね」
「人手は足りているんですか?」
「結構キツイわね。魔術師はインドア派が多いし。かと言って一般人に手伝わせるのは破損が怖いし」
友人ということもあってか、アインは普段の挙動不審っぷりからは考えられないほど滑らかに会話を続けていた。重荷が少し軽くなったというのもあるかもしれない。
そうなると、ユウは暇になる。話が終わるまで寝ていようかと考えていると、
「そういえば、この剣はどうしたの?」
ラピスに持ち上げられ、褐色の瞳にしげしげと眺められる。
バレるのではという不安と、形の整った唇が間近に迫ったことでユウの鼓動が早まる。もっとも、感覚があるというだけで実際に鼓動しているわけではないのだが。
「ええと、それはユウさんで」
話の流れでそのまま答えてしまいそうになったアインは、慌てて口を抑える。その怪しい行動に、ラピスは首をひねる。
「ユウサーンっていうのこの剣? 変な名前」
頼むから上手く誤魔化してくれ、と無言の念を送るユウ。
アインの友人だしバレても問題ないとは思うが、その話がどこに広がるかはわからない。意思を持った剣という魔術的に貴重なものを狙う輩に伝われば、自分だけでなくアインの身にまで危険が及ぶ。
それを感じ取ったのか、彼女は冷や汗を流しながらも必死に弁明を行っていた。
「そ、そうです。ユウサーンは、私の友人で」
「友人? 剣なのに?」
「それくらい信頼のおける相棒という意味です。つまりそういうことです」
「けど、この剣の刀身錆びついてるわよ」
「この宝石が、ここが重要なんです! 形は器です所詮飾りに過ぎません!」
半ばひったくるようにユウをラピスの手から取り戻すアイン。かなり無理があるというか、怪しい弁明であったが、ラピスは納得したように頷いていた。
「ああ、あんた石集めるの好きだったっけ。それなら宝石だけ外せばいいのに」
相変わらず変な娘、とラピスは楽しげに呟くと折りたたんだ発掘図をアインに手渡す。
「後は自分の目で確かめて、手が必要そうなところがあったら手伝ってあげて。日が完全に落ちるまでは作業を続けるから」
じゃあ、またでね。アインの背中を軽く叩きラピスはテントから出ていった。
足跡が遠ざかったのを確認してから、ユウは喋りかける。
「……ふう。ヒヤヒヤしたよ」
「すいません……誤魔化し方が下手で……」
「まあ、しょうがないさ。それより、良かったな。これで一歩前進だ」
「……はい。けど、まだ一歩目なんですね」
そう、まだ一歩目だ。しかし、彼女にとってはこれからに繋がる大きな一歩となった。そして、それはユウも同じだ。次の一歩に繋がる足跡は、確かに残すことが出来たのだ。
「頑張りましょうっ」
アインは、気合を入れようと頬を両手で叩き、
「……いった」
強く叩きすぎて涙目になっていた。
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