第15話 一日の終わり、明日への一歩

「一年ぶりかしら、こうやってお茶を飲むのは」


 ラピス、とアインが呼んだ少女は優雅な手つきでカップを口に運ぶ。炎のように鮮やかな色をした長い髪が窓から吹き込む風に揺れる。イッサと対談した同じ応接室なのに、彼女が居るだけでカフェテラスに錯覚してしまいそうだ。

 年齢はアインとそう変わらなそうだが、大人びた雰囲気と少女らしいあどけなさの調和が様になっている美人。それがラピスに対するユウの印象だった。


「そう、ですね……」


 対面するアインは、固く握りしめた拳を膝に置き、視線を当てもなく彷徨わせたりと落ち着かない。目の前に置かれたカップに触れてすらいなかった。


「で、再開したと思ったら、ゼグラスと決闘じみたことをしてるし。相変わらずなのね」

「あれは……向こうから……」


 からかうように言うラピスに、アインはわたわたと手を振って否定する。原因の一端でもあるユウも、少しバツが悪かった。


「わかってる。あいつ、実力はあるんだけど変にプライドを拗らせてね。まっ、今回で少しは懲りたでしょう」

「はい……」

「もう、無口なのも相変わらずね」

 

 苦笑するラピスにアインは目を伏せる。鉛のように弾まない会話にいたたまれなくなったユウが、


『辛いなら代わるぞ? 大丈夫なのか?』


 そう言うが彼女の答えは、


『大丈夫です……大丈夫、大丈夫』


 自分に言い聞かせるように、そう言うばかりだった。

 大丈夫には見えないが、そう言われてはどうしようもない。不満に思いながらも、ユウは従う。


「同じ協会で魔術を学んだこと、覚えている?」


 ラピスは、どこか遠くを見るように言う。アインも、どこかホッとしような、やや緊張が解けた口調で答える。


「もちろんです。同じ日に協会に申請に来ていて」

授かりし者ギフテッドが二人、って大騒ぎになって」

「あのときは……本当に大変でした」

「その後もね。私が4元素を使えるのがわかると、アインまでそういうことになっていたし」

「ああ……そうですね。私は、土以外は初歩しか使えないのに、使いこなせることにされました」

「強請られた学生を助けに入って、相手を無言で痛めつけて、無言で立ち去ったせいで変な噂を立てられた時もあったわね」


 その時のことを思い出したのか含み笑いをするラピス。


「あれは、その、どう声を掛けるべきか迷っている内に、状況が悪化しそうだったので……」

「で、そんなことが何回もあるんだもの。流れでケチな盗賊を潰したこともあったわね?」

「ぐ、偶然です……そんなつもりではなかったんです……」


 なるほど、それが『銀色の死神』の真相か。そんなことをしていれば妙な噂の一つや二つは出てくるか。

 ユウは納得し、そして改めて目の前の光景が不思議だった。

 あのアインが、穏やかに会話を続けている。緊張気味ではあるが、時折微笑みすら浮かべていた。喜ぶべきなのだろうが、懐いていた犬が他人にも尻尾を振っているような寂しさを覚える。

 まあ、和やかに会話が進むなら問題はない。新鮮な彼女を楽しむとしよう。


「そして、1年前に急にあんたが消えたのよね」


 ユウがそう考えた矢先、空気が一変する。

 落ち着いたカフェテラスから、有罪を告げるための法廷へと舞台を移したラピスは、組んだ手に顎を乗せながら続ける。表情こそ笑っていたが、目の奥に滲むのは怒りだ。


「その前日に、私言ったわよね? 『一緒に上を目指しましょう』って。それに対してあんたはなんて答えた?」

「…………その、『私には相応しくない』と」


 問い詰められるアインは背中を丸め、ぼそぼそと答える。部屋の隅に追い詰められたネズミのように縮こまる彼女を、赤毛のネコはさらに追い詰める。


「あんたが団体行動が苦手なのは知っている。だから断られるのは――まあ、仕方ない。けどね、その次の日にいなくなるのは露骨すぎるでしょうが!」


 机を叩くラピスに、アインは俯いたまま目を合わせず細やかな反論を試みる。


「手紙は……残しました」

「短い謝辞と実家の場所だけ伝えられてどうしろっていうのよ! 行ってもあんたいなかったし!」

「その、何を書けばいいのかわからなくて……」


 バンバンとさらに机を叩くラピス。落ち着いた態度はポーズで、本来の彼女はどうやら感情をストレートに表すタイプのようだ。

 他人事のユウは呑気に観察できているが、当のアインは完全に追い込まれていた。

 

「まあ、それも『やるべきことがあるなら仕方ない』と納得させたわ。ええ、納得させたのよ。いつかあんたでも首を縦に振らざるを得ない役職を与えてやるってね。な、の、に!」

「ラ、ラピス……落ち着いて……」

「その原因が言うか! ふらっといなくなったと思ったら、ふらっと現れて! 私の気も知らないで!」


 ひとしきり叫んだラピスは肩で息をしていたが、やがて大きく溜息をついて言う。


「……まあいいわ。アイン、まだここにいるつもりでしょ」

「ええと……」

「いるわよね?」

「……はい」


 有無を言わせない迫力に、アインはガクガクと首を縦に振る。無関係なユウも、今は剣であることに思わず感謝した。

 ラピスは立ち上がり、


「まだ遺跡の調査は続きそうだから、あんたの手も借りることになるわ。そのつもりでいなさい」


 そう言って立ち去ろうと、ドアノブに手をかけたところで、


「……ねえ、いなくなった理由は言えないの」


 振り向かないまま独り言のようにつぶやき、


「何でもない。じゃあね」


 答えを聞かないまま、ドアの向こうに姿を消す。

 残されたアインは、冷めきってしまった紅茶を意味もなく眺め、そして深い溜息を吐く。後悔、自己嫌悪、無力感。苦い気持ちがそうやって吐き出せればどれだけ楽だろう。

 沈みきった彼女に声をかけるかユウは迷い――結局かけることを選択する。誰かが引っ張り上げなければ、いつまでも沈んでいそうだったからだ。


「……なあ、彼女とは友達なんだろう?」

「……私は、そのつもりです」

「だったら、どうして誘いを断ったんだ?」


 当てもない旅よりも、気心知れた友人と居るほうが彼女にとっては心地よいはずだ。なのに、自らそれを蹴っ飛ばした理由が思いつかない。

 アインは、ふっと嘲笑う。彼女は、他でもない自分自身を嘲笑っていた。


「……私は、自分よりもずっと優れた人を見続けても劣等感を抱かないほど出来た人間じゃありません。彼女は、私には眩しすぎたんです」


 つまらない理由です。そう言って彼女は両足を抱えるように顔を埋める。声は、雨が降る直前のように沈んでいた。

 自身を卑下するアインを、ユウは黙ってみていた。

 自分はどうするべきなのだろうと考え、そうじゃないと思い直す。するべきことではなく、自分がしてやりたいことを考えるべきだ。そしてそれは、考えるまでもない。


「つまらない人間なんかじゃないよ、お前は」


 彼女を支える。初めて出会った日、それは義務だと思っていた。それはいつしか願いとなっていた。


「ユウさん……」

「つまらない人間なら、憧れを馬鹿にされて怒ったりしないさ」


 憧れ、と聞いた途端アインはガバッと顔を上げてユウを握りしめる。顔が赤いのは、目尻に浮かんだ涙のせいか、それとも別の何かか。


「なんで知って……!」

「ウルフと戦った時、『あの人まで馬鹿にするのは許さない』って言ってだろ。で、ラピスのことは眩しすぎると言った。眩しいというのは善いもの、憧れのものに使う言葉だ。そう考えると、結びつけるのは難しくない」


 アインは、ユウの推理を黙って聞いていた。止める様子のない彼女に、問題無しと判断し続ける。


「そして、自分で喋ろうとしたのは誠実さだ。彼女に相応しい人間になるためには、誤魔化したくないと思ったから」

「……そこまでわかるんですか」

「お前はわかりやすいからな。それに、数日間で一番会話したのはアインだ」

「……」


 アインは、ぬるい紅茶を一気に飲み干し、乾いた喉と熱くなった顔を冷ます。そして、ぽつぽつと喋り始めた。


「……ユウさんの言うとおりです。私は、彼女には相応しくなかったから、そういうモノになろうとしたんです。決意が鈍らないために、すぐに街を飛び出して……」


 結果はこのザマですけどね。そう自嘲する彼女に、ユウは言う。


「なら、今から成ればいいさ。まだチャンスはある」

「そんなこと出来るでしょうか……」

「出来るさ。出来なかったら、俺がラピスに言ってやるよ。『こいつは憧れを拗らせただけです』って」

「それは駄目です! 絶対に、絶対に駄目ですからね!」

「じゃあ、出来るように頑張るしか無いな……くくっ」


 笑いをこらえるユウに、冗談だと気がついたアインは頬をふくらませるが、すぐに緩ませる。そして、


「ありがとうございます……ユウさん」

「おっ? おお?」


 感謝の言葉とともに、ユウを胸に抱きとめる。思いがけない行動に困惑する彼に、アインは囁く。


「これからも……私を支えてください。そうしたら、きっと歩いていけます」

「……ああ、もちろんだ」


 力強く答えるユウに、アインは微笑みで答え、さらに強く抱きしめる。

 人の体だったら役得だったのにと思いつつも、けれどこの体だからこそ今があるのなら、それも悪くない。ユウは、心からそう思った。


 この時間はしばらく続き――現場を目撃した学生によって新たな噂が追加されることになるが、それは別の話。

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