第11話 超高難易度依頼(個人差あり)
「さっきは騒がせて悪かったな。思いがけない有名人に会ったもんで、興奮しちまったみたいだ」
「…………いえ、お気に、なさらず」
アインは、空気の抜けたボールのように生気が感じられない言葉を返す。フードを被り直す気力もなく座ったソファにずぶずぶと沈み込み、そのまま呑まれてしまいそうだった。
ロビーでの騒ぎからアインを助けたのは、彼女の目の前に座る男性――イッサだった。学生の囲いから応接室まで彼女を逃してくれた彼は、大柄の鍛えられた体格で、魔術師というよりは軍人やスポーツマンの方が似合ってそうだ。
イッサは、カップをアインの前に置く。彼女は、疲れきった半眼で紅茶の水面を見つめていた。
「ただ、気持ちは理解してくれるとありがたい。優れたものにはどんな形であれ近づきたくなるもんだ。皆あんたに憧れているために、無作法なことをしてしまったと」
「……それは、はい……わかります」
がくんがくんと胡乱な動作で頷くアイン。完全に気力が削がれているせいか、逆に物怖じせずコミュニケーションが取れるという奇妙な状況になっていた。
しかし、それもいつまでも持つかわからない。そうなる前に、ユウが会話を担当する必要があるが、
『もう少ししゃきっとしてくれ。そんな態度に合わせて喋るなんて面倒で仕方がない』
『……無理です不可能です。なんでここでも変な噂が広がっているんですか』
どこかヤケクソ気味の態度が返ってくるばかりで、どうにもならない。
仕方ない、適当に言って帰らせてもらおう。ユウが、行動に移そうとした瞬間、
「っと、そうだ。貰い物のケーキがあるんだが食べるか? 俺はどうも」
「頂きます」
背中にバネが仕込んであるかのように体を起こしたアインは、食い気味にそう言った。ここまで素早い動きをする彼女は、後ろから急に話しかけられた時以外にはユウは知らない。
「……甘いものが苦手なんだが、どうやら余らせずに済みそうだな」
若干の呆れと皮肉が混じったその言葉にアインは、
「ええ、私に任せてください」
頼もしさすら感じさせる力強い返答で答える。ユウは呆れ、イッサは苦笑を浮かべていた。
イッサがケーキを用意しているの見計らいユウはアインに尋ねる。
『なあ、アイン。訊いていいか』
『いいですよ。ケーキの種類はおそらくチーズケーキですね。有名な店があると聞きました』
『ちげえよケーキの予想なんてどうでもいいわ。そうじゃなくて、ロビーでのこと』
聞きたいことは多いが、とりあえず、
『「銀色の死神」ってなんだ?』
それを聞いた途端アインは、間違えてブラックコーヒーを飲んだ時のような顔になる。
『…………言っておきますけど他称ですよ。一度も自称したことはありません』
『なんだ、そう言われてることは知ってたのか。どうして教えてくれなかったんだ?』
『わかってて言ってますよね? どう考えても人に名乗るようなものじゃないですからね?』
改めて恥ずかしくなったのか、アインは体を縮めて赤くなった顔を手で覆う。
『いいじゃないか、如何にもアレって感じで』
『その『アレ』は絶対に肯定的な単語は入りませんよね』
『ははは』
『笑いますか!? 酷い剣ですね貴方は!』
『で、どういう由来なんだ?』
アインは、憮然とした表情でそっぽを向きながらも、律儀に答える。
『……魔術基礎を学んだ街で過ごしているうちに、勝手に広まったんですよ。『銀髪の魔術師に会えば命はない』だの『銀髪なのは返り血を目立たせるため』だの好き勝手に……』
『……いや、勝手には広まらないだろ。何したんだよ』
予想外の回答に引くユウ。若気の至りとかではなくガチなそれだったのか。
アインは、違いますからと、首をブンブン振って否定する。
『犯罪行為はしてませんよ。むしろそういう輩を咎めることの方が多かったんですから』
『ホントかよ……』
余計気になる情報が出てきた所で、イッサがケーキをアインの前に置く。彼女の予想通りチーズケーキだ。
憮然としていたアインは一転して機嫌良さそうにフォークを取り、頂きますと言って口に運んでいく。
甘いものであっさりと機嫌を直す辺り子どもっぽいな、と思いつつもそんな単純さは嫌いではないユウだった。
「ところで、先日デスウルフをとっ捕まえたと聞いたが、本当か?」
イッサは、額に汗を浮かべながら尋ねる。下手な聞き方をすれば命に関わるため慎重になっている――わけではなく、アインのケーキが既に無くなっているためだった。
「ぅ、その……」
「はい、それは事実です」
気力を取り戻した代償にコミュニケーション能力を失ったアインに代わってユウが答える。彼女は、フードを被っていないせいか少し落ち着かないようだったが、イッサとは幾らか会話したせいかやや緊張気味で済んでいた。
「おお、さすがだな! いや、こっちでも奴らの話は聞いていたんだが、動ける魔術師が出払っていてな。このまま先延ばしになっていたら、魔術師自体の信頼が無くなっていたかもしれん。改めて感謝する」
深々と頭を下げるイッサ。律儀な人だ、とユウは思う。
「いえ、大したことでは……。しかし、魔術師が出払っていたとはどういうことですか?」
「規模の大きな遺跡が見つかったんだ。そこの調査に戦闘向きの魔術師を向かわせていた。大きさが大きさだけに、何が潜んでいるかわからないからな」
「なるほど」
それで、ムンド氏は『研究以外には興味がない』と言っていたのか。イッサの言うとおり、魔術師のアインが解決したのは結果的に最善だったわけだ。
「現場には、ここのトップであるレプリ殿も向かっている。彼のリビングメイルは調査に大いに役立つだろう」
「リビングメイル……街でも見掛けましたが、それも全部?」
リビングメイルは、ユウが街で過ごした数日間だけで荷馬車の馬から大きな屋敷の門前と様々な場所で見掛けた。それを、一人で作ったのだろうか。
ユウの問に、イッサは頷く。
「ああ、全て彼が製造した。結構な凝り性でな、わざわざ鎧から自分の手で作るんだ」
リビングメイル。即ち生きる鎧。
実際に生きているわけではなく、宝石に刻まれた魔術に則って動いているだけだとアインは言っていた。しかし、それはある意味無機物に命を吹き込むと言えるのではないか。
だったら、意志を持った剣に通じるものがあるかもしれない。
『なあ、そのレプリって人なら俺のことも何かわかるんじゃないか?』
『可能性はありますが……トップがわざわざ会ってくれるか』
『そうだけど、チャンスには違いないだろ?』
思考会話を続ける二人に、割って入った音は、再びアインの前にケーキが置かれる音だった。彼女は、ノータイムでお礼を言ってフォークを手に取る。
「さて、話は変わるんだが……アイン殿に頼み事がある」
「頼み事、ですか?」
「ああ、これは俺からの依頼と考えてもらっていい。正当な報酬も支払う」
どうする? というユウ。聞くだけ聞きましょう、とアイン。既にケーキは無くなっていた。
「どんな内容でしょうか」
「簡単だ。俺の授業の助手……というか、臨時講師を行ってもらいたい」
「臨時……講師? 魔術のですか?」
「その通り。実は、俺は魔術が使えないんだが、それに対して一部の学生はナメた態度を取る奴がいるんでな」
自嘲気味に言ってカップを口に運ぶイッサ。
「使えないん、ですか?」
思わず驚いた声を上げてしまうユウ。しかし、イッサは気にした様子もなく豪快に笑う。
「優秀な軍人が優秀な教官とは限らない、逆もまた然り。そういうことだ。まあ、その一部の学生を除いても、実践してやるのは他の学生にもいい刺激になる。それが有名人であれば尚更だ」
有名人、という言葉に先程のことを思い出したのか複雑な表情をするアイン。どうやら乗り気ではなさそうだが、
『アイン、受けてくれないか』
ユウは、逆に乗り気だった。願ってもない協会とコネを作るチャンスだったからだ。
『……私が、他人に物を教えるなんて出来ると思いますか? それも今後も関わるかもしれない学生に、私が?』
言葉の端々からNOという意志を感じさせるアイン。
喋るだけでも苦痛なのに、さらに教導しろというのは彼女にとってどんな依頼よりも難しい。ワイバーンの狩猟と二択であれば、迷いなくそちらを選ぶだろう。
そんなことはわかっている、とユウ。
『思わん。思わんが、ここは俺のために受けて欲しい』
『ユウさんのため……というかはっきり言いますね……』
『喋るのは俺だ。お前はただ突っ立っているだけでいい。簡単なことだろ?』
『不特定多数の前に立つだけで私は辛いんです……。まともな挙動を取れる自信がありません……』
『頼むよ。俺は知りたいんだ』
『うー……』
平行線の会話が続いたその時、ふと思い出したとイッサは言う。
「そういえば、アイン殿はラピス殿と友人だと聞いたがもう会いましたかな?」
「……ラピス?」
アインが発したその3つの音には、驚愕、緊張、動揺、不安、嫌悪――そして、本人とユウにしかわからない小ささの敬愛が含まれていた。
「ああ、ここで働いている。若いのに大したもんだよ彼女は。今回も遺跡調査に同行して、なんでも副隊長を任されたとか」
「ラピス……」
もう一度、その名を呟くアイン。誰だ、と尋ねることはユウには出来なかった。
「……どうかしましたかな」
何故なら、イッサが思わず尋ねてしまうほど、アインの表情は険しかったからだ。目の前のイッサも手に触れるユウにも構わず、俯いたまま唇を噛み落ち着かない様子で髪を掻き上げる。
何か葛藤している。彼女が触れているユウには、それがわかる。しかし、どうして葛藤しているのかはわからない。
何を言うべきか、その場に居る誰もが迷っていた。その数分にも満たない僅かで、しかし重い沈黙を破ったのは、
「………………わかりました。この依頼、受けさせていただきます」
沈痛な、しかし確固たる決意の表情を浮かべたアインだった。
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