第3話 襲来、農夫

 アインは、無言のまま男を睨みつけ、固くユウを握りしめていた。

 ユウは、突然殺気立つ彼女に戸惑いながらも改めて男の姿を観察する。

 つばの広い帽子、首元に巻かれたタオル、土に汚れたオーバーオール、背中に背負った大きな籠には、枝が詰め込まれている。

 どう見ても、燃料を拾いに来た農夫のおっさんだ、と結論される。実は歴戦の勇士が隠居生活を送っているという可能性も無くはないが、そんなことまで考えたら生きづらくて仕方ないだろう。

 つまり、ただの農夫に対してアインは過剰なまでに警戒心を向けている。その意味がユウにはわからなかった。


「……」

「……旅人のようだが、言えないこともあるのか?」


 アインは、無言のままユウの柄を握りしめている。それ以上近づけば斬る、と言わんばかりの態度に農夫も警戒を強める。

 どうする気なのかと、ユウが思っていると、ちらりとアインが視線を投げかける。

 たすけて、おねがい。

 その視線はそう言っているように思えた。が、ただの剣にどうしろというのか。剣は振るってもらわねば役に立たないのに。ユウが悩む間にも、アインは助けを求める視線を投げかけ続ける。

 今の自分に出来ることと言ったら、喋ることくらいだ。黙っているよりも、剣が喋ることのほうが状況を悪くするかもしれないが、農夫はアインの声を聞いていないはずだし、誤魔化せなくはないだろう。

 ユウは、そう判断し喋り始める。


「あー、その。旅の途中で休憩していただけなんだ」


 ……何か、声に違和感があったような。

 そんな気がしたが、ユウは構わず続ける。


「気を抜いた所に人が来たものだから盗賊かと勘違いしてな。気を悪くしたなら謝るよ」

「ああ、なんだ。そうだったのか。いや、こちらも通りかかっただけだ。野盗には気をつけなよ」


 ほっとしたように農夫は言うと、手を振ってそのまま立ち去る。その背中が見えなくなった頃を見計らって、ユウはアインに話しかける。


「俺が喋ってるってバレなくて良かったよ。というか、なんであんなに警戒してたんだ?」


 アインは応えない。まだ警戒しているのかとユウは思ったが、それは違った。彼女は、目を丸くして口元を手で覆っていた。

 彼女は、自身を落ち着かせるようにゆっくりと尋ねる。


「……あの、さっきのはどうやったんですか」

「さっき? なんのことだ?」

「……さっきです! 私の声で喋ったじゃないですか!」

「お前の声で? あーそういえば変な感じだったな」


 自分がイメージしている声と実際に発声されたものが噛み合っていない。先程感じた違和感はそれだったのか。

 一人納得するユウに、アインはずいっと顔を近づける。


「もう一度! もう一度やってみてください!」

「そんなこと急に言われても……あれ、出来てる?」


 今度ははっきりとわかった。確かに、アインの声で喋っている。


「すごい……声帯模写の魔術が使えるんですか?」

「そんなわけないって。俺は、一般人だよ」

「じゃあ、この剣自体の能力でしょうか……」

「どういう意味だ?」


 ユウが尋ねると、アインは仮説ですが、と前置きをしてから言う。


「さっき言った通り、ユウさんは意識だけが漂流した可能性があります。そして、その意識は剣に閉じ込められている。声帯模写は、この剣自体の能力で、それを使っているのでは」

「そうなのか……」

「実際は全然わかりませんけどね。ユウさんの言っていることが妄言じゃない証拠はないですし」

「それを言い出したらキリがないだろ。お前だって実は魔術師と思い込んでいるただの女の子かもしれない」


 その発言に、アインはむっとした顔をする。


「私が魔術を使えるのは事実です。さっき見せましたよね?」

「じゃあ、なんで農夫のおっさんにビビってたんだ? 魔術が使えるんだろ?」


 ユウの反論に一瞬言葉を詰まらせるアイン。


「それは、私が女性で彼が男性だったからです。残念ながら、旅人の女性に不埒な行いをする男性は、稀にですがいるのです。ですから、無用なトラブルを避けるためにも、警戒をしていたのです」


 彼女は、気持ち早口になって反論をする。彼女が言った理屈にはおかしなところはない。程度の差こそあれど、現代でも通じる理屈だ。

 だがしかし、とユウ。


「無用なトラブルを避けるためなら、あそこまでむき出しにする必要はないだろ。そのせいでおっさんも怪しんでたぞ」


 トラブルを避けるためなら、あの場面では適当に挨拶をしておけばよかっただろう。農夫も、ただ見知らぬ旅人らしき少女がいたから声を掛けただけなのだから。

 そう指摘するユウに、アインはそっぽを向く。そして、拗ねたように言う。


「……人と話すの、苦手なんです」

「ああ? コミュ障なのか?」

「コミュ……そこまでひどくありません。ただ、いきなり話しかけられたり、声をかけようとすると頭が真っ白になるだけです」

「それをコミュ障って言うんだろ。けど、その割に俺とは話せてるじゃないか」

「だって、ユウさんは人じゃなくて剣じゃないですか」


 ずばっと触れられたくない部分に容赦なく切り込むアイン。コミュ障呼ばわりした意趣返しかもしれない。


「……よく一人でやってこれたな」


 先程の様子から彼女は、初対面の相手と喋るのが苦手なコミュ障のようだ。つまり、最初の一言を掛ける勇気が出ないため、浅い付き合いの友人が出来ず親友が数名で完結するタイプだ。

 そしてそれは、旅をする者にはなかなか難儀な性格ではないか。


「一人だからこそやってこれたんですよ。旅の道中で会話が必要なことは無いですし」

「たった今必要だった場面がなかったか?」

「そ、それはたまたま……!」


 顔を赤くして怒鳴るアイン。そこでふと、ユウは思い至る。


「なあ、旅の路銀はどうやって稼いでるんだ?」

「……? 街で依頼があればそれをしますし、無ければ盗賊からもらっています」

「盗賊……? まあ、それはいいや。じゃあ、依頼を請け負うときには交渉する必要があるんだな?」

「まあ、そうですね」

「それは、上手くいってるのか?」

「当たり前ですよ」


 いっていないんだな、と目をそらして答える彼女から判断するユウ。

 だったら、交渉の余地がある。


「提案がある。交渉事は俺がする代わりに、旅に連れ回して欲しい」

「ユウさんが、ですか?」

「そうだ。アインの声で喋るなら、代わりは出来るだろ? その見返りに、俺がどうしてこうなったのか調べて欲しいんだ」

「ふぅん……荷物を増やす価値はあると?」


 訝しげに見つめるアインに、ユウはぼそりと呟く。


「『お金は欲しい……けど、護衛の依頼は他人と付きっきりでしんどい……』そう思ったことはないのか?」

「ぐっ……なぜそれを!」


 あからさまに動揺するアイン。思った通りだ、とユウ。

 この世界がどのくらいの文明度かはわからないが、アインの格好から主要な移動手段は徒歩。盗賊がいるということは、それから守るための仕事もあると踏んだのだ。そして、先程の彼女の様子からそんな依頼が出来るわけがない。


「俺を連れていけば、そんな面倒事はなくなるぞ。ただの散歩に早変わりだ」


 実際のところ、会話を代わったところで気心知れない他人がいるストレスがなくなるわけではないのだが、もちろんユウは黙っていた。


「それは……」


 彼女は、確実に揺らいでいる。目先の1万と将来の100万というが、今がまさにその状況だ。だから、自分に100万の価値があると思わせなくてはならない。

 ユウは、更に続ける。


「『割のいい依頼だけど、依頼人に話を通すのが怖い……話しかけづらい……』そういう経験はないのか?」

「……」


 思い至ることがあったのか、苦い顔をするアイン。もう一息、とユウは畳み掛ける。


「別に俺の言うとおりに動け、と言ってるわけじゃない。あんたの旅のついでに調べてくれれば構わない。旅の邪魔はしないさ」


 しばらく考え込んでいたアインだったが、ふぅと息を吐くと顔を上げる。


「……わかりました。確かに、ユウさんを持っていたほうがメリットは多そうです」

「じゃあ」 

「はい、交渉成立です。私がユウさんの脚になる代わりに」

「俺は、アインの口になる」


 言葉を引き継いだユウに、アインは頷く。


「では、よろしくお願いします」

「ああ、よろしくな」


 何もかもわからない世界、剣になった体。考えれば考えるほど、不安は尽きないが、それでも現状を受け入れるしか無い。何しろ道を決め、歩いていくのは自分ではない。


「忘れ物はなし……っと」


 このコミュ障の少女が、ちゃんと道を歩いていけるようにサポートしなければならない。それがひいては自分のためにもなるのだから。 


「……甘いもの、食べたいなぁ」


 一人決意を固めるユウをよそに、アインは気の抜けた言葉を漏らしていた。

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