第2話 見知らぬ世界で

 次に目を開けて目にしたのは、闇ではなく光だった。

 夢を見ていたのだ、とユウが思う間もなくそれは否定される。目に映る風景は、見慣れた自分の部屋ではなく、新緑が鮮やかな木々の中だったからだ。


「夢じゃないのか……」

「あっ、ユウさん。起きましたか?」


 ユウのつぶやきに応える少女の声があった。こちらを不安げに見る青い瞳の少女と視線が合う。


「アイン、だっけ」


 木に寄りかかって休む彼女は頷く。


「……大丈夫でしたか。急に喋らなくなったので、不安だったんですが」

「急過ぎて理解が追いつかなくてな……。ここは、どこだ?」

「先程までいた遺跡の外です」


 アインが示した先には、地面から僅かに露出する石造りの建造物が見えた。ぽっかりと空いた黒い穴は出入り口だろう。


「……なあ、ここは日本か?」


 ユウは、少し迷いながらもそう尋ねる。

 目を覚ましたと思ったら、まだ夢を見ている。そんな可能性もゼロではない。ただ、その可能性はそれこそゼロに近い。剣になった体でありながら、感じる世界は現実味にあふれていた。この世界が非現実なら、自分が生きていた世界も信じられなくなる。

 それならば、現状を受け止めた上で行動したほうがマシだろう。彼はそう結論づけた。


「ニホン? ここは、アステリア大陸ですが」

「アステリア大陸……何年の?」

「魔歴1720年ですね」

「……なに? まれき?」

「魔術が成立してからの年代という意味です」


  聞き覚えのない単語ばかりの返答に、ユウは頭を抱えようとし、その手が無いことを思い出す。

 その中で唯一聞き覚えのある単語が、魔術。自分が生きていた世界でも、魔術という概念は存在したが、それは空想の中でしか存在しなかったものだ。

 しかし、紀年にまで影響があるということは、そういうものが存在し信じられているとことになる。眼の前に居るこの少女も、そうなのだろうか。

 半信半疑のままユウは尋ねる。


「アインも、魔術が使えるのか?」

「ええ、一応魔術師なので」


 なんでもないことのように言って、アインは手をかざす。何もないその手から、青白い光球が生まれ、周囲を照らす。払うように手を振ると、光球は緩やかな勢いでまっすぐ進み、木にぶつかると弾けて消えた。

 言葉を失うユウに、アインは続ける。


「これは、明かりを生み出す簡単な魔術です」


 先程遺跡にいた時に使っていたのもこれですね、という言葉をユウは殆ど聞いていなかった。


「……これは、誰でも出来るのか」


「誰でも、ではありません。資質はある程度必要です」


 少し得意気に語るアイン。ユウは、黙るしかできなかった。

 あまりにも自分が知っている世界とは、かけ離れている。改めてその事実を突きつけられ、どうすればいいのか考えあぐねていた。何しろ、今の自分は立って歩くことも出来ないのだから。


「……先程から疑問だったのですが、ユウさんは何処出身なんですか? 魔術も知らず、アステリア大陸も知らないというのは初めてです」

「……何処、と言われると」


 実は自分はここではない異世界で生きていた人間なんですが、気がついたら剣になって遺跡にいました。

 こんなことを言って信じるものがいるのだろうか。だが、現状頼れるものはアインしかいない。右も左も分からないこの世界を知るには、彼女から情報を引き出すしかないのだ。


「実は……」


 ユウは、決心し喋り始める。ここではない世界で、普通の人間として生きていたこと。眠りから覚めると、剣になって遺跡にいたこと。元いた世界には魔術やアステリア大陸は存在しないこと。目が覚めてから今に至るまでの全てを、アインに伝える。

 アインは、それを真剣な表情で黙って聞いていた。


「……なるほど」


 聞き終え、彼女は満足げに頷く。


「……信じるのか?」

「いえ、まったく。いや、話としては面白いですが、この手の話は狂人がよく語るものですから」

「狂人扱いかよ……」


 狂人扱いは不本意だが、立場が逆なら自分だってそう思うだろう。だからと言って、落ち込まないわけではない。しかし、だったら何故満足そうにしているのだろう。

 アインは、指を2本立てて語り始める。


「大切なのは、2つ。ユウさんが、異世界から来たと主張していること。もう一つは、ユウさんが喋る剣であること」

「魔術があっても、喋る剣は珍しいのか?」

「モノに命や意志を宿すのは大魔術の領域ですね。生身部分をそのまま材料にしたわけでもなさそうですし」


 もしそうだったらゾッとしない。ファンタジーではなく、血生臭いSFの世界だ。

 ユウは、嫌な想像を振り払い質問を続ける。


「それで、異世界出身の喋る剣であることがどうして重要なんだ?」

「信じられない、と言いましたが。実は、異世界から来たと主張する人物は数十年に一度は現れます」

「けど、狂人扱いなんだろ?」

「大抵はそうですね。しかし、極稀に本当にそうとしか思えない知識を持つものがいて、尚且つどこで暮らしていたのかわからないという者がいるんです。『漂流者』と呼ばれるんですが」

「漂流者……。他に特徴は?」

「『ここはどこだ』『自分は死んだはずだ』と皆が口にするらしいです。そして『空から落ちてきた』と」


 死亡した人間が別の世界で生まれ変わる。それが漂流者ということだろうか。ユウも、一つを除き説明に当てはまっていた。


「……死んだつもりはない。けど、空から落ちる夢は見たような気がする」


 ユウは、記憶の沼を探っていく。掴みどころのない夢を泥の中から探すのは難しいと思われたが、意識した途端にふっと浮いてくるものがあった。

 真っ白い雲海。その上に立つ自分。空は海のように果てまで広がり、底にあるのは新緑の絨毯。それを見ようと、ふらっと端に近づいた自分は雲から落ち、そして――。


「そうだ……地面にぶつかる瞬間に目が覚めて……最後に見たのがこの剣だ」

「ふぅん……だとすると、意識だけが漂流してしまったのがユウさんなのかもしれません。まあ、実際はわかりませんけど」


 興味に無さそうにアインは言って、


「値段には関係無さそうですし」


 なんでもないことのようにさらっと続けた、


「……は?」


 こいつ、今何と言った。

 呆然とするユウにアインは告げる。


「マニアでもいいですし、研究畑の魔術師でもいいですが、どちらにせよいい値段になると思いますよ」

「待て待て!? 俺を売る気かよ!?」

「私は、剣はそんなに得意じゃないですし……研究もそこまで興味ないですから」

「おまっ!? 人の話聞いてたか!? 急に異世界で剣になって途方に暮れた男を売っぱらうとか鬼か!」

「大丈夫ですよ、きっと大切に扱ってもらえます」

「マニアだの研究者だの何されるかわからねえよ! 一生棚中や薄暗い部屋で過ごすなんて身体の前に心が死ぬわ!」


 自分の身に何が起きたのかすらよくわかっていないのに、棚飾りとして売られたら一巻の終わりだ。それは絶対に避けねばならない。

 ユウがそう言っても、アインは微妙な顔をするだけだった。


「そう言われても……あまり旅に荷物は増やしたくないですし」

「役立つから! 刃物は旅の必需品だから!」

「ナイフはありますし。それに、刀身も錆びついてましたよ」

「封印! 強すぎる力を抑えるための封印がされているんだ!」

「いや、ないでしょう」


 主にユウがぎゃあぎゃあと捲し立て、それにアインが冷静に応えるというのがしばらく続いていた所に、一本の影がさす。


「ッ!」

「うわっ! 急に掴むなよ!」


 ユウと話していたときの柔らかい表情は鳴りを潜め、代わりに緊迫感に溢れた表情をしていた。いつの間にか、外套のフードを被っている。

 ユウも、その空気に思わず喚くのを中断する。アインの視線の先には、一人の男が立っていた。

 男はにいっと笑い、一歩、二歩近づき、止まる。


「あんた、そこで何してるんだい?」


 硬い表情のアインは、沈黙で応える。その目には、強い警戒心と敵意がむき出しになっていた。

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