episodeー4

 翌日はゲストとして招かれる母親と一緒に和装で会場へと向かう。

 墨黒すみくろの長着に濡羽色ぬればいろの羽織を羽織った依恋えれんは、八月の終りに和装と言う拷問極まりないこの日が正直苦手だった。


 場内は出雲屋いずもやのお得意様が集まり、新作のお披露目やショー、展示即売と言ったシーズンで最も大きなイベントだ。

 勿論、出雲屋の社員達は接待、接客、休む暇もない程忙しい。

 あの言語力に問題のある天然男のみやびでさえ、一日中紳士淑女の相手をしている。


 雅が高校を卒業して店に出始めた頃、女子の告白を一刀両断する様な男に接客業など務まるのか、と懸念していた依恋だったが、嘘偽りのない雅の接客は「誠意」として受け取られる様で、案外すぐに呉服屋の跡取りとして馴染んでいたように思う。

 三人の姉から「悪い所は口に出さずに良い所だけを言う様に」と念を押されていたと言うのを知ったのは、結構後になってからだった。

 元々切れ長のひとみで涼しげなアジア系の顔は和装が良く似合いマダムに人気があったし、厳しく育てられただけあって雅にはそこにいるだけで品がある。

 

「よく来てくれたね、綿貫わたぬき君――」


 会場の入り口近くで壁の花宜しく暇を持て余していた依恋の耳に、出雲屋の大旦那――つまり雅の祖父に当たるのだが――の声が届いた。

 綿貫君。

 どっかで聞いた事がある名だと、声の方へと首をくゆらせその既視感の出所を探る。


「あ……」

「え……?」


 常陸ひたちの職場で鉢合わせたあの男だ。

 意外に近い所に立っていた綿貫が、思わず声を上げた依恋へと視線を寄越した。

 青丹あおにの長着に象牙色ぞうげいろの羽織を清々しくも粋に着こなした黒髪の男は、数度瞬きをして記憶を辿っている様に見えた。


「いや、えっと……人違い……」


 真の抜けた返事を返した依恋を見て、大旦那様が満面の笑みで近寄って来る。


「何だ、依恋来とったのか」

「爺ちゃん、毎年来てんだから来るに決まってるでしょ……」


 白い顎鬚を豊かに蓄えた呉服屋の大旦那様は、依恋の母親が経営するクラブマリィの常連で、依恋が雅と仲良くなったのもこの爺さんが店に出入りしていたのがキッカケだった。


「今年は若い人が沢山来てくれて嬉しいねぇ。そうだ、綿貫君。孫娘を紹介しよう」

「え、いや……」

「爺ちゃん、このお兄さんすっげぇ美人な彼女いるよ。この前偶然見たんだ」

「何じゃ、それは残念じゃな」

「ははっ……すみません……」

「爺ちゃん、あっちでママが呼んでるよ」


 依恋は呼んでもいない自分の母親を指して爺さんを熟女のアリの巣へ強制送還する。この孫娘の旦那探しを生き甲斐にしている爺さんにあんまり長居されると、自分も餌食になるのが目に見えていた。


「すまない、ありがとう。えっと……」

依恋えれん。別にあんたの為じゃないけど……つか、俺の事覚えてんだ?」

「ふっ……忘れるわけ、無いだろ。あんな現場見せられて」

「……まぁ、そりゃそうか。つか、別にあんたの為じゃないし。あんたが女紹介されて嫌な想いすんのはあの人だろ」

「嫉妬されるのも悪くないけどね」

「嫉妬……? 常陸が?」

「結構、ヤキモチ焼きだからね、あの人。助かったよ」

「へぇ……。つか、綿貫さんって結構お人好しだよね。俺がまだ常陸の事好きだったら、どうすんの?」

「常陸が君はとてもいい子だって言ってたよ」


 綿貫は壁に凭れたまま腕を組んでニヤリと依恋に笑い掛けた。

 大人の余裕と言うヤツだろうか。

 もう自分との関係すらこの人に打ち明けているのだと知って、依恋は俄かに驚いた。

 常陸の事だから必要ない事は喋らないと思ってたからだ。

 あの常陸が、この男の事になると嫉妬する。

 想像もつかないけれど、この男の事になると常陸は自分の知らない男になるんだな、と依恋は少し可笑しくなった。

 五年も一緒にいたのに、まだ、と言うか自分には知る事が出来ない事が多過ぎる。


 会場内で客に足止めを食らって身動きすらままならない雅を見付けた。

 相変わらず飄々としているが、仕事となると疎かには出来ない性分で、集る客相手に丁寧に対応している。

 ずっと遠くから眺めていても、一度も目は合わない。

 来ている事は分かっているはずなのに、依恋は自分を探そうとしない雅の視線を追った。


「あれが出雲屋の若旦那か。美形だな」

「何、綿貫さんってあんな顔が好きなの? 常陸は可愛い系……って言うか、ジェンダーレスって感じじゃん」

「好きなのは、君だろ? 依恋。ずっと目で追ってる」

「……」

「常陸が言ってた。相当好きな子がいるんだろうって」

「うるせぇな……ちげぇよ! つか、常陸から俺の話聞き過ぎじゃねぇ?」

「そりゃ、洗い浚い吐かせたに決まってるだろ。君との出会いから、最中の手管まで白状させたからね」

「うわ……鬼か。常陸も良く喋ったな……」

「口を割らせる方法なんていくらでもある」


 一見優男に見える綿貫は、そう言って悪い顔で笑っていた。


「……それ、教えてくんない?」

「ん? 何か聞き出したい事があんの?」

「聞き出したいって言うか、本人も分からないらしいんだけど、俺は兎に角本音が知りたい」

「つまり、一線を超えれるかどうか本人の口から聞きたい、と?」

「可能性があるかどうかが知りてぇの! そんな即物的にすぐヤリてぇとかじゃなくて!」


 少し声が大きくなった依恋は、我に返って周りを見渡した。

 綿貫は一瞬驚いて、次の瞬間には控えめに顔を逸らして吹き出す。

 綿貫に笑われて依恋は自分の格好の付かなさに小さく舌を打った。

 五つの歳の差、だけじゃない。

 今の自分が、いつもの自分らしくない居心地の悪さを感じて居た堪れなくなる。


「常陸の気持ちが少し分かるな」

「何だよ……?」

「君は構いたくなる。依恋、ちょっと耳貸して……」


 耳打ちされた内容を、常陸に遣って退けたのだとしたら、常陸はどんな顔してどんな声で白状したのだろう。

 依恋はこの優男が本当は優男では無い事を確信する。

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