episodeー2

 段々悔しくなって来た依恋えれんはどうにかして雅を困らせてやりたい衝動に駆られ、絶対に押してはならないスイッチを押してしまった。


「俺、つい最近まで他の人と付き合ってた」

「だから何だ?」

「別に……想像出来ないとか言うから、教えただけ」


 少しは嫉妬するかと思いきや、全然意に介さないみやびに依恋は今日はもうこの話は止そう、と溜息を吐いた。


「僕にだって恋人位いたことがある」

「……え?」


 まさかの爆弾発言に、依恋はハンドルを切り損ねる所だった。


「い……つ……?」

「教える必要はないだろ」


 依恋の知る限りでは、雅が女の陰なんてチラリとも匂わせた頃はない。

 ただ、自分がバレない様に他の男と会う時間があったと言う事は、雅にも同じ条件が存在している事は確かだ。

 父親がアメリカ人のハーフである依恋は、子供の頃から背も高く、プラチナブロンドに淡藤色あわふじいろの眼球は周りの目を引いた。

 ただ自分が性的興奮を感じるのが同性だと気付いてからは、卒なく女性を躱しつつどうしたら良いのか分からないまま雅への思いを募らせる一方だった。

 高校に入る頃にはその容姿が余りにも人目を引き過ぎるので、髪を黒く染めてカラーコンタクトでひとみを黒くした。

 雅は何も言わなかったけれど、和装する事が多い雅の隣にいて浮いている自分が嫌だったのが一番の理由だ。


 返す言葉に詰まったまま会場に着いて、顔色一つ変えない雅は着物の裾が乱れない様に片手を添えて、慣れた所作で車から降りた。


「今日は夜中まで準備だろうから、お前はもう帰って良いぞ、依恋」

「あぁ……うん」


 待望の長男だった雅は、末っ子だがかなり厳しく育てられていた。

 母親が水商売していた依恋の家とは違い、爺さんや両親から日々厳しい躾と将来店を継ぐ為の教育が幼い頃から課せられ、饒舌じゃ無い雅は良く納戸に隠れて人目を忍んで泣いていた。

 姿が見えない時は大抵そこに行けばいる。

 気持ちを上手く言葉にする事が出来ない雅は、依恋の姿を見ても黙々と泣き続け、分かりやすく言葉で励まそうとすると不機嫌になるので、雅を背中から抱き締めるのがその頃のお約束だった。

 その頃既に三つ年上の雅より依恋の方が体が大きかった。

 ゆっくり、ゆっくり、涙が止まるまでそうして後ろから抱き締めてあげる。

 前から抱き締めると、嫌がる猫宜しく抵抗されるのだ。

 理由は顔が見えるから、と言う素直でバカバカしい理由だった。


 そう言う子供の頃の積み重ねが、今現在に至っても影響しているのだろう。

 依恋にとって雅は、心配でたまらない守るべき存在だ。

 

「いつだ……? って言うか、相手誰だよッ!?」


 自宅へと車を走らせながら車内で一人叫ぶ。

 あの雅が、自分以外の人間に特別な感情を抱いた事があると知っただけで、思考回路が停止する程度の衝撃がある。

 

 確かに依恋と雅はセクシャルな関係は一切ない。

 反物を撫でる細い指先に見惚れたり、窓枠に腰掛けて文庫本を読む伏目がちな眸に煽られたり、相変わらず涙もろい所がある雅に欲情したりしても、だ。

 親友、幼馴染、名前はどうであれ、そう言う健全な関係だった。

 ただ、依恋にも雅にも「他の人とは違う」と言う特別な認識が暗黙の了解であった。

 少なくとも依恋はそう認識していたが故に、この度の「恋人がいた」発言に度肝を抜かれたのだ。


「あの言語力で女口説けるのかよ……」


 もし、肉食系女子に押し倒されたとしてもだ。

 あの男の事だから平気で「重い」とか言うだろう。

 物凄い年上の女性に翻弄されたとか……。

 酔った勢いで既成事実作られてバカ正直に責任とか言われて……。

 いや待て。そもそも、あいつに性行為の知識が正しく認識されているかは疑問だ。

 恋人イコール結婚とか宣うピュア星人にとって、婚前行為は不純で不埒な部類に入る筈だ。


 まさか……もう、婚約しているとか……?


 そこまで考えて依恋は何かを振り払う様に頭を振った。

 自分だって雅に内緒で性的な関係を続けていた相手がいる。

 しかも五年も。

 十八歳からずっと、体だけの関係を続けていた相手は五つ年上の優しい人。

 母親の経営するクラブの路地裏で、たまたま男とキスをしているその人を見掛けて、目が合った。

 感情の無い虚ろな眸をしたその人が、たった今瞼を伏せると言う瞬間に目が合い、依恋の視線に気付いた彼は、一瞬だけ驚いた顔を見せた。

 当時、自分が男を好きになると言う事をどうしたら良いのか持て余していた依恋は、その男に「色々教えて欲しい」と頼んだのだ。

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