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「そうだよ、あの容姿だから、評判になって教区以外の人も聴きに来るらしいよ。僕も練習を聴かせてもらったけど、相当上手い! 声が良いだけじゃなくて、プロみたいに上手いんだ。それで訊いたら、前から歌手のようなことをしていたんだってさ」
「ナイトリー先生が歌手ですか!」
「意外だろ? この話が結構すごいんだ」
と前置きして、ハート氏が語ってくれたナイトリー先生の過去は、下町で貧しく育ったシェイラでも驚くほどのものだった。
本人曰く、「貧乏人生の中でも最も困窮した時期」を救ったのが、歌だった。神官である彼の養父は、奴隷少年を数年間酷使した後に宗教界の方針に従って自らの養子とし、奴隷の身分から解放した。養父はハイマント大学の神学部に入るための推薦状を書いてくれたが、お金はくれなかった。無一文の彼は遠方のハイマント市に行くために、昼は公園や観光地で、夜は歓楽街の飲み屋で、歌を歌った。そうして得た投げ銭で、食い繋ぎながら街から街へと移動した。大学時代もまた、数々のアルバイトと歓楽街での歌手活動が生計を支えた。学費の借金を最低限に抑えるため、働きながら飛び級して二年で卒業。十九歳で正神官となりメレノイ市に赴任する。
「ローガンと話していると、才能も根性も凄すぎて、驚かされることが多いよ。方々で伝説を作っているんだ。あいつは本当に凄い!」
ハート氏は誇らしげに、自慢するように話す。しかしシェイラは、彼の苦難を想像して胸が痛かった。
容姿が良いせいで、ナイトリー先生は一見、気高い王子様に見える。着古しの安物を身に付けていても、不思議だがそう見える。しかし本当は、その正反対なのだ。
愛しているのに、まだまだ知らないことがたくさんある。当たり前の事実が、なんだか恐ろしかった。
「他には? 他には何か言っていませんでしたか?」
彼のことをもっと知りたい。欲求がよほど顔に出ていたのか、ハート氏が苦笑いした。
「近況はそんなところだよ。僕も男友達に会って、そう根掘り葉掘り訊かないからね」
「えっと、では……わたしのことを、何か言っていませんでしたか?」
「そうだね……勉強のことを心配していたかな」
「ああ、そうか。わたし、進級できなかったんです。でも、これは単位の関係で、入学した時にはもう決まっていたことなんです!」
シェイラは勉強の状況と飛び級計画のことを、熱を込めてハート氏に説明した。そして最後に「……とナイトリー先生に伝えてください」と付け足すと、ハート氏は大笑いした。
「分かった、次に会った時に伝えるよ!」
「あの、勉強のことだけですか? 他には何か言っていませんでしたか?」
愛の言葉がなかっただろうかと、期待してしまう。
「何もないよ。あいつは多分、君の話はしないようにしているんだ。僕に君のことを何か言えば、それが君に伝わると分かっているから」
「わたしに何も伝えないように?」
「そうだと思うよ。伝言をしたら、会いに行ったのと同じ……ということじゃないかな」
「悲しいです……」
すると、ハート氏は安心させるように、にっこりと微笑んだ。
「大丈夫だよ。僕なんか当てにしないで、君は直接、ローガンと話せばいいんだ」
彼は折り畳んだ小さな紙をくれた。まさかと思いながら開くと、そこには神殿の住所が書かれていた。
「……他人の恋愛に関わらないって、言っていませんでしたっけ?」
恐い物でも見たように、シェイラは表情を無くしていた。それが意外だったのだろう、ハート氏も真顔になる。
「嬉しくないの?」
「嬉しいです、もちろん! でも……ナイトリー先生はもう会わないって、……会いたくないって言っているのに、会いに行って良いのかどうか……」
「会うかどうかは君が決めればいいよ。僕は居場所を教えただけ……ということにしておいてよ」
「会いに行って良いと思いますか?」
「僕には何とも言うことは出来ないよ」
シェイラも、何も言えなかった。ハート氏は心配そうにこう言った。
「もしかして、さっきの貧乏の話で気持ちが引いてしまったのかな。……そんなつもりはなかったのだけど」
「違います。そんなこと、何とも思っていません」
違うはずだと、心の中で自分に言い聞かせた。ナイトリー先生が貧しいことは、出会った時から知っている。なのに、彼の過去を聞いた時、どうして恐怖を感じたのだろう。
「まったく、これは責任重大だ。僕が言ったことしかお互いに伝わらないとなると、僕のさじ加減ひとつで、君とローガンの関係を作ることも壊すことも出来そうだ。この立場が怖いよ……」
「すみません……。でも本当にさっきの話は何も関係ないですよ」
その立場から降りたくて、居場所を教えることにしたのだろう。ハート氏はやはり、他人の恋愛に関わりたくないのだ。
「それに、ハートさんはそんなことしませんよね? 嘘を教えて、仲を壊そう……とか、その逆とか」
「もちろん嘘はつかないし、注意して話しているつもりだよ。でもね、そんなつもりはなくても、無意識に操作してしまうのが恐いんだよ。だから、僕の話は、鵜呑みにしないで」
「はあ……」
シェイラは思わず苦笑いする。これがハート氏なりの誠実さなのだろうが、「冷たいな」と思ってしまう。きっとこの淡白な性格が、女性を遠ざけるのだ。
すると、ハート氏は一転して明るい調子でこう言った。
「それはともかく、シェイラの近況を聞かせてよ! 夏期休暇はどうだった? 次に会った時に君の話をしないと、友人が悲しい顔をするのでね」
冷たい……のではないのかもしれない。シェイラが話し始めると、ハート氏は笑顔で聴いてくれた。まだ母が存命だったころ、彼が組合員の生活ぶりを見に訪ねて来てくれた時のことを思い出す。まだ一人ぼっちではなかった頃の、懐かしい思い出だった。
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