11-6



 二人が手元を見ていて気づかないのを良いことに、シェイラは様子を観察した。

 パメラが、いつもと違って見える。最近買ったとしか思えない流行のブラウスに、普段より念入りな化粧で嬉しそうに微笑んでいる。その顔はけっこう可愛らしくて、いつもシェイラに見せる意地の悪さが全然出ていないのだ。

「シェイラ、ちょっと待ってね」

 いつの間にか気づいていたらしい。ハート氏が箱に目を落としたまま言った。

「……十、十一、十二……ほら開いた」

「あ、すごい! どうするの?」

 パメラがはしゃいだ声を上げる。ハート氏は指で指し示して箱の動かし方を教える。パメラの箱が開いたところで、シェイラは声を掛けた。

「なんですか、それは?」

「秘密箱だよ。決まった手順で側面を十二回スライドさせると、箱が開く仕組みなんだ。理事長の旅行土産で、みんな貰った」

 ハート氏はパメラに別れの挨拶をすると、シェイラと一緒に歩き出した。背中を睨まれているような気がして怖かった。

「これ面白いよ。閉める時はさっきの手順を逆に十二回っと。…………閉まった。どういう仕組みだろう? 誰が考えたんだろ? 自分で作れるかな?」

 ハート氏は外に出る間も秘密箱に夢中だった。黒い眼がキラキラと輝いている。

 この人は、シェイラが思い出せる限り思い出しても、女性の影というものが一切ない。

 『真面目で恋愛下手の男は、愛のない結婚でも満足する』……エリザベスたちの恋愛論の一つだ。ハート氏は、これに当てはまるのではないかと、シェイラは思っていた。

 男性にとって、自分の地位や財産に対する評価は、自分自身に対する評価と同一である。たとえそれが実力とは関係なく、親から受け継いだものであってもだ。恋愛下手な男性は気に入った女性を自分から口説くことが出来ないので、女性から来るのを待つか、財産を条件とした縁談を待つしかない。そして相手の女性が完全に財産目当てだったとしても、財産も自分自身の一部だと思っているから問題にはならないのである。

 正面入り口から外に出ると、ハート氏は立ち止り、こう言った。

「もう十月だね。シェイラ、ローガンには会った?」

 シェイラはびっくりして、食らいつくような勢いで言い返した。

「会ってませんよ! 会うわけないじゃないですか! わたしはナイトリー先生の神殿も、自宅も場所を知らないし、彼の方は、わたしと二度と会わないと言ったんですよ! でも、そうやって訊くということは、会ったかもしれないから訊いたのですよね? ナイトリー先生が、わたしに会いに行くと言ったのですか? そうなんですか?」

「いや、違う。ローガンが君に会いに行くと言ったわけではないよ」

 ハート氏は慌てて否定した。

「じゃあなぜ、『会った?』なんて訊いたのですか? 何か、わたしたちが会いそうな出来事があったからではないのですか?」

「違う。何もないよ。紛らわしいことを訊いて、ごめんなさい」

 シェイラはそれでもまだ「何もない」とは納得できなかった。ハート氏は察したのか、こう続けた。

「僕は『会いに行けば?』と勧めたけど、奴は『行かない』の一点張りでね。でも、ふともう我慢が限界になって会いに行ったんじゃないかと思って、訊いたんだよ」

「来ていませんよ……。ナイトリー先生はわたしに会いたいでしょうか?」

「会いたいよ。会いたいに決まっている」

「そうでしょうか……」

 本当だろうかと、疑う気持ちだった。ハート氏にそう見えるだけではないだろうか。

「ああ、あいつはほんとに、なんて頑固なんだろう! 自分がこうすると決めたことを、最後までやり抜かなきゃいけないと思い込んでいるんだ」

「真面目だから」

「真面目だし、むだにプライドが高い」

 シェイラは思わず噴き出した。

「プライドが高いなあ~とは、わたしも思っていました」

 ハート氏も微笑する。

「そうだよね。よくあれで今までやってこられたなあと思うよ」

「ナイトリー先生は、お元気なんですか?」

「そうだね、最近は忙しそうにしている。家庭教師で、受験生の面倒を見ているから。メレノイ王立大学を受けるんだってさ」

「難しいのですか?」

「わが国で一番難関の大学だよ」

「へえ~、すごい……。他には、何をされているのですか?」

「そうだな、あいつは最近、歌っているよ」

「歌?」

「聖歌をね。教区に聖歌隊がないから、礼拝の時に、自分で歌ったらしい。そしたら評判が良いので、毎回歌うようになったということだよ」

「へえ~、歌だなんて意外です。でも……声が良いから分かる気がする! それにあの容姿だから、きっと歌っているところも様になって、似合っているでしょうね」

 きっと神話の若い神か、天使が聖歌を歌っている感じになるだろうと、シェイラは想像して胸をときめかせた。


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