11-5



 翌朝から、本格的にエリザベスの教育が始まった。

 シェイラは普段自分がしている仕事を吟味して、彼女が一人で出来そうなものから、少しずつ本人にやらせることにした。どんなに簡単に見えることも、最初は手取り足取り教えた。朝は時間がかかることを見越して、今までより三十分早く起こした。洗面は、寮のメイドが配ってくれる水瓶を持ち、洗面台に水を張ることから教える。着替えは時間がかかるものの、一人で出来るようだ。そして髪結いが、最初の難関だった。世の中に、三つ編みの仕方を知らない女の子が存在するなど、信じられるだろうか。驚愕していても進まないので、毛束を三つに分けるところから教えてあげる。彼女のプライドを傷つける言葉は、決して吐かない。

 難しいと思われることは、今まで通りシェイラが手伝った。過度な負担を掛ければ、エリザベスは切れてヒステリーを起こすだろう。食堂での給仕など、二人以外の目がある場所での仕事も、彼女は嫌がった。これも諦めて、シェイラがすることにした。

 だんだんと疲れて、エリザベスが不機嫌になってくると、「お父様のために頑張ろう!」と声を掛ける。彼女は物凄い眼でシェイラを睨み付けるが、そのあとは、しぶしぶ作業に戻るのだ。

 どんな仕事も、シェイラがすれば一瞬で終わるものが、何分もかかるようになった。付きっきりで教えるので、シェイラの手間は減るどころか増えただけである。以前よりさらに忙しくなり、疲労は増し、数日後には、この方向性で良かったのだろうかと、後悔しそうになった。

 けれど一週間もすると、エリザベスも慣れてきた。彼女は何も言われなくても、顔を洗い、着替えをし、髪をとかすようになった。これだけでも、シェイラは少し楽になった。

 エリザベスの自立を進めながら、飛び級計画も進める。単位の相談をするため、シェイラは事務室を訪れていた。説明を終えたパメラは、シェイラを引き留めて質問した。

「ねえ、あなたはハート氏と前から知り合いなのよね? 彼って恋人はいるのかしら?」

 来た! エリザベスから聞いた話を思い出して、シェイラは笑いそうになるのを堪えた。

「さあ、いるとは聞いたことがないですけど、いないのかどうかは分かりません」

「なんだ、知らないの?」

 パメラは期待外れという顔をする。

「知らないですよ、そんな話しませんから」

「ふうん……」

 と言ったきり、パメラは思案顔になり、シェイラは無視された状態になる。暫く待ってから、声を掛けた。

「あの……それだけですか?」

「え? それだけよ。はい、ご苦労様」

 今度は、「まだいたのか」とでも言うように追い払われる。たとえハート氏に恋人がいなくても、あなたにチャンスはない……と、シェイラは思わずにはいられなかった。

 事務室を出る前に、黒板の予定表を確認した。「理事会」の文字を探して、シェイラはあっと声を上げそうになった。九月の理事会が、なんと二週間も前に終わっている。

 一瞬、めまいがした。

 二週間前は新学期が始まった直後だ。多忙だったシェイラは、理事会の日程を確認することすら忘れていたのである。ナイトリー先生との唯一の接点を、逃してしまった。

 その日の放課後はずっと寮にいた。ハート氏が来てくれれば会えたのに、そうしてくれなかったこともまたショックだった。学院一の美少女だろうが、顔を見てから帰ろうなどとは思ってくれないのである。

 次の理事会は三週間後だった。その日になり、シェイラは会議を終えたハート氏が出て来るところを捕まえようと、正面入り口の前で待ち構えていた。

 廊下で待つことは、お茶出しに出入りするパメラの目が怖くて出来なかった。白髪の紳士や、腰の曲がった紳士たちの一行がシェイラの前を通り過ぎ、階段を下りて、樫の並木道へと去って行った。ハート氏はなかなか現れない。不安になったシェイラが会議室に向かうと、彼は廊下でパメラと立ち話をしていた。

 二人とも、手に何か持っている。寄木細工の小さな箱だ。

「五、六、七、……」

 ハート氏が回数を数えながら、手の中の箱を操作していた。パメラがそれを覗き込み、自分の箱を同じように操作しようとする。

「五、六っと……、ええと、次は……」

「次は、ここを、こっちへ……こう」

 箱は側面を横へ押すと、板がずれる仕掛けになっている。シェイラは、ハート氏が箱の動かし方を教える時に、パメラの手を握るのではないかとドキドキした。

 エリザベスから、パメラがハート夫人の座を狙っているかもしれないと聞いたとき、シェイラは「まあ無理だろうな」と思った。それは彼女の器量がよろしくない……つまり、良く言えば豊満、悪く言えば小太りで、レーズンパンのように膨らんだ、あばたの目立つ顔をしている……からなのでは、決して、ない。ハート氏は賢いので、財産目当ての女が近づいてきても、すぐにそれと気づいて騙されはしまいと思うからなのだ。

 しかし今は、「そうでもないのかもしれない」と思うようになっていた。


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