10-5



 誰かが魔法で彼を操っているのか? まるで漁師の仕掛けた網に、魚が泳いで入って行くようではないか。シェイラには彼が詰問されに来たようにしか見えなかった。

 朝食を運んできたメイドが立ち去ると、彼は神妙な面持ちで話し始めた。

「シェイラ、あれから君が言っていた『性格が合わない』ということを、よく考えてみたんだけど……」

「うん」

 シェイラはうわの空で応じる。頭の中は、どうすればアレクシアと本当に寝たのかどうかを確かめられるのだろうか、という問題で一杯だった。シェイラも多少は知恵がついて、下手に尋ねるだけでは、しらを切られるかもしれないと考えるようになった。

「性格というのは、必ずしも同じでなくてもいいんじゃないかな? 僕の知ってる恋人同士で、性格が正反対だけど、上手くいっている人たちもいるよ」

「そう? わたし、それよりもあなたに訊きたいことがあるの」

「なんだい?」

「アレクシアと寝てるって本当なの?」

 シェイラは、フレデリックの表情に目を凝らしながらそう言った。

 明らかに、顔色が変わった。頬の筋肉が小刻みに震える。視線が泳ぐ。生唾を飲み込む。

 もう十分だ。案外簡単だった。

「寝てないよ。どうしてそんなことを?」

「そう? じゃあアレクシアをここに連れてくるね。さっき彼女から直接聞いたのよ」

 シェイラが立ち上がると、フレデリックはその手首を掴んで引き止めた。

「待って! その必要はない。説明させてくれ」

 シェイラは力任せに腕を振って、彼の手を振り払った。そして元の椅子に座ると、彼は言った。

「向こうから誘ってきたんだ」

 それで説明は充分とばかりに、自信満々で言い切った。シェイラはあっけにとられた。

「それで?」

「それに、酒が入っていた。二人とも酔っ払っていたんだ」

「なるほど! それで?」

「酒の上での行為だよ。特に意味はない」

「特に意味はない!」

 さっき見たアレクシアの幸せそうな微笑みが、脳裏に浮かんだ。シェイラの身体の芯から、じわじわと怒りが染み出した。

「そうさ、特に意味はない。彼女が何て言ったか知らないけど、君が気にする必要はないんだよ」

 彼は優しさを込めた口調でそう言った。シェイラは大きく息をついて、気持ちを落ち着かせた。

 愛想笑いを浮かべている目の前の男と、彼が絡む恋愛のいざこざが、他人事へと去って行くのを感じた。白けた冷たい心に、怒りが静かに広がっていく。シェイラは珍妙な生物を観察しようとする眼つきになって、再び話し始めた。

「ねえ、わたしね、ずっと前から疑問だったことがあって、良い機会だから教えて欲しいのだけど、あなたたちの世界では、愛情とセックスは全くの別物なの? まったく関連性がないの? それとも、五十パーセントくらいは繋がっているものなの?」

 フレデリックは少し驚いたようだった。

「アレクシアとは本当に何でもないんだ。全く繋がっていない。ゼロパーセントだ」

「じゃあ、男の本能だから、チャンスがあればしないわけにはいかないってことで、相手が誰でもそういう行為に及ぶものなの? 犬や猫と一緒ってこと?」

「ああ、もう、悪かった! 本当に悪かったよ。もう許してくれ!」

「なぜ謝るの? わたしに謝る理由はないでしょ? 付き合っていたわけじゃないんだから。わたしは別に、謝ってほしいわけではなくて、ただ本当に不思議だから教えて欲しいだけなの」

 どうやら、話が噛み合っていないようだ。シェイラは確かに怒っていて、口調も怒気をはらんでいたが、フレデリックの恋人として怒っているわけではない。アレクシアの友人、もしくは女性代表として怒っているのである。

 なのに、彼はそうとは気づかないのだ。

「何をそんなにムキになるんだよ! 相手はあのアレクシアだよ? 君だって本当は分かっているんだろ? 誰とでも寝る女なんだ。君とは全然価値が違う。それなのに、こんなに騒ぐほどのことなのか?」

 謝ってもシェイラを宥められないと分かると、彼は次の手に移った。「責める」という、いつもの手口だった。ただ、シェイラは彼の言った内容に衝撃を受けて、責められたことを感じ取る余裕もなかった。彼女は絶望的な気分になり、もうフレデリックと口を利くことすら気持ちが悪かった。

「ああ、アレクシアはどうして、この手の男にばかり引っかかってしまうのだろう……。でももう、こうなってしまったからには、あなたにはちゃんとアレクシアと付き合ってあげて欲しい。だって、彼女はあなたのことが好きなのよ。あなたたちとは違って、身体の関係と愛情はちゃんと繋がっているの。あなたに『意味はない』なんて言われたと知ったら、どれほど傷つくか……。彼女のこと、あなたの都合の良いように誤解しないで欲しいわ……」

 嫌悪感に堪えながら、なんとかここまで話し終えたが、もう無理だと感じた。とにかくそこから離れたくて、シェイラは立ち上がった。

「待って! シェイラ、お願いだからそんなことは言わないでくれ。本当に悪かった。後悔してる。もう二度としない!」

 彼はすぐさま手を掴んできた。シェイラはその顔を見下ろして、ドキリとした。幼い子供が泣きそうになりながら母親にすがっている。そんな、幼稚な表情だった。自分よりも弱い者を見た気がして、シェイラは一瞬、迷ってしまう。

 これがもっと優しい女性だったら、この同情が愛情になって、どんな男性でも母親のように愛するのかもしれない……そんな想像が浮かんだ。

 が、シェイラには見習えそうもなかった。彼女は手を振りほどくと、滑るように走って朝食室を後にした。


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