10-3
練習したとおりにワルツを二曲踊った。上手く踊れたし、フレデリックが大きな動きをするものだから目立っていた気もする。次の曲までには休憩があって、ダンスホールは一時的に解散となった。多くは、この間にパートナーを交代するのだが、彼はシェイラの手を強く握って、いつまでも放さなかった。
「どうして放さないの?」
シェイラは恐る恐る、その顔を見上げた。優しく微笑んでいるようでいて、青い瞳の奥に決意が見える気がした。この後は、どうなってしまうのだろう。この舞踏会が終わってストーンワース屋敷の寝室に帰り着いたときには、シェイラは以前と同じシェイラではなくなっている。その予感が的中しつつあることを感じ取り、シェイラは、ただ茫然とした。
「放したら他の連中がダンスを申し込みに来るから。僕は、君を他の誰とも踊らせたくないんだ。だから……抜け出そう」
返事は出来なかった。しかしフレデリックはシェイラの手を引いて、ガラス扉からテラスに出た。窓は大きなガラス張りで、テラスには招待客が夏の夜風に当たれるようテーブルと椅子が用意されていた。二人はそこには座らず、庭園へと階段を下りて行く。館の土台部分はかなりの高さがあり、階段を下り切って、その階段の陰に入ってしまうと、テラスからは覗き込まない限り見えなくなる。階段の登り口に設置されたランプのおかげで、お互いが見える明るさは保たれていた。フレデリックはそこまでシェイラを連れてくると、彼女の方へ向き直り、安堵したように笑った。
「よかった。やっと二人きりになれた」
「そうね」
シェイラは無表情に答えた。二人きりになったという事実を肯定しただけで、それを良かったと言ったつもりはなかった。しかし、フレデリックは嬉しそうに微笑むと、石積みの壁にもたれて、両腕を広げた。
「おいで」
もうダメだ。操り人形にでもなったように、足が勝手に動く。言われるがまま近づいて、そして、抱きしめられた。
「やっと素直になれた?」
「……そうかもしれない」
吐息とともにそう答えて、シェイラは彼の胸にすがりついた。人間の体温が、心地好い。けれど、この快楽を喜ぶ気にはなれなかった。
こんなところで、こんなことをしている自分が恥ずかしい。
やがて、シェイラのうなじを撫でていた彼の指が、首筋から顎へと這ってきた。
「さあ顔を見せて。シェイラ……好きだよ」
フレデリックは彼女の顎をつかんで上を向かせると、すぐに唇を奪った。
全身が、砂になったように冷えてゆく。
こんなことは間違っていると、はっきりと思った。
一方的なキスを終えると、フレデリックは上機嫌でシェイラを腕に抱いたまま話し始めた。
「まったく、君は難攻不落なのかと思ったよ。僕が好きになった子で、こんなに手こずったのは君が初めてなんだからね」
「ごめんなさい」
シェイラは腕を突っ張って、フレデリックから身体を離した。
「ごめんなさい、本当にごめんなさい。わたしはさっき間違ったことをしました」
顔を直視することも恐ろしくて、シェイラは俯いた。彼は聞こえよがしに溜息を吐いた。
「ここまで来ておいて、君はまだ僕を苦しめるつもりなの? やっと、受け入れてくれたんじゃなかったのか?」
「違うのよ。あなたのことを好きなわけじゃないの。本当にごめんなさい」
「なんなんだよ、それは。理解不能だよ」
フレデリックは呻くように言うと、急に何かに気づいて息を呑んだ。
「もしかして、例の家庭教師とまた会っているのか!」
「違うわ!」
シェイラは弾かれたように否定する。
「じゃあ……僕を振り回すのが楽しいってことなのか? 君は清純そうな顔をしているけど、実はとんだ手練れなんだ。思わせぶりな態度を取ったかと思えば、あからさまに避けたりするのは、わざとなのか?」
「違う……」
なんという言いがかりだと思った。わたしがいつ思わせぶりな態度を? そう言いかけて、飲み込んだ。
「さっきのことは謝るわ……。本当にごめんなさい」
シェイラは謝罪した。我を失っていたとしか言いようがない先程の行動を思い出して、罪悪感に押し潰されそうだった。フレデリックはやるせなげに首を横に振る。
「どうして君は、そんなに頑ななの? 僕には君が、無理して拒んでいるように見える」
「それは……その通りなのよ。でも違うの。わたしは多分、あなたが嬉しそうなのを見て、自尊心を満足させているだけ。あなたのことを好きなわけじゃなくて、優越感に浸っているだけなの。そうでなかったら……もっと酷いことに……わたしはただ寂しくて、……人肌が恋しいだけなのよ、きっと」
絞り出すように言って、自嘲の笑みを漏らした。男性を求めているだけだとは、恥ずかし過ぎて口に出せなかった。
「理由なんか何でも構わない。とにかく僕のところに来て。もっと、よく話そうよ。僕のことを好きじゃないと言ったけど、君は最初から決めつけていて、僕とまともに話をしようともしないじゃないか。僕のことを知りもしないで、どうして決めつけるの?」
「あなたこそ、わたしのことを何も知らないくせに、どうして好きだなんて言えるの?」
「これから知ろうとしてる」
フレデリックはシェイラの手を掴んで引き寄せ、また抱きしめようとした。シェイラはもがいて、腕から逃れる。
「もうダメよ! 来ないで!」
警戒しながら、じりじりと後ずさる。彼は宥めるように右手を差し出した。
「わかった、何もしない。こっちに来て。話をするだけだよ。さあ!」
この人と会話をする。それを考えると、急に、冷静さが降りてきた。
「話をするって、一体何を?」
それは自分でも驚くくらい、冷酷な声だった。
「あなたとわたしで、一体、何を話すの? 全然性格が合わないのに?」
「だから、なんでそうやって決めつけるんだよ!」
「わたしがあなたと付き合うことはないわ。もう諦めて」
言うや否や、背中を向けて立ち去った。両手でドレスの裾を持ち上げ、階段を駆け上がる。テラス席に、シャーロットが座っているのを見つけた。シェイラは走って行って、同じテーブルに着いた。
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