第十章 舞踏会


 土曜日になり、サー・エドウィンが帰宅した。その晩、エリザベスがシェイラの寝室を訪ねてきた。昨夜に続いて、二晩連続の訪問だった。寝室の扉を後ろ手に閉めて、そこに佇んだエリザベスの顔は亡霊でも見たように蒼ざめ、こめかみが引きつっていた。

「ありえないわ……このわたしがサランドンの気を引くですって……! ありえないわ!」

 シェイラは卒倒しそうな彼女を椅子に座らせた。

「何があったの?」

「ありえないわ!」

 エリザベスはバッと立ち上がると両手を振り上げ、そこにあった丸テーブルをバンと叩いた。

「フィリップ・サランドンというのはね、ラホース伯爵の親戚のサランドン男爵の長男なの。大学に行っていてここ何年かは会っていないけど、明後日の舞踏会に来るらしくて……。お父様が、ダンスに誘われるように、彼の気を引けと……!」

 バン! バン! エリザベスは怒りに任せて丸テーブルを何度も叩いた。シェイラは怖くなり、後ずさった。

「考えたくもないけど、お父様はサランドンと縁談を進めようとしているのかも……。冗談じゃないわ!」

「あなたは嫌なのね。でも男爵なんでしょ?」

「サランドンという奴はね、ヒキガエルみたいに、ぶくぶく太っていて、ジャガイモみたいな顔をして、しかも性格も最悪なの。男爵程度の分際で私たちのことを爵位が下だからって見下している、胸糞の悪い男なのよ!」

「そうなのね。でもそんなに嫌なら、早く断った方がいいわ。話が進まないうちに……」

 シェイラは少し離れたところで、いつでも逃げられるように身構えていた。頭の中は、どうすれば彼女の怒りを鎮められるかと、それだけを考えている。

「あんな奴と引き合わせようだなんて、お父様はひどいわ! お父様は、わたしが子供の頃は、エリザベスは美人だから公爵夫人にだってなれるって言ってくれたのに。今では、あんな奴がわたしの相手だと思っているなんて……、わたしの事を、その程度だと思っているなんて……」

 うわあ……! と悲鳴のような叫び声をあげて、エリザベスはまた両手を振り上げ、それを丸テーブルに叩き下ろした。そして、彼女は崩れるように椅子に座り、頭を抱えて突っ伏した。

「わたしがお父様を失望させてばかりだから、すっかり評価が下がってしまったのだわ。これがその結果なのよ……」

 シェイラはおそるおそる近づいた。ひとまず落ち着いたようだが、ここで掛ける言葉を間違えば、逆鱗に触れてしまう。

「エリザベス……多分、多分なんだけど、子供の頃のそれは、サー・エドウィンは冗談で言っただけだと思うわ。評価が下がったなんて考え過ぎよ。それに今回のことだって、はっきりと断ればいいだけのことだわ」

 エリザベスはゆらりと頭をもたげた。怒りの表情はうそのように消えていた。彼女はただ疲れて、呆然と座っていた。

「断る? そういうわけにはいかないわ。わたしが、他に貴族と結婚できる望みがあるのならいいけど、今のままでは、どのみちサランドン男爵夫人が精一杯ということになるわ」

「え、でも、その人のこと、嫌いなんじゃないの?」

 シェイラは椅子の傍にしゃがみ込んだ。

「嫌いよ。嫌いだけど……」

 混乱したように、エリザベスの視線が宙を泳いだ。その眼に恐怖が浮かぶのを見て、シェイラは動揺した。

「大丈夫よ、まだ何も決まったわけじゃないんでしょ?」

 シェイラはためらいながら、彼女の背中を軽くさすった。暫くして、表情が和らいだのを見て、手を引っ込める。

「そうよ、まだ終わっちゃいないわ。わたしはまだ十五歳なのよ。お父様には、舞踏会までにちゃんと話すわ」

 エリザベスはしっかりとした口調でそう言った。シェイラは思い切って尋ねた。

「ねえ、あなたはどうしてそんなに爵位にこだわるの? 貴族と言ったら男爵以上よね? こんなこと言ったら、あなたは怒るかもしれないけど、そこにこだわっていたら条件が厳しすぎて、良い結婚相手を見つけるのは難しくなると思うわ」

「あなたみたいな庶民には解らないでしょうね」

 エリザベスは鼻で笑った。そして、少し考えてからこう続けた。

「お父様が守ってきた准男爵位は、わたしが女だから次の代は、大嫌いな叔父か従兄弟が継ぐの。お祖父様が築いた財産を食い潰しているだけの無能な連中よ。でも、それはもう仕方がない。せめて、貴族の親戚になることがお父様の夢だから、叶えてあげたいのよ。そうなれば、わたしも叔父たちに見下されずに済んで、お父様も安心なされるしね」

「そう……。貴族で、あなたが好きになれる人に巡り会えれば良いけど……」

 お父様、お父様……。ストーンワース屋敷に来てからというもの、エリザベスはサー・エドウィンの心配ばかりしている。


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