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「そうじゃないけど、わたしの人生って、この先何か楽しいことがあるのかしらと思って。わたしは学院を卒業したら、婚約者と結婚することがもう決まっている。そしたら自由もなくなって、子供を産んで、あとは今のお母様のようになるだけよ。それって、何が楽しいのだろうって思うわ」

「クレアは、婚約者がいるの?」

 嫌な予感で胸がざわざわする。シェイラは平静なふりをしてそう尋ねた。

「そうよ。婚約者のことが好きかどうかは訊かないでね。親が決めた相手で会ったことのない人だから。……二人ともそんな顔しないでよ。わたしは小さい頃からずっと聞かされてきて、結婚はそういうものだと思っているんだから。アレクシアみたいなのは、考えられないわ。わたしがもし男の子と付き合って、それが実家に知られたら、大騒ぎになるわ。すぐに屋敷に連れ戻されて、二度と出してくれないでしょうね。寄宿学校に入るのだって、初めは絶対にダメと言われたのを何度も頼み込んで、やっと入ったのよ。わたし、これが外に出る最後のチャンスだと思って。お母様は、結婚して男の子を二、三人産んだらまた自由になれるって言うけど、その頃にはもう、外に出たいと思う気力も失くしているような気がしたから」

「でも、でも……、クレアのお母様はお幸せなのでしょう?」

 自分だったらとても耐えられない。シェイラは血の気が引いたけれど、それをクレアに悟られてはいけないと思った。

「さあ、どうかしら」

 クレアはしかめ面をした。

「あなたの話だと、家族想いの良いお母さんという感じがするけど」

「家族想い……確かにそうね。お母様の頭の中はお兄様たちと弟のことで一杯よ。チャールズがどうした、とか、ニコラスがこうした、とか、毎日毎日、自分の子供のやることなすことに一喜一憂して、いちいち大騒ぎしてる。ほんとバカみたいよ。……でも、まあいいわ。今は学校に入ってとても楽しいから。卒業後のことは、考えないことにするね」

 沈んでしまった一同を励まそうと、最後は明るくそう言った。そんなクレアの気遣いを無視するように、シャーロットが口を開いた。

「貴族って大変ね。わたしは平民でよかったわ」

 クレアが一瞬、むっとしたのが分かった。しかし彼女はすぐに言い返した。

「シャーロットは、結婚しないって言ってたよね?」

「そうよ、しない。男に一生支配されて生きるなんて、まっぴら御免だもの」

「シェイラはどうなの? あなたは結婚するでしょ?」

「わたしは……」

 喉の奥が詰まったように、言葉が出てこない。頭が働かず、どうしたいのだったか、思い出せなかった。

「わたしは、まだ分からないわ」

 午後が過ぎ、晩餐の時間になった。フレデリックとウィリアムが仲直りしたことは誰の目にも明らかだった。エリザベスの機嫌も悪くなかった。クレアとシャーロットも、いつも通りだった。

 ただ、アレクシアだけはずっと怒っていた。いつもの科を作ったふくれっ面ではなく、蒼ざめた険悪な表情をして、彼女は時々、恨めしい眼つきでシェイラを見た。

 翌日も、そのまた翌日も、彼女の怒りは続いた。アレクシアに睨まれている気配を感じるたびに、シェイラはお腹が痛くなった。

 なぜ私を見るの? 私にどうしろと?

 彼女はウィリアムにではなく、シェイラに対して怒りを抱いているのかもしれない。ふとそう思ったけれど、シェイラにとっては理不尽すぎて、とても受け入れられなかった。けれど三日目になると、彼女はシェイラを許す気になったらしい。少なくとも表向きは、前と同じ態度を取るようになった。

 舞踏会までの数日間を、シェイラは息苦しい気分で過ごした。エリザベスに頼んで始めたピアノの練習は、フレデリックを遠ざけるのに役立った。エリザベスは課題曲をゆっくりと実演して、弾き方を教えてくれた。それを真似して、一フレーズずつ練習する。半日ピアノに張り付いていても全く弾けるようにならないので、これなら永遠に時間を潰すことが出来ると思った。フレデリックはピアノの側に来て話し掛けたが、シェイラが練習に夢中のふりをして素っ気ない態度を貫くと、いつの間にかどこかへ行ってしまった。

 そんな作戦を駆使しても、エリザベスが舞踏会で自分の客が恥をかくかもしれないという危機感に襲われて、ダンスの練習をするぞと号令をかけると、彼と触れ合わないわけにはいかなかった。

 次々とパートナーが変わるカントリーダンスの時は、まだましだ。ワルツになると、二人は必ず組まされ、そして、踊る度に息が合うようになった。フレデリックの楽しそうな様子を見て、シェイラは自分も楽しいという気持ちを打ち消すことが難しかった。二人が上気して頬を染めながら、お互いに微笑み合う姿を、その場にいた他の全員が目撃した。

 シェイラは晩餐後に早く寝室に上がっても、とてもじゃないが、勉強など出来なくなっていた。苦しい胸を抱いてベッドに横たわり、身体を冷ますように、ずっと仰向けに寝ていた。

 わたしは一体、何をしているのだろう。

 もう彼を避けることに疲れてしまった。物理的に避けることにも疲れたが、彼に心を許してしまわないようにと、抵抗していることに疲れた気がする。

 もともと好きではないのに、相手から好きと言われると好きになってしまうなんて、まるでアレクシアみたいだと馬鹿にしていたのに、今はもう、絶対に彼女を馬鹿にすることは出来ない。フレデリックのことを好きではないのに、流されてしまいそうになるのは何故なのだろう。

 ここにナイトリー先生がいてくれたらと、有り得ないことを願うけれど、考えてみれば仮にいたとしても、ナイトリー先生はフレデリックの手からシェイラを奪い返してはくれないのだ。彼は、理想的な相手が見つかったと喜んで、シェイラを送り出してしまうのである。

 愛していると言いながら別れたのは、シェイラの為ではなく男のプライドを保つためだったのかもしれない。シェイラとは結婚できなくても、彼と身分が釣り合うような、貧しくて美しくもない労働者の娘となら結婚するのだろう。

 それとも逆に、ひょっとしたら、彼の方こそ美貌を駆使して、成り上がれるような相手と結婚するつもりなのかもしれない。

 理由なんか、何とでも言える。確かなのは、ナイトリー先生はシェイラを捨てたという事実ではないのか。結局のところ、彼の愛はその程度ということなのだ。シェイラが彼を想うほどには、彼はシェイラを想ってはいないし、フレデリックが夢中になってシェイラを想うほどにも、想ってくれてはいないのである。

 シェイラの耳に、ぬるい液体が流れ込んだ。両目から溢れ出た涙が顔を伝って、彼女の耳や髪を濡らしていた。


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