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 人間関係における「飽きる」とは何なのだろうか。飽きる対象とは、通常ある「娯楽」や「玩具」、あるいは「観賞物」ではないのか。それを人間に適用されると意味が分からなくなる。だが、これもシェイラは推測した。ある人と一緒にいて初めは楽しかったのに、ある時、楽しくなくなった場合に、その現象をなぜか「飽きる」と呼ぶのだろう。この推測も正解かどうか分からないので、「遊び」「本気」と併せて、機会があればウィリアムにとくと教えて欲しいものだと、シェイラは本気で思った。

 こんな男とは早く別れた方がアレクシアのためだ。しかし、こいつの方からアレクシアを振るというのは、許せない。

「でもね、でも……、アレクシアはあなたのことが好きなのよ。そんな一方的に別れるだなんて、酷いと思うわ。ちゃんとよく話し合えば、解決できることもあると思うし。とにかく、お互いちゃんと納得したうえで……」

「うるさいな……君に関係ないだろ?」

 途中で遮って、鋭くそう返された。いったい何が気に障ったのか、ウィリアムの口調も表情も、不機嫌になっていた。彼は聞こえよがしに溜息をついて、こう続けた。

「昨日、君は僕のことを見ていなかった? 晩餐の時に」

「えっ、あ~、あれは……ごめんなさい。あなたのこと、わたしの好きな人に似ているような気がして、見てしまったの」

「それって、もしかして、君が前に付き合っていたという家庭教師のこと?」

「そう、その通り」

「あ、そう」

 シェイラは訊かれてもいないのに、こう追加しないではいられなかった。

「でもよく見たら、全然似てなかったのだけどね!」

 ウィリアムはそれきり何も話さなくなった。急に、鉛筆を動かす速度が速くなる。応接間に、シャッ、シャッと紙を擦る音だけがする。シェイラは彼が次に何を言うだろうかと待っていたが、それはなかった。

「さ、描けた。これ、やるよ」

 最後は大急ぎで描き上げたとしか思えなかった。ウィリアムは立ち上がってスケッチブックを破ると、それを放り投げるようにしてシェイラに渡し、大きく伸びをした。

 もう終了なのか? シェイラはわけが分からなかった。

 そこへ、応接間の扉が開いた。

 入って来たのは、フレデリックとアレクシアだった。その顔を見て、シェイラは驚いた。二人とも目を見張り、親の仇にここで再会したとでもいうような、驚きと怒りが入り混じる表情で、そこに固まっていたのである。

「ウィリアム、お前……! ここで何してたんだ!」

 フレデリックが口火を切ると、アレクシアが後に続いた。

「どうして二人だけなの? 他の子たちは?」

 これに、ウィリアムとシェイラが答える。

「落ち着けよ。シェイラの絵を描いていただけだよ」

「みんなは散歩に……」

 ウィリアムは二人の視線を一身に浴びながら、その横を通り過ぎて出て行った。

「ウィル、待ちなさいよ!」

 後を追おうとするアレクシアを、シェイラが腕に飛びついて引き留めた。

「何よ!」

 振り払おうとするアレクシアの形相に一瞬怯んだが、腕を離さず、小声でこう言った。

「待って、あなたはあの人に騙されているわ」

「どういう意味よ!」

「だって、あの人……あなたと付き合っているのに、わたしに……、わたしに……」

「好きだって言ったのよね? ウィルがモデルにするのは好きになった子だけなのよ!」

「え~、違う。言ってないけど……」

「ウィル! これはどういうことなのよ!」

 アレクシアはシェイラの手をすり抜け、行ってしまった。

「シェイラ、あいつが絵のモデルにするのは常套手段なんだ! 口説かれたんだろ!」

 フレデリックがシェイラの二の腕を掴んで、自分の方に向かせた。

「く、ど……かれたような、かれなかったような……」

「あいつには気を付けて、めちゃくちゃ手が早いから!」

「そうみたいね……」

「くそっ! あいつ……、ほんと腹立つ! 何考えてるんだ!」

 フレデリックは扉を睨み付けた。

「きっと、僕のことが羨ましくなって、横取りしようとしたんだよ。子供の時からいつもそうなんだ。僕が望遠鏡を買ってもらったら、あいつも買ってもらって、僕が白馬を買ってもらったら、あいつも買ってもらって……、そういう子供っているだろ? そういう奴なんだ、あいつは」

「うん、分かったわ」

「だから、あいつが君に何を言ったか知らないけど、本当に君を好きになったわけじゃない。ただ僕から取ろうとしただけで……」

「大丈夫、分かってるわ」

 彼のうろたえようも、必死さも怒りも、シェイラには理解できなかった。そんな必要はないのに、と思う。そして彼が興奮し、怒っていることが怖かった。シェイラは掴まれたままの腕を放してくれるよう頼んで、解放されると、逃げるように廊下へ滑り出た。

 フレデリックはすぐに後を追ってきた。廊下には他に誰もいなかった。

「シェイラ、待って」

 走ってどこかへ行けばよかった。彼は大股に近づくと、あっという間にシェイラの手を掴んでしまう。

「あいつに出し抜かれたら堪らないから、今言うよ」

「なに?」

「今度の舞踏会、最初のダンスは僕と踊って欲しい」

 そして、固唾を呑んで返事を待つその表情を見れば、ウィリアムの言ったことが真実だと嫌でも分かる。

 この人は、わたしに夢中なのだ。

 受けてはいけないのかもしれない。そう思って返事が出来ずにいると、一瞬一瞬の間に、彼の表情が変化する。徐々に眉間が寄り、恐ろしげに見開かれる目。その不安に揺れる青い瞳を見て、シェイラはもう降参だった。今、目の前にいる人間をぐっさりと傷つける行為を敢えてすることが出来る人間なんて、この世にいるのだろうか。

「わかったわ」

 フレデリックは安堵してよろめきながら、「よしっ」と言った。


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