9-3
「わたしに絵のモデルをしろと言うの?」
オウム返しに、そう尋ねる。
「ああ、そうさ」
ウィリアムは少し怯んだように見えた。
彼には、シェイラがなぜ訊き返したのかが、分からなかったのだと思う。
こうしてぬけぬけと同じ手を使ってくるところを見ると、彼は多分、知らないのだ。アレクシアがエリザベスにする恋愛話を通じて、シェイラは、彼がどのようにしてアレクシアを口説いたのかを知っているということを。
この話を耳にした時は、絵のモデルとは古典的だと思った。ただ、彼の父親が著名な画家であることは事実なので、一応の説得力はある。
シェイラの鼓動が速くなった。もちろん恋心ではなく、スリルと好奇心というやつだ。
この手の男の生態を観察してみたい。そして、懲らしめてやりたい。
この意地悪な感覚の正体は、単なる正義感というより、厳密には復讐心なのだ。アレクシアの復讐であり、ひいては、お母さんをたぶらかした父親への……。
シェイラには、もはやウィリアムは人間ではなく、人間に似た珍妙な生き物に見えていた。相手が人間なら通常払うべき最低限の礼儀も、彼には必要ない。
「いいよ、モデルぐらい」
シェイラが応じると、ウィリアムは口角をぐっと吊り上げて微笑んだ。
二十分後、シェイラは応接間の庭に面した窓際で、長椅子に座っていた。ウィリアムも同じ窓際で椅子に腰掛けて、スケッチブックに鉛筆を走らせている。
「僕の父親は画家でね、ちょっと有名なんだけど知ってるかな? アルバート・グラントっていう」
「知らないわ。勉強不足でごめんなさい」
ちょっとどころか、かなり有名なので本当は知っているのに、嘘をついてみた。
「画家として成功してるけど、プライベートは破綻してる男でね、……両親は僕が五歳の時に離婚したんだ。それ以来、母親には会っていない」
「ふうん、そうなの」
興味なさげに、けろりと応じる。
「二歳年上の兄は父の才能を受け継いで美術学校に入ったよ。兄は父のお気に入りなんだ。一方、僕は凡才で今の学校に……。でも、絵を描くことは好きだから、こうして時々描いてる」
「なるほど」
訊かれてもいない身の上話をするのは何の目的なのだろうと思いながら、頷いた。
「君のことを最初に見た時は驚いたよ。こんなにキレイな子が、現実にいるとは思わなかったからね。僕はすぐに絵に描きたくなった。それをフレッドに話したら、あいつも『今まで見た女の中で一番上等だ』と言いだしたんだ」
嫌悪感で返す言葉がない。ウィリアムは続けた。
「君を先に見つけたのは僕なんだ。フレッドより先にね。アレクシアと付き合い始めたところじゃなかったら、すぐに口説いてた。フレッドにそう言ったら、『なら、僕が先に行く』と。僕は悔しいよ。そうと分かっていればアレクシアとは付き合わなかったのに。四月からの途中編入生なんて、予定にないからね」
ウィリアムはそう言って、スケッチブックの向こうから苦笑いを覗かせた。シェイラは彼とフレデリックの当時のやり取りの様子が、眼に浮かぶようで気分が悪かった。フレデリックに何か期待しているつもりはなかったけれど、顔で選んだのだと明かされると、胸の奥が微かに痛んだ。
「今やフレッドは君に夢中だ。いつの間にか『本気』になってしまったらしいね。僕は子供の時から奴を知っているけど、こんなのは初めてだよ。見ていて痛々しいくらいだ」
出たな、とシェイラは思った。アレクシアとエリザベスの恋愛話によく登場する、「遊び」と「本気」というやつだ。シェイラには恋愛で遊ぼうという発想がないので、「遊び」と「本気」はよく分からない謎の区分概念となっている。それでもシェイラなりに解釈すると、少し好きなのが「遊び」で、凄く好きなのが「本気」、ということになるのだが、これで正解なのかどうかは知らない。
「フレデリックには最初から断ってます。わたしが夢中にさせたわけじゃないわ」
「どうして、フレッドじゃあダメなんだい?」
シェイラは意外に思ってウィリアムを見た。窓の方を見ているように言われたけれど、時々こうして相手の様子を窺う。ウィリアムはスケッチブックに目を落としていた。ふわふわした亜麻色の髪に、午前の光がやわらかく反射する。この人にも友人を心配する優しい心があるのだろうか。
「どうしても何も、性格が合わないからよ」
「ふうん……」
ウィリアムは熱心に描き込んでいて、それ以上何も言わなかった。今度はシェイラがこう質問した。
「あなたとアレクシアはどうなの? まだ喧嘩しているの?」
「アレクシアとは、もう別れようと思ってる」
「えっ!」
シェイラの身体が長椅子から小さく跳ねる。それを見て、ウィリアムは可笑しそうに笑った。
「いくら美人でも、頭の悪い女と長くは付き合えないよ。頭が悪い相手には、すぐに『飽きて』しまうからね。その点、君は勉強も熱心にしているそうじゃないか」
また出たな。謎の概念「飽きる」だ。
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