第九章 誘惑
「ねえ、アレクシアとウィリアムは婚約しているわけじゃあないのでしょ?」
新たに加わった三人とエリザベスが一旦寝室に上がると、クレアはシェイラとシャーロットを左右に呼び寄せてこう言った。
「してないと思うわ。なぜ?」
「じゃあやっぱり、婚約者でもない男二人を実家に泊めていたのね。そんなことしていいの? ご両親は許しているのかしら?」
クレアは丸い眼をさらに大きく見開いていた。
「それなら多分、ご実家にはお兄さんしかいないのだと思うわ。お母さんはいつも旅行中で、お父さんは普段はメレノイの愛人の家に住んでいるそうだから」
シェイラが答えると、クレアは少し動揺したようだった。
「ま、まあ、そうなのね」
そして、「さすが都会ね」と、意味の分からないことを付け足した。
四人が応接間に戻ると、エリザベスは全員を見回しながらこう言った。
「さあ、都合良く男性もいることだし、今日から舞踏会に向けてダンスの練習をするわよ!」
ラホース伯爵夫人主催の舞踏会が、一週間後に近づいていた。アレクシアたち三人もまた、彼女の兄と共に同じ舞踏会に招待されているという。
一同は、がらんとした大広間に移動した。エリザベスが神経質な声を張り上げながら、その場を仕切る。まずはダンス初心者のシェイラとシャーロットに、ワルツを叩き込むことになった。
嫌な予感が当たって、フレデリックがシェイラのパートナーを任された。
「よろしく」
彼は満面の笑顔だった。シェイラは硬直してしまう。
いやだ、いやだ、いやだ、……と思っている間に右手を掴まれ、左肩を抱き寄せられた。一瞬、鼓動が跳ね、苦しい動悸が始まる。
エリザベスに指示されるまま左手を彼の肩に置き、へっぴり腰を注意されて、身体を預けるように身を寄せた。背中を反らせて顔を背けたけれど、動くうちに身体がどうしても当たってしまう。
エリザベスが即席のダンス教師になって、いち、にい、さんっ、と声を掛ける。アレクシアとクレアは手を取り合って、笑いながらめちゃくちゃなダンスを踊っていた。シャーロットとウィリアムのペアは、ステップを説明している段階である。
シェイラはライアン卿の屋敷でワルツを教えてもらったので、全くの初心者ではなかった。始めは間違った動きをしてバランスを崩す場面もあったが、徐々に慣れると、二人は驚くほど順調に踊っていた。フレデリックの動きに迷いはなく、力強く引っ張ってシェイラに正しいステップの方向を教えてくれる。上手く踊れると爽快な気分だ。いつの間にか動悸は止み、心地好い高揚感に包まれていた。
エリザベスが休憩すると言いだし、二人は足を止める。組んでいた腕を解いたときに、自然とお互いの顔を見た。フレデリックはその眼も唇も、優しい弓なりにして微笑んでいた。シェイラは息を弾ませながら、思わず、笑顔になる。
ダンスの練習は晩餐まで続いた。その頃にはシャーロットも記憶力の良さを発揮して、ステップを覚えてしまっていた。
サー・エドウィンがいない正餐室は、十代に占拠されて学院の食堂に近い雰囲気になってしまった。エリザベスはアレクシアたちのいい加減なマナーに不満顔だったが、シェイラはむしろこの方が気楽だ。
テーブルの向こうではアレクシアが、隣のウィリアムの気を引こうと懸命に話しかけていた。ウィリアムはそれを適当にあしらって、向かいのフレデリックとスポーツの話題に興じる。喧嘩したのだろうかと、シェイラは心配になってくる。露骨に冷たい態度を取るウィリアムに、つい腹が立った。
ウィリアムは斜め前の角度から見ると、まつ毛の長さや輪郭の美しさが際立って、本当に美形だと思った。亜麻色の髪と、淡いターコイズブルーの瞳を眺めていると、あの人の面影が浮かんだ。ナイトリー先生に似ているかもしれない。ふと、そう思った。
今の姿ではなく、四、五年前のナイトリー先生はこのような美少年だったのではないか。その証拠を見つけたくて、シェイラはさらにウィリアムの顔を観察した。
目に、鼻に、口に、と検証した結果、美形ということ以外に似ている点はないと分かった。髪と瞳の色も微妙に違う。さらに言えば、話す時や笑う時の表情が、全然違うと思った。
一度でも似ていると思ったことが愚かしくなったその時、ウィリアムが不意にこちらを見た。慌てたけれど、急に目を背けるのもわざとらしい。ウィリアムは少し首を傾げて、にっこりと微笑んだ。シェイラはゆっくりと視線を移して他を見た。別にあなたを見ていたわけではありませんよ、というように。
晩餐の後は応接間に移動し、夏期休暇に入ってからの出来事などを報告し合った。フレデリックはシェイラの隣に座ってきた。シェイラは話に聞き入る振りをして、彼の方は見ないようにした。
話がひと段落したところで、エリザベスが「トランプでもする?」と提案した。するとシャーロットが「わたしはダンスで疲れたから、もう寝るわ」と言った。寝室で勉強するつもりだなと思ったシェイラは、すかさず同じように宣言し、シャーロットと一緒に寝室へ引き上げた。その夜、口実ではなく本当に疲れていたシェイラは、ベッドに横になるなり深い眠りに落ちた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます