8-4



「それは、エリザベスが……」

 怒り出すのが怖かったから、というのが真実なのだろうが、シェイラにもプライドがあって、そうとは言えない。

「エリザベスが誘ってくれたから、せっかくだと思って……。でも、来たことを後悔しているわけじゃないのよ。ただ勉強が気になって……。あなたは勉強をしているの?」

「軽く予習程度よ」

 シャーロットはページに指を挟んだまま書物を閉じて、一ページ目の表題をシェイラに見せた。そこには「詳説 世界史」とあった。

「これ、教科書なのね? 来年度の教科書なの?」

「そうよ」

「わたしも本は持ってきたけど、教科書ではないわ。だって夏期休暇に入ってすぐにここに来たから、来年度の教科書を買う暇なんてなかったもの」

「そう? 試験が終わってから、数日あったと思うけど?」

「それは……そうだけど……」

「ずいぶん呑気なのね」

 頭を一発殴られた気がした。シェイラは、身の程を忘れて上流階級になったつもりで浮ついていると、非難されたと思った。

「そうね、帰ったらすぐに教科書を買うわ。ここにいる間は、教科書がなくて出来ることをするわ。周りの人たちに迷惑を掛けずに、勉強する方法はないかしら」

 呑気と言われたことに抵抗し、思わず「迷惑を掛けずに」と言った。直後に後悔して、友人があてこすりに気づかないことを祈る。

「飛び級して第四学年、ということは、来年度は第二と第三学年の単位を取るわけね?」

 シャーロットがこちらを向いた。気を悪くした表情ではない。

「その通りよ」

「それなら、ピアノを弾くというのはどお?」

「ピアノ? ピアノを弾いてどうするの?」

「前から不満なのだけど、セントルイザ女学院って、変な実技科目が多いの。ピアノに、歌に、絵画に、裁縫、礼儀作法とかなんとか」

「色々あるのは知っているわ」

「ピアノは課題曲を弾けるようにならない限り単位を貰えないから、早く練習を始めた方がいいわ。第二学年の課題曲は『子象のワルツ』というんだけど、これが難しいの。小さい頃から習っていて、基礎があるものとして課題曲を設定しているのよ。けれど、多分あなた、ピアノを習ったことないでしょ?」

「ないわ。じゃあ、応接間のピアノを弾かせてもらって……?」

「そうよ。午後のお茶のときとか、晩餐の後とかに弾けば違和感ないのじゃない? クレアかエリザベスに指導してもらってもいいしね」

 その後も、シェイラとシャーロットはうまく勉強する方法を話し合った。教科書はエリザベスに借りられるかもしれない。寝室で勉強する時間を確保するには、夜更かしか早起きのどちらかだ。晩餐の後は疲れたと言って早々に引き揚げればいい。

 シェイラとシャーロットは時に冗談を言い、時に上流階級の悠長な生活習慣を揶揄して、笑い合った。こんな時、二人は庶民同士の連帯感が働いて、とても仲良くなったような気がするのだった。

 シェイラが「さりげなく勉強する作戦」を始めた四日目に、サー・エドウィンは所用のためメレノイへと発った。同じ日の午後、サー・エドウィンがいなくなることを見計らったかのように来客があった。

「エリザ~! あなたの幼馴染が遊びに来たわよ~!」

 取り次ぎの使用人の後ろから、応接間にどやどやと入って来たのは、アレクシアとウィリアム、そしてフレデリックだった。迎える四人は一様に目を丸くした。

「エリザったら、なあに? その顔は。わたしも夏期休暇はイーストラホースの我が家に戻っていたのよ。久しぶりに会ったのに歓迎してくれないの?」

 アレクシアはエリザベスに抱きついてそう言った。

「あなたは分かるけど、あとの二人はなんなのよ!」

「ウィルとフレッドはこの夏をちょっと涼しい所で過ごそうってことで、わたしの家に遊びに来たの。それでね、ストーンワース屋敷にみんないるから、いっそ合流しようと思って。みんな一緒の方が楽しいでしょ?」

「楽しいでしょ、って……ねえ」

 エリザベスはうんざりした顔で額に手を当てた。

「もしかして、泊まるつもりなの?」

「そうよ。いいでしょ?」

「ちょっと待ってよ。お父様はメレノイに出掛けたところで、お許しを得ることが出来ないわ」

「あら、エドおじさまはアレクシアを追い返したりなさらないわよ、絶対」

 エリザベスとアレクシアの間でさらに数回の応酬があり、最後には、エリザベスが手紙でサー・エドウィンに承諾を得るということで話がまとまった。エリザベスは押し切られた形だが、泊まるつもりなのに事前に連絡しないなんて非常識だと、幼馴染を散々に非難することは忘れなかった。

 エリザベスたちのやり取りを尻目に、フレデリックはそっとシェイラに近づいた。

「元気だった?」

「ええ、元気よ」

 シェイラはエリザベスたちの成り行きを見守るのに集中しているふりをした。

「全然嬉しそうな顔をしてくれないんだね。僕はこんなに嬉しいのに」

 彼はすぐ隣に立ったまま、エリザベスたちの方に向き直った。

 シェイラはあと一歩横にずれて、彼から離れたい衝動を抑えた。あなたのことなど何も意識していないと思わせたかった。

 実際は、またこの人に心を乱されなければならないのかと、うんざりしながら、すでに動悸がしている。絶対に二人きりにならないように注意しなければと、頭の中で繰り返していた。


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