第六章 再会


 その夜はほとんど眠れなかった。怒りと惨めさがない交ぜになって、じっとしていても身体を内側から蝕むようだ。自尊心を踏みにじられた痛みと、それを許した自分への失望。負の感情は収まらず、このまま二度と安らげないのではないかと思われた。

 明け方になり、シェイラは怒りに疲れ果て、とろとろと眠り始めた。

 大きくて、暖かな胸に抱かれている感覚がした。シェイラは安心しきってそこにいた。

「シェイラ様、これしきのことに負けるあなたではないでしょう?」

 響きの良い、低い声だった。シェイラは知らず微笑んで、その胸に顔をすり寄せる。

 ナイトリー先生だ。そう気が付いて、シェイラは慌てて両手を伸ばした。逃がさないように、彼の背に腕を回して抱きしめた。

「私はあなたが好き、あなたが好きなの! どこにも行かないで……!」

 そう叫んで、目が覚めた。シェイラはベッドで仰向けに寝ていて、視界に天井が映った。苦しみながら眠ったはずなのに、驚くほど気分が良い。シェイラはまた眼を閉じ、脳裏に大好きな人の気配を探った。夢の続きを見ようとする試みは上手くいかなかった。

 シェイラはこの夢を、ナイトリー先生と魂が交信したなどと、神秘的には考えなかった。こんな嬉しい夢を見るなんて、わたしの頭の中は意外と楽観的で、逞しく出来ているのだなあと、自分を見直したのだった。

 ナイトリー先生、わたしはまだ大丈夫みたいですよ。

 心の中で、そう報告した。

 思い出してみれば、ナイトリー先生はよくシェイラのことを褒めてくれた。あなたは頭が良い。理解が速いし、記憶力が良い。この調子で勉強を続ければ同年代の誰にも負けませんよ、という風に。今となれば、ナイトリー先生の褒め言葉は全部頭に「学校に行っていなかった割には」という条件が付いていたのだと思う。さもなければ、褒めて自信を付けさせる作戦だったのだろう。けれどそのおかげで、シェイラは実際、頑張れた。

 勉強はずっと好きで苦にならない。やればやるほど理解出来るようになるのが楽しい。勉強をあまりしない生徒も多くいることを考えると、単純に徒競走と同じ原理で、今は遅れていても、いつか追いつけるのではないかと思う。シェイラは来年度に二年遅れになる学年を、飛び級して再来年度に一年遅れに戻したいと考えていた。さらにその次年度に飛び級出来れば、これで年齢相応の学年になれる。

 近いうちに相談に行こうと思っていたら、事務員のパメラの方から大事な連絡があると呼び出された。

 放課後、シェイラはそわそわしながら事務室に向かった。良い知らせなのか悪い知らせなのか、思い当ることが何もない。

 事務室は中央の四台の執務机のうち、一番入り口側がパメラの席だった。そこに立っていた彼女の隣にいる人物を見て、シェイラは目を疑った。ここにはいないはずの人の姿が、そこにあった。

 彼が普段は着ないモーニングコート姿だったから、すぐには分からなかった。けれど、癖のある黒髪に長い前髪と、その下の童顔は、シェイラがよく知っている顔だった。魔術師協同組合のサイモン・ハート氏が、パメラの隣で大きな台帳を持って熱心に目を通していたのである。

 シェイラは本当に人違いではないだろうかと、その人をまじまじと見つめた。間違いないと思うと、知らず笑みが漏れる。やがて、パメラが声を掛けた。

「フォースターさん、少し待っていてね」

 その向こうで、ハート氏が目を上げる。

「驚いた、ここでいきなり会うとは……」

 彼はシェイラを見て、呆れたように笑いながらそう言った。

「はい、お久しぶりです、ハートさん。どうしてここに?」

「モームさんに過去の帳簿を見せてもらっていたんだよ。理事会の前に確認したい数字があって」

「えっ、ハートさんがセントルイザ女学院の理事会に出るのですか?」

「うん。祖母がこの学院の理事なんだ。もう歳で遠くに住んでいるから、僕が代理をしている」

「そうなのですね、全然知らなかった」

「言ってないからね」

 ハート氏は微笑んで、また帳簿に目を落とした。

「お知り合いなの?」

 パメラが質問した。

「はい。ハートさんには入学前にお世話になって……」

「まあ、そうなのね!」

 パメラは大きな声でそう言って、大仰に何度も頷いた。


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