第五章 帽子


 時間は遡って、メレノイの市街へ買い物に行くと約束していた土曜日である。五人はクレアの個人付きメイドが手配した四人乗りの辻馬車で出発した。クレアとエリザベスが並んで座り、向かい側にシェイラとフレデリック、そして御者の隣がシャーロットである。普通は男が御者台だろうと思うのだが、クレアとエリザベスは当然のように乗り込み、シャーロットが「外の方が好きだから」と言って、さっさと上がってしまったので、こうなった。シェイラはフレデリックが紳士らしくシャーロットを説得して交替するのではないかと期待したが、そうはならなかった。帰りはわたしが外に座るからねと、シェイラは心の中で誓った。

 クレアは、メイドも家族も一緒でなく、友達同士だけで都会に行くのは初めてだった。エリザベスはチャンスとばかりに、ドレスを作るならこの店だとか、流行りのお菓子の店はここだとか、メレノイの通ぶって教えたがる。クレアは時々、助けを求めるようにシェイラに話しかけた。「シェイラは食べたことあるの?」「また今度、シェイラも一緒に行こうね!」という具合である。クレアはシェイラを仲間外れにしないよう気遣っているというより、エリザベスに付き纏われても、シェイラとの仲が切れてはいけないと危機感を抱いているようだった。

 車内の話題が女子に支配されて、フレデリックは参加を諦め、黙って外を眺めていた。やがて馬車がメレノイの中心部に入ると、彼は大通り沿いの建物を指差して言った。

「あ、インダストリー銀行だ。シェイラ、あれが親父の銀行だよ」

「そうなのね」

 シェイラはわざと興味なさげに相槌を打った。わざわざ言うからには父親は行員だと言いたいわけではないのだろうと予想した。

「あら、フレッドのおうちは銀行家なの?」

 クレアが、しなければいいのにと言いたくなるような質問をした。

「ああ、お祖父さんが創った銀行だからね」

 やがて馬車は最初の目的地である婦人用帽子店に到着し、五人を降ろした。

 この帽子店はエリザベスの贔屓の店とのことで、彼女が入ると、店員の中でも地位が高そうな年配女性が、そそくさと出てきてお辞儀をした。エリザベスは誇らしげに、子爵令嬢のクレアを紹介する。そしてフレデリックを呼び寄せ、彼のことも紹介した。シェイラはエリザベスの品位を下げてはいけないと、シャーロットと共に離れていることにした。

「シャーロット、こういうお店は好き?」

 友人に腕をからめて、シェイラは展示してある帽子の装飾品を一緒に眺めた。

「嫌いじゃないけど、買おうとは思わないわね」

「わたしも同じだわ」

 シェイラが小さく笑うと、シャーロットもクスクスと笑って腕が揺れた。

「このお店に来ている人は、みんなお金持ちかな?」

 クレアとエリザベスが、店員を相手に新調する帽子の相談を始めたのを横目に見ながら、シェイラは呟いた。

「さあ、知らないわ。訊いてみたら?」

 冷たい返事に、シェイラはただクスクスと笑う。

「ああ、お金持ちになるには、どうしたらいいのかしら?」

 シャーロットは暫く沈黙した後に答えた。

「フレデリック・ヘイターと結婚すれば? 彼ってお金持ちなんじゃないの?」

「それじゃあダメなのよ」

「シェイラはお金持ちになりたいの?」

「別になりたくない」

「えっ? じゃあなんでお金持ちになる方法を訊くの?」

 シェイラは矛盾に気がついて、笑い出した。

「あははは! そうだよね、おかしいよね」

「そうよ。おかしいわ」

「ちょっと複雑で……」

 シェイラは少し考えてから、言葉を継いだ。

「たぶん、わたしが自立できればいいのだと思う」

「経済的に、ってことね?」

「そう。誰かに養ってもらわなくてもいいように」

「それなら、教師になるというのはどう?」

 シェイラはシャーロットの顔を凝視した。

「教師、なれるかしら?」

「なれるよ、多分。学校を卒業すれば、雇ってくれるところがあると思う」

 シャーロットは商品を見ながら淡々と言ったのだが、シェイラにはその横顔が眩しく見えた。

「それ、すごくいいような気がする。教師ならメイドさんより儲かりそうだもの」

 シェイラの声が上ずるのを聞いて、シャーロットは疑わしそうな目を向けた。

「あなたは普通に結婚するのが向いていると思うけど?」

「あら、結婚はするつもりよ」

「ふうん……」

 シャーロットはそれ以上言わずに、壁にかかった帽子の見本を見上げた。

「ねえ、このリボン、素敵じゃない?」

 シェイラは話題を変えようと、手近にあったリボンを指さした。それは異国風の幾何学模様が精巧に刺繍されていて、シェイラの目を引いた。

「これは個性的だから、シャーロットに似合いそう。今日の帽子に付けたら合うのじゃないかしら?」

「そう?」

 素っ気なく応えながらも、表情はまんざらでもない。シェイラは嬉しくなって、他にも彼女に似合いそうな物はないかと視線を走らせた。

 クレアとエリザベスは帽子の飾りを選ぶのに、ああでもないこうでもないと楽しげな議論を交わしている。フレデリックはなぜか女性店員に捕まって、恋人のためにと新作の売り込みを受けていた。そこから解放されると、彼はシェイラの隣にやって来た。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る