2-3
部屋の掃除につい熱中して、日曜礼拝の開始時刻ギリギリになってしまった。敷地内にある礼拝堂は、姉妹校のセントトマス学院と共用になっている。女子校と男子校の生徒が、礼拝の時だけは行動を共にする。
この礼拝堂の席はなぜか後ろの方から埋まるので、シェイラは後方の入り口から入って、空席を探しながら前方へと歩いて行った。後ろの方は長椅子に隙間なく座っているが、前に行くほど余裕があり、最前列は誰もいない。シェイラは前から二列目の空席に入った。
腰を下ろそうとすると、すぐ後ろからもう一人来ていたらしい。その男子生徒が同じ列に入ろうとするので、シェイラは奥に詰めて座り、男子生徒が隣に座った。
「間に合ったね」
男子生徒が話しかけてきた。
「そうね」
短く応えて、経典と筆箱を机に置き、前を向いた。
始めは両学院の生徒からなる聖歌隊の合唱である。のんびりと聞くことにする。
視線を感じて横を向くと、男子生徒と目が合った。
「フレデリック・ヘイター、第五学年だよ。よろしく」
右手を差し出すので、シェイラは仕方なく握手した。
「よろしく」
「転入生だよね? 四月から?」
「そうよ」
「何学年?」
「第二学年よ」
「えっ、じゃあまだ十三歳? すごく大人っぽいね」
「実は十四歳よ。一年遅れているの」
「ふうん……」
バカだから留年したと思われただろうか。けれど、早く会話を終わらせたいので、言い訳はしない。シェイラは前を向いて、真剣に聖歌を聞いているふりをした。
暫くして、またフレデリックが口を開いた。
「あの……さ、名前を教えてもらってもいいかな?」
「フォースター」
シェイラは前を向いたまま答えた。
「な、名前を……いや、まあいいか。ありがとう」
急に消極的になったので、シェイラは少し気の毒な気がした。
「シェイラよ」
「シェイラ……いい名前だね」
「そうかしら……」
フレデリックは合唱が終わると、また話し掛けてきた。
「もうすぐ五月祭だね」
「そうね」
「君は、ひょっとして、……メイポールダンスに出るのじゃない?」
「えっ、どうして知ってるの?」
シェイラは驚いて、思わず隣を見た。
「やっぱり! あれはキレイな子が選ばれるから、そうじゃないかと思って」
フレデリックが嬉々としてそう言った。そう言えばシェイラが喜ぶとでも思っているようだった。
「そうらしいわね……」
シェイラは陰鬱な気分になっていた。
一昨日の金曜日、シェイラはメイポールダンスのメンバーに選ばれたから、来週から放課後の練習に参加するようにと、教頭先生に言われた。
その夜、アレクシアが部屋に来て、メイポールダンスの話を始めた。
「シェイラも選ばれたのね! じゃあ私たち三人一緒に踊れるわね!」
「ふうん、やっぱり。あれは見栄えの良い子が選ばれるから」
エリザベスは冷めた調子でそう言った。
「見た目で誰が踊るかを決めるの?」
シェイラが驚いて尋ねた。
「そうよ。先生たちはどういう基準で選んでいるか言わないけど、そうに決まってる。みんな知ってるわよ。わたしはもう四回目だから、振り付けを教えてあげるわ」
エリザベスがそう明かすと、アレクシアも競うように「わたしは六回目!」と言った。
セントルイザ女学院は毎年インペラーマウンド地区の五月祭に、地域への貢献として出し物をする。まず、五月の女王の戴冠式があり、その後、三十人ほどの女生徒によるメイポールダンスがあり、そして、五月の女王が率いるパレードが街を巡る。メイポールダンスのメンバーは五月の女王に付き添って、パレードにも参加しなければならない。
「ということは当然、五月の女王役は学校中で一番の美人が選ばれるのね?」
シェイラが尋ねると、エリザベスが否定した。
「それが、違う。五月の女王役は、親が学院にした寄付額で選ばれるの」
「顔の次は金なの?」
「わが娘を五月の女王にしたくて、競って寄付をするバカな親がいるのよ」
「そんなことで選ぶなんて、何か違う気がするけど……」
シェイラが釈然としない顔をしていると、エリザベスは頷いて、こう言った。
「わたしも金で選ぶのは反対ね。不細工な子の五月の女王の扮装は、本当に見苦しいから。セントトマスでは五月祭の後に、『私的・五月の女王』を決めるぐらいだしね」
「なにそれ?」
「要は、美少女コンテストみたいなものよ。セントルイザの生徒で誰が一番美人かを、セントトマスの生徒が投票で決めるの」
「まさか冗談じゃないわ! そんなことしていいの?」
「さあ? 寮で隠れてしているんじゃない? でも毎年恒例よ」
「そんなこと、勝手に決められたくないわ!」
シェイラは憤慨して叫んだが、この怒りはあとの二人と全く共有できなかった。
二人とも怪訝な顔つきでシェイラを見ていた。アレクシアは何か思いついたらしく、こう切り出した。
「あら大丈夫よ。『私的・五月の女王』に選ばれても、特に何もないから。何ももらえないし、何かするわけでもないの。ただ選ばれるというだけ」
「アレクシアは何度も選ばれているから詳しいのよね」
エリザベスが説明した。アレクシアはさらに続けた。
「去年は一位だったけど、今年はシェイラに負けちゃうかな。でもいいんだぁ、だってシェイラは本当にキレイだもの。それに性格がいいから、わたし、シェイラにだったら負けても悔しくないよ」
シェイラは怒りが収まらなかった。
「みんな腹が立たないの? よその学校が勝手に美少女コンテストだなんて、気持ちが悪いし、失礼だと思う」
それでもアレクシアはキョトンとしていたが、エリザベスは不快そうに顔をしかめた。
「別にいいんじゃない? ただの遊びなんだし。そんなことで喚き立てるのって、不細工な子たちみたいよ」
「そうよ、大丈夫よ。シェイラなら絶対、上の方になるから、心配いらないよ」
エリザベスはまだしも、アレクシアとは永遠に話が噛み合いそうになかった。
それが金曜日の夜のこと。
日曜礼拝の席で、この話をすることになるとは思わなかった。
フレデリックは嬉しそうに続けた。シェイラがこの話題で嫌な気分になっているとは思いも寄らないようだった。
「絶対に観に行くから、ダンスがんばって!」
「ええ、わかったわ」
聖歌隊が退場して、次は神官の説教が始まった。
「もうろく爺さん、話長すぎ!」
フレデリックがいきなり悪態をついた。シェイラはびっくりして隣を見る。怒っているのかと思いきやその逆で、楽しげに顎を出し、身体を前後に揺らしている。シェイラが見ていることに気付くと、にぃっと微笑んだ。
「いつも長いよね、爺さんの話」
親指で説教壇を指さして、そう言った。
シェイラはひやひやしながら、無言で頷いた。彼はまた、にっと笑った。
幸い神官様はこちらを見ていなかったし、聞こえてもいないようだった。
確かに、この老神官の説教は毎回長すぎる上に退屈極まりない。さらにはかなり高齢で、発音がはっきりしないから、時々何を言っているのかさっぱり分からないこともある。
それでも、シェイラは真剣に聴こうとしていた。というのも、ナイトリー先生の本業は神官で説教をする側の立場だから、もし彼が一生懸命に話をしているのに誰も聞いていなかったら、落胆するだろうと思うからだ。
「おい、こら、はよ終われ」
隣のフレデリックは増長して、説教壇まで届くか届かないかの声で、そんなことをぶつぶつと言っている。そのうちに手で銃の形を作り、それを神官様に向けた。
「ばきゅん、ずきゅん、引っ込め」
声が聞こえたのか、不意に神官様がこちらを向いた。フレデリックはさっと手を引っ込めて何食わぬ顔をする。神官様は視線を正面に戻す。フレデリックはシェイラを見て顔中をほころばせ、声を殺して大笑いした。
こういう冗談を悪気なく行えるというのは、シェイラからするとむしろ凄いと思うが、神官様に申し訳なくて、笑えなかった。
「ねえ、ちゃんと聞かない? せっかくいいお話なんだし」
シェイラが囁くと、フレデリックは冷や水を浴びせられたように急にしゅんとなった。
これでもう、話しかけて来ないだろう。
説教が終わり、お祈りが済むと、小さな用紙の束が回ってくる。シェイラは一枚取って、隣へ回す。フレデリックはそれを、がばっと数枚取って後ろへ回した。用紙には説教の感想と名前を書いて、最後に出口で提出するのだが、実はこれが出席証明になっている。感想がなく日曜礼拝に出ていないことが先生に知れると、お叱りを受けるらしい。
フレデリックはシェイラの手元を覗いて、同じ感想を書いている。しかもそれを、数枚に書き写す。シェイラの視線に気付くと、少しは気が咎めるのか苦笑いして、
「友達に頼まれちゃって……」
と言った。
シェイラは感想文を盗まれて良い気がしないのと、純粋な疑問からこう尋ねた。
「そういうのって、ばれないものなの?」
「え?」
「だって、同じ筆跡で同じ文を何枚も書いて、先生たち、よく見たらすぐ判ると思うけど」
「さあ? でも、みんなしてるよ」
感想が書けたら解散となる。シェイラは長椅子の通路側に座っているフレデリックと、やむを得ず一緒に通路に出た。
「来週も、ここに一緒に座らない?」
フレデリックが誘ってきた。
「いや、ここはちょっと、前過ぎるから」
本当は席の場所などどこでも良いのだが、断る口実にそう言った。
「じゃあ、来週はあの辺りに座ろうか? 左側の後ろから……五列目とか。先に来て席を取っておくよ」
フレデリックは受け入れられたと思って笑っている。
「いや、違うのよ、席は取らないで。もう隣になることはないと思うわ。ごめんなさい」
出口付近は混んでいたが、シェイラは人をすり抜けて先へ行こうとした。すると、フレデリックに腕を掴まれた。
「シェイラ、行かせないよ」
真剣な目つきに、急に恐怖が湧いた。
「放して!」
シェイラは周囲に聞こえるよう大声で言った。何人かがこちらを振り返る。フレデリックは険しい顔をして、ゆっくりと手を放した。
「わたし行くわ。あそこに友達が、……というか知り合いが」
最後列の席の背後にエリザベスがいて、こちらを見ていた。シェイラはやや強引に人をかき分けて進んだ。エリザベスが頼もしく見えて、逃げ込む気持ちだった。
「エリザベス、元気?」
「なにが元気? よ。朝別れたところだし、普通に礼拝していただけだから」
エリザベスは自分と姉妹のようにそっくりな下級生を三人引き連れている。彼女たちは同じ髪型に、同じ形の眉毛をして、同じようなペンダントをぶら下げていた。
「そんなことより、誰と一緒にいたのよ?」
「セントトマス学院の人」
「それは見れば分かる」
エリザベスの視線がシェイラの背後に流れた。一瞬振り返ると、フレデリックが五歩とかからない距離からこちらを見つめていた。
「あの黒髪の男子生徒のことを知っている子はいる?」
エリザベスが尋ねると、子分たちは互いに顔を見合わせた後に、首を横に振った。
「役に立たないわね、まあいいわ。ローサ、彼をここへ連れてきてちょうだい」
「なんですって! ダメダメ、やめてよ!」
さっそく向かおうとする女の子の前に立ちはだかって阻止した。
「何を言うのよ! せっかく逃げて来たのに! いったい何をするつもりなの?」
シェイラの抗議がいつになく激しかったからか、エリザベスは少し怯んだ。
「どういうつもりなのか、はっきり訊いてやろうと思って。さっき『放して』って叫んでいたでしょ? 付きまとわれているのかと思ったけど、違うのならいいわ」
エリザベスはふんと顔を背けると、シェイラの横をすり抜けて、子分たちと一緒に行ってしまった。シェイラは他の女生徒に紛れるようにして寮に戻った。
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