第2話 コンビニバイト

コンビニバイトはやることが多い。

自宅から徒歩五分。青い看板のコンビニエンスストアが僕の現在の働き口だ。授業以外の時間は、店長が許す限りここで働いている。

一人暮らしする上で父親からの金銭支援があるとはいえ、勘当された身で――これを父に直接言うと怒られるのだが――あまり頼るわけにもいかない。そもそも友人も趣味もない僕には、他に時間の使い道もない。

「らっしゃっせー」

今日の勤務のパートナーは鴨川さんだった。23歳のフリーターで、派手な茶髪をしており目つきが悪く、勤務態度がゆるい。しかし外見に反して仕事は丁寧で、バイト歴が長いだけあり大抵のことは聞けば教えてくれる。何よりコミュニケーション能力が異様に高いため、おしゃべりしたい常連客は大抵彼と話したがるおかげで、彼とシフトが一緒の日はとても働きやすい。

「鴨ちゃん、いつもの」

来店したのは常連客だったようだ。レジにいる鴨川さんを見つけたのだろう、声の緊張が解けていた。

「マルボロメンソ12のボックスっすね。一箱?」

「ん」

「バンさん、今日遅くねっすか」

「かみさん寝るのまっちょる」

「まじっすか、なに怒らしたんすか」

談笑を聞きながら僕は黙々と商品を陳列していく。鴨川さんがいる間は安心して裏方に専念できる。

今来たお客さんはバンさんらしい。コンビニのすぐ傍に住んでいて、三日に一度は来店する。二週間に一回くらいは奥さんとくることもある。奥さんは陽気でお喋りな女性という印象だった。

「虫の居所が悪いらしい。昨日の夜からなんや知らんがカリカリしとる」

「あれま。退院したてでまだ調子悪いんっしょ。早く帰ってあげたほうがいいっすよ」

「ん」

バンさんの奥さんは先日まで盲腸で町の総合病院に入院していたらしい。鴨川さんは常連客との雑談の内容を大抵覚えている。言葉遣いこそラフなものの、話したことをきちんと覚えていてくれて、また言葉に嫌味がないので、みんな彼とはつい会話をしたくなるようだ。

それにしても、なんだか嫌な匂いがする。

「奥さん、入院中バンさんがそばにいなくってさみしかったんじゃねっすか? だから今は甘えたいのよ」

「そういうもんか」

「バンさんもさみしかったっしょ?」

「はは、せいせいしちょったわ」

二人はいつも通り冗談を言い合って、笑い声をたてる。

菓子パンを並べ終え、入っていた空の納品用ケースを持ってレジの裏に入る時、ちらっと二人の方を見た。

作業着を着た中年男性――バンさんはいつも通りの様子だ。しかし、よく視ると手の辺りに灰色の靄がかかっている。それから、消毒液のほのかな匂い。

これは、たぶん、憑依の移り香。

憑かれているのは奥さんの方だろうか。或いは二人とも病院でだけか。

「お土産にロールケーキでも買ってくってのはどっすか。奥さん好きでしょ」

「……そうだな」

バンさんは普段は寡黙なタイプなのだろう。僕は話をしたことがないし、鴨川さん以外の店員と話している姿も見たことがない。そんな彼ともコミュニケーションを成立させてしまう鴨川さんの人間性には感嘆する。聞けば、コンビニバイトが入っていない日は近くの町でホストをしているらしい。

「ありあっとっしたー」

バンさんはタバコとロールケーキをいれたビニール袋を手に帰って行った。



「いっちー、そろそろ上がり時間じゃね?」

「はい。でもまだ戸倉さんが……」

「あのおじちゃん、また遅刻か。だいじょぶ、だいじょぶ。帰っていいよ」

「はい」

もうすぐ22時、高校生が働いてはいけない時間帯に入る。残っても店長に迷惑をかけるので、僕は交代の戸倉さんを待たずに帰ることにした。

「いっちー、明日も?」

「はい」

「がんばるねぇ。気ぃ付けて帰れよ」

「お先に失礼します」

店から出ると、雨の匂いがした。もうすぐ梅雨に入る季節。夕飯のお弁当をぶら下げてアパートに向かう。

コンビニのすぐ隣にある黄色い壁のアパートを通り過ぎる時、ふと先ほどと同じ消毒液の匂いを感じたような気がした。明かりがついた二階部屋。女性の甲高い叫び声が聞こえてくるが、なにを言っているかまではわからない。

――一瞬、背筋に悪寒が走る。

――見上げた窓のカーテンの向こう側に有る気配。

――視ていると気付かれた。

僕はすぐに顔を伏せ、足早にその場を通り過ぎる。鼻をつく薬品臭を忘れようと、雨の匂いに集中する。

明日、雨が降ればいい。雨の日はなんとなく世界が静かに感じられるから。



街灯の少ないアスファルトの道を少し歩けば、ようやく見慣れた古い木造アパートにたどり着く。僕の部屋は一階の角部屋だ。

庭に植えられたジャスミンの香りに自然と安心する。

カバンから鍵を取り出しながらドアに向かうと、暗い影の中に華奢な人型が立っていた。

思わず身体をびくりとさせ立ち止まると、彼女は月明かりの下に姿を現わす。

「いちにぃ」

「茉莉花」

「開けて」

黒く長い髪にセーラー服、端正な顔立ちの少女――二ノ宮茉莉花にのみやまつりかがそこに居た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る