◆4.助け

 公園に足を踏み入れて直ぐに、咲綺は異変に気付いた。

 背後で、微かながする。

 カサッ、というような、人間が出しているとは思えない、随分とゆっくりとした足音・・だ。

 足音・・は、確かに彼女に向かってくる。

 額に汗が滲む。

 咲綺は恐ろしくなって、歩く歩調を上げた。九十九からの助言通り、彼女は振り向く気は毛頭なかった。

 公園の入り口とトイレは真反対にある。その途中にある錆びれた遊具に見向きもせず、咲綺は一直線にトイレに向かった。

 ――足音は、まだついてくる。

 公園のトイレの近くまでやってくるとき、咲綺は肩に違和感があることに気づいた。

 右肩だ。

 なんだろうと、咲綺は左手でそれ・・に触れる。


「ッ」


 小さく悲鳴を上げて、咲綺は触れたものを地面に叩きつけた。

 ――人の手の形をした骨だった。だけどそれはあまりにも小さい。まるで赤ちゃんの手のようだ。

 それもその筈。咲綺が投げ捨てたのは、とても小さながしゃどくろ・・・・・・だった。

 まるで赤子だ。そのがしゃどくろは、咲綺が叩きつけたことにより、動かなくなる。

 また近くで、カサッ、という音が響く。

 背筋に悪寒が駆け上がっていく。咲綺は、もう九十九の助言を半ば忘れていた。少なくとも、この時は。

 おそるおそると、咲綺は背後を振り返る。

 そして、今度は短くはない、悲鳴を上げた。

 その悲鳴は、高く、公園内に響いた。

 がしゃどくろの大群が、公園内をひしめき合っていた。

 ブランコを、骸骨が漕いでいる。

 滑り台を滑り落ちる、骸骨もいる。

 そして、鉄棒を軽々と超える大きさのがしゃどくろも。

 一体、何体いるのだろうか。

 大小、大きさもさまざまながしゃどくろが、ジッと咲綺を見つめている。

 まるで獲物を狙う獣のようだ。

 咲綺は、初めて捕食される側の気持ちを味わった。


「あ……、うそっ……」


 うまく呼吸ができない、逃げようとして振り返りたくても、体が言うことをきいてくれない。

 ふと、幼い頃に耳にした昔話を思い出す。


 ――あの公園って、昔お寺があったんだって。戦で、たくさんの人が死んだらしいよ。

 もう名前も顔も思い出せない、幼いころ仲良くしていた女の子から聞いた話だ。

 そんな昔話、自分には関係ないと思って、咲綺は鼻で笑った。


 いまの状況に関係ない昔話を思い出していると、咲綺の制服の裾を一体のがしゃどくろが軽く引いた。

 それだけで、咲綺はお尻を地面にぶつけて、転んでしまう。

 そんな咲綺の無様な様子を、周囲にいるがしゃどくろが声を上げて笑った。

 カラン、カランと、まるで骨が打ち合って鳴っているような笑い声だった。

 咲綺は、その骸骨たちが上げる不協和音に、唇を震わせる。

 涙が、咲綺の頬を零れ落ちていく。


「……た、助けてよ、九十九くん」


 ああ、どうして自分は、彼の助言を違えて、振り向いてしまったのだろうか。

 あのまま一直線にトイレに入っていれば、無事に元の世界に戻ることができたはずなのに。こんな思い、することはなかったのに。

 がしゃどくろの大群の内、一番大きながしゃどくろが、咲綺の前に立つ。二メートルは超えているだろうがしゃどくろを、咲綺は涙目で見上げる。

 とぐろを巻くような虚ろな眼窩が、咲綺を静かに見下ろしている。

 すると、不思議なことが起こった。

 その大きながしゃどくろを中心に、大小さまざまの骸骨たちが押し寄せていく。

 ――否、そのがしゃどくろに、他の骸骨たちが吸い込まれていく。

 みるみるうちに、二メートルを超えるそのがしゃどくろが、肥大化していった。

 三メートル、四メートル、五メートルを超えたところで、がしゃどくろは肥大化するのをやめた。同時に、周囲に沢山いた骸骨たちの姿が消えている。咲綺が地面に叩きつけた赤子の骸骨も、咲綺の服の裾を掴んで転ばせた骸骨も。

 残ったのは、五メートルを超える巨大ながしゃどくろだけだ。

 そのがしゃどくろの眼窩は、未だに咲綺を捕らえて離さない。

 咲綺は、身動きをとることは叶わず、地面に尻を付けたままま、その眼窩を見続けた。

 青ざめた唇は震えて、もう言葉も上手く紡げない。

 助けを求める声も、出てこない。

 咲綺は、心の中で、九十九の名前を呼んだ。


(……九十九くん)


 彼なら、彼ならきっと、自分を助けてくれる。

 がしゃどくろの骨しかない手が、咲綺に迫ると、制服の襟を摘まんだ。それだけで呆気なく、咲綺は宙吊りの状態となる。

 地面が、どんどん高くなっていく。

 がしゃどくろの真っ黒な眼窩が、目の前にあった。

 吸い込まれそうなほど黒く、深淵を思わせるそれから、咲綺は目が離せなかった。

 がしゃどくろの口が開く。


 ――彼は、まだ助けにきてくれない。きっと、咲綺が助言を違えたから、彼は助けてくれないのだ。

 好奇心が勝っていたとはいえ、咲綺は最初から彼の忠告を跳ね返していた。どうしてこの世界から彼が急いで咲綺を追い返そうとしたのか、その理由を咲綺はいまになって知った。

 こんな妖怪が蔓延る裏側の世界・・・・・に、ただの人間である咲綺が、ひとりで彷徨うのは危険すぎる。妖怪は、きっと咲綺が思っている以上に強く、容易く人を喰らってしまうのかもしれない。


「咲綺」


 名前を呼ぶ声がする。

 はっと顔を上げると、巨大ながしゃどくろの頭上に、化野九十九が立っていた。暗い夜空を背に、彼は白装束をはためかせ、湾曲した刃を構えることなくだらりと腕ごと垂らしている。

 そんな彼は――笑っていた。

 確かに、彼は笑っている。頭にある狐面と同じように、目を細めて、口を怪しく歪めて、笑っている。

 九十九は、囁くように言う。


「この世界は、いつも暗いだろう。月すら灯りなく、黒く塗りつぶされている。そんな世界に生きる妖怪が、光が好きだと思う? 裏側の世界の妖怪はね、みーんな、光が憎いんだ。疎ましくて、喰らっちゃいたいほど嫌っている」


 そっと、怪しく歪んた口元を隠すかのように、九十九は顔を狐面で覆う。


「妖怪はね、人間を喰い殺したいほど嫌っている。咲綺、よく周りを見てごらん。みーんな、キミを喰いたがっているよ?」


 九十九に言われるがまま、咲綺は顔を巡らせる。

 そして、見てしまった。

 がしゃどくろだけではない。さまざまな奇奇怪怪な妖怪たちが、ジッと、人間とは違う瞳で咲綺を見ている。中には憎らしそうに、睨みつけてくる妖怪までいる。でもほとんどの妖怪は、おいしい獲物を喰いたくて喰いたくって仕方がないのだろう。舌なめずりをして、いやらしそうに咲綺をジッと見ている。

 その瞳に、咲綺が耐えられるわけがなかった。

 とうに限界にきていたのだ。

 どす黒い絶望感に、塗りつぶされる。

 ピンチになったら助けてくれると思っていた九十九は、そんな咲綺を笑って見ているだけで、助けてくれるとは思えない。


 制服の襟を掴むがしゃどくろの腕が、不協和音を奏でて動く。

 真っ黒な眼窩と同じぐらい黒い、がしゃどくろの口の中を、咲綺は放心しながら見下ろした。

 がしゃどくろの手が離れる。

 咲綺の体は、真っ逆さまに、がしゃどくろの口の中に吸い込まれていった。


「――――咲綺、良かったら、助けてあげようか」


 感情のこもってない、冷酷な嘲笑を含んだ言葉が聞こえたのは、その時だった。

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