◆2.裏側の彼

 最初、咲綺は自分のいる場所に変化が起こったことに気づいていなかった。

 トイレの鏡はとっくに輝きを失っており、周囲は薄暗い闇に包まれている。

 けれど、そこは明確に違う場所だった。

 咲綺が気付いたのは、トイレから出て五分ほど歩いてからだった。

 街灯がついていない。いつも暗くなったら明かりが灯る道にある街灯が、すべて消えている。それは故障だと思えればよかったのだが、さすがにすべてもの街灯の灯りが落ちているのは不自然だ。

 それから、道路。まだ十八時だというのに、道には人っ子ひとりも見受けられない。住宅街に続くこの道は、いつもはもう少し人が行き交っている。

 咲綺は、眉を潜めた。


(なにが、どうなっているの?)


 不気味だ。不気味だけど、咲綺には理由がわからない。

 咲綺は帰路を急いだ。なにがどうなっているのかはわからないけれど、まずは家に帰ろう。

 暗い道を、咲綺は急ぎ足で家に向かう。良く目を凝らしてみると、立ち並ぶどの家も明かりが灯っていない。それどころか建物からは人の気配も感じない。

 背筋に寒いものが這い上がっていくのを感じたとき、ザラッと、何かがこすれるような音が背後から響いてきた。

 自分の他にも人がいる。そう思った咲綺は、振り返る。


 ザラッ、シャリッ、バラッ。

 固いものが、割れて、落ちる音が。


 曲がり角の先から聞こえてくる音に、咲綺は身震いする。 

 到底人が出している音とは思えない。その音は、ペットの犬がで遊んでいるときの音に、似ている。


 曲がり角に影がかかったかと思うと、そこから思いもよらぬものが姿を現した。

 骸骨。

 人の姿をかたどった骨だけでできたモノが、黒く淀んだ眼窩がんかを咲綺に向ける。

 その深淵にも思えるほど深く淀んだ眼球のない瞳を見て、咲綺はもうすでに放心していた。


(なにが、起こっているの……?)


 いきなり日常に、こんなにも不気味なものが現れたら、誰もが驚くだろう。

 顔面を蒼白とさせる咲綺に、骸骨はまるで狙いを定めたかのように近寄ってくる。

 その骨から、が落ちる。

 骸骨は、ついさきほどまで何かを食べていたのか、口をもぐもぐとさせていた。

 咀嚼しつくしたそれを、骸骨がクシャリと噛み、地面にバラッと骨の破片が落ちる。

 それを見てしまっては、もう遅かった。

 咲綺は身に迫る恐怖にその場から逃げようとして、足がもつれて転んでしまう。立ち上がろうとして地面に手をつくが、腰が抜けてしまいうまく立ち上がれない。

 そうこう足掻いているうちに、骸骨はもう咲綺のすぐ傍にいた。

 怯え切った表情で、咲綺は顔を上げる。

 骸骨の眼窩は、感情を見せないその眼は、静かに咲綺を見つめていた。

 その骸骨の手が、咲綺の足を掴み上げる。

 抵抗するまもなく、咲綺は骸骨に持ち上げられて、宙吊りとなってしまった。

 ああ、よく見てみると、骸骨は咲綺より一回りも大きい。人の形はしているけれど、人間ではないのだろう。

 咲綺は、放心した頭でどうでもいいことを考えていた。

 このまま咲綺は食べられてしまうのかもしれない。この得体のしれない骸骨に、骨の髄までしゃぶられて、さっき落ちた骨と同じように、破片となって何もないところに捨てられるのだ。

 咲綺はギュッと、目をつむった。

 カチャッ、と音が響いたのはその時だ。

 咲綺の体が、どさりと地面に落ちる。

 お尻が痛み、咲綺はおそるおそる目を開けた。

 見知らぬ背中が、そこにあった。


「小さながしゃどくろだな。戦地跡でもないのに、どーしてがしゃどくろが、こんなところで人間を襲っているんだろうね」


 ガラガラと、少年の視線の先で人間の姿をかたどっていた骨が、地面に落ちて山となる。

 物言わぬそれを冷めた目で眺めると、少年はゆっくりと振り返った。

 頭に狐面を乗せた少年が、ジッと咲綺を見つめた。その顔に笑みはなく、細い瞳が撫でるかのように咲綺の体を隅々まで這っていく。


「うん。怪我はないようだね。どうしてこんなところ・・・・・・に人間がいるかの方がよっぽど不思議だけど、喰われなくてよかったんじゃない?」


 少年はにっこりと微笑んだ。

 すっかり腰が抜けていた咲綺に、少年が手を伸ばす。

 咲綺は彼の手に捕まって立ち上がろうとしたが、まだ体は思うように動かない。

 あ、と咲綺は声にならない声を上げた。

 少年が、首を傾げる。

 白装束の装いも相まって咲綺はいまのいままで気づくことができなかったのだけど、少年は咲綺の知っている人だった。というか、彼を追って咲綺はここまでやってきたのだ。

 途中で幻のようにふっと姿を消してしまった彼の名前を、咲綺は呼ぶ。


「化野、九十九……」

「ん? キミ、どうしてオレの名前を知っているの?」


 少年はさも不思議そうに、別の方向に首をカクンと傾ける。

 どうやら、今日転校してきたばかりの彼は、まだクラスメイト全員の名前と顔を覚えていないらしい。

 咲綺は、ぐっと、息を呑む。


「あたしは、あんたを追って」


 そこで、言葉が途切れた。

 化野九十九の背後で、バラバラになった骨が、ガチガチと蠢いている。

 咲綺の挙動に、九十九も振り返る。そこを、形成されたばかりの骨の腕が襲った。

 吹き飛ばされた九十九が、咲綺よりも後方に転がる。

 咳をして、腹部を抑えながら彼は起き上がると、不敵な笑みを湛えながら復活したがしゃどくろをにらみつけた。


「やっぱりね。燃やし尽くさなければ、復活してしまうようだ。狐火の無駄遣いだけど、仕方がないかな」


 懐の鞘から、化野九十九は、日本刀に似た湾曲した刀を抜く。刃先をがしゃどくろに向けて構えると、またもや咲綺に迫ろうとしていた骸骨に肉薄して、九十九は刃を薙ぎ払った。

 そこから、青白い炎が舞い上がる。

 がしゃどくろの両断されたところからも青白い炎が舞い上がり、瞬きをする間もなく青白い炎はがしゃどくろの全身を満たしていく。がしゃどくろは、灰や塵すら残さずに燃え尽きた。呻き声すら聞こえてこなかった。


「さて」


 鞘に刃をおさめた九十九が、目を細めて笑い、咲綺を見る。


「キミは、どうやってここまでやってきたんだい?」

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