第16話姉から普通に脅迫状が届くわけだが

 

スパッツ。

 

ベッドの上で横になりながら、僕はまったく寝付かれなかった。


考えているのはどれも小夢のあの黒いスパッツのことばかりで、唐突に、男ってのは本当に可哀そうな生き物だと思うようになった。


彼らは大脳の中に作り出された色情細胞によってコントロールされ、盲目的に女性の体のどこということもない場所を追い求めるように仕向けられているのだ。

 

スカートの下に何があるのか、それがまだ分からない段階で、色情細胞は各種様々なパンツの映像を脳内で構築していく。


けれど一旦それがスパッツだと判明してしまうと、どんなよからぬ欲望もたちまち引っ込み、ただのスパッツを覗こうと試みた自分自身に対して恥ずかしさと無力さばかり感じるようになるのだった。

 

それに、今日こうして眠れない原因は、スパッツだけではなかった……

 

一通の手紙が、いや、もっと正確にいうなら一通の脅迫状が、学校から戻ってみると自室の机の上に置かれているのに気づいたのである。いっぱいの悪意を放ちながら、そこにはこう書かれていた─

 



私はお前を監視している

 

お前の代わりに異性からの誘惑を杜絶する

 

私はお前に一矢報いるだろう

 

皇玲ねえさんの命令を執行する

 

これは警告だ

 

お前の選択を見ている



 

こんな具合で、誰のものかといった署名はなく、全部で四十六文字、全て新聞紙から切り抜いた文字を貼り合わせて構成されているという、テレビで誘拐犯が被害者家族に宛てて出す脅迫状そのものといった代物で、僕は実際のところどうして金玲ねえさんが僕を脅迫してくるのか、なんのためにここまでの手間をかけるのか分からなかった。

 

この瞬間も、彼女は僕の部屋の隣で寝ているのだ。

 

僕は淡々と苦笑を漏らした。同時に傍で眠っていた香玲ねえさんが寝がえりを打った。僕のシングルベッドに香玲ねえさんと一緒に横になっているために、僕はそのわずかな振動を感じ取ったのだった。

 

橙色の常夜灯の中、香玲ねえさんが静寂を破ってこう口を開いた。

 

「龍龍、眠れないの?」

 

「うん……」

 

「私も」

 

「どうしたの?」

 

「心配ごとがあって」

 

「話してくれる?」

 

「うん、だけど先に私に話して」

 

「僕は何も心配事なんてないよ」

 

「嘘つき、金玲ねえさんの手紙、私だって見てるんだよ」

 

「ああ」僕は曖昧に答えた。

 

香玲ねえさんは自分のパンダの掛布団をのけると、芋虫のようにして、僕の掛布団の中へと入って来た。僕の同意を得ない内から、僕の右手を彼女の後頭部へと回し、傍で横になることによって僕の右胸のあたりを枕のようにしてしまったのだった。


端的にいうと僕が一本の木で、香玲ねえさんがその木にしがみつくコアラといった様子だった。

 

この姿勢のせいで僕の可哀そうな右手はいくらか気まずそうにしていた。どこにやれば良いか分からず、また香玲ねえさんによって捕まえられ、彼女によって胸元で抱き込まれているのだ。

 

「小さいころのことまだ覚えてるなぁ。私たちが寝付けない時、皇玲ねえさんはテレビ見せてくれないし、こうして一緒に横になって、おしゃべりして……そうやって眠ったんだったよね」

 

パンダのパジャマしか身に着けていない香玲ねえさんはそういって優し気に笑ってみせた。

 

昔のことを思い起こすと、僕も笑い出してしまった。

 

「ほんとは金玲ねえさんは……世界で一番龍龍のことで気を揉んでいる人なんだよ。金玲ねえさんは私に比べると、口も悪いし、表情だって怖いけど、何をするにしても、まず龍龍のことを考えているんだから」香玲ねえさんは淡々とそう話した。

 

「よく分かってるね」

 

僕はそれほど嬉しくなかった。いやそもそも脅迫状を受け取ったら誰だって嬉しくはならないだろう。

 

「金玲ねえさんは私より一分早く生まれただけなのに、どうして金玲ねえさんの考えてることが分からないだろう」

 

香玲ねえさんの話題はすでに双子のテレパシーといった論点に移動してしまっていて、僕には何とも言い難かった。

 

「実際のところさ、僕はもう高二なんだから、彼女と付き合うのってすごく当たり前のことなんじゃないの? 香玲ねえさんだって好みに合う彼氏を作って交際したっていいんだよ」

 

五人の姉に深く根を下ろしている固定観念を崩すため、僕は最も親しい香玲ねえさんから洗脳を始めることにした。

 

「だめ、だめ、皇玲ねえさんがダメって言ったものはダメなの」


香玲ねえさんでんでん太鼓みたいに頭を振った。


「皇玲ねえさんだって龍龍にだけ言ってるわけじゃないよ。私たち五人とも態度で示してるでしょ。みんな彼氏いないじゃん。これってすごく公平なことでしょ」

 

「……」


 僕はいくらか呆然としてしまった。公平の定義について。

 

「今日だってね、となりのクラスの……だ、男子が私に告白して来たんだよ」


香玲ねえさんはそこまで言うと、僕のことをきつく抱きしめた。


「龍龍、怒らないでね? おねえちゃん、これから気を付けるようにするから。私はもう徹底的にその男子のことは拒絶しておいたし、手紙だって触りもしなかったんだから、ほんとだよ!」

 

「……どうして僕が怒るのさ?」

 

僕の頭は混乱し始めていた。今一体どういう話になっているんだ?

 

香玲ねえさんは僕のことをじっと見つめ、口元を尖らせて話したくなさそうにしていた。その朦朧とした目つきは、まるで「誤魔化して、ほんとに」とでも言っているようだった。

 

「ぼ、僕はほんとに分からないんだけど……」

 

「……」

 

「ほ、ほんとに分からないんだって、誓ってもいい」

 

「もう!」

 

香玲ねえさんはかなり悩まし気にいった…


「まさか龍龍は私が外で男の人と一緒にいても怒らないの? まさか私が他り男の人の彼氏になってしまっても構わないって? これから私たち一緒に寝られなくなっても怒らないの?」



 

一体どんなとんでもない誤解をしているんだ!



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