第2話姉から涙を拭くように言われてるんだが


教室の窓の外に、突然頭が一つ現れた。


僕はそもそもそちらを見ることもなく、その声を聞いただけで誰がやって来たのか知ることができた。


僕は弓に驚いた鳥のように動揺すると、すばやく自分の引き出しの中からさっき買ったばかりの肉そぼろパンを取り出し、包みのビニールも開けないまま、口に咥えてからいった。

 

「ねえさん、昼ご飯ならもうあるから……もうお腹一杯だよ……僕もうこれで満足だから」

 

これは座席位置がひどくまずかったせいだけれど、僕たちのクラス四十二人のクラスメートのうち、僕と雲逸がちょうど教壇から最も離れた左後方で前後していて、つまりは窓と後ろの出入り口の前に位置しているということで、そのせいで普段からおかしな物に脅かされていたのだった。

 

「先輩、お席をどうぞ」

 

雲逸は紳士のように座席を譲ると、僕の両目から噴射される救難信号を無視した。

 

五つ目のねえさんは明らかにいくらか気恥ずかしそうにしていた。彼女は手にパンダのイラストがプリントされた弁当箱を二つ持ち、礼儀正しくこう訊いた…


「後輩くん、もう一脚持って来て一緒に食べようよ。たくさん持って来たから」

 

「それはできません、俺はもう食べて腹もいっぱいですし、それに先生との約束もあるんです。ちょうど今から行くところだったんですよ」

 

雲逸は真面目くさった顔で口からでまかせをいった。奴はそもそも部室に言って昼食をとるつもりだったのだ。

 

くそっ、僕には逃亡するチャンスすらないのか。

 

五つ目のねえさんは頷いて謝意を示すと、片手でスカートを押さえながら、そそと雲逸の席に腰を下ろし、弁当を学習机の上に置くと、宝物を披露するかのように弁当箱を開けつつ、その上「ジャジャン」という可愛い効果音を発した。最後に僕の口の中から封も切っていない肉そぼろパンを取り出した。

 

「こんなのじゃ栄養にならないよ」

 

「ねえさん、とても重要な話をしたいんだけど」

 

「食事よりも大切な話があるの?」

 

五つ目のねえさんはパンダのイラストのついたフォークを掴み、弁当箱の中から角煮を一つ取り上げると、僕の口元へと持って来た。

 

「……」

 

僕はどうするべきか分からなかった。雲逸を一瞥すると、奴はすでに三歩を四歩に縮める勢いでその場から離れていくところだった。

 

「今日は特別おいしく作ったんだよ。はい、あーん」

 

「僕たちはこんなことを続けていくべきじゃないと思うんだ……本当に」

 

たぶんしっかりと正面から向き合うべき時期が来たのだろう、僕はすでに何年も我慢し続けていたし、本当にこれ以上我慢することはできなくなっていたのだ。

 

「どうしたの?」

 

五つ目のねえさんはフォークを引っ込めることなく、澄み切った笑顔で僕が噛み付くのを待っていた。

 

「これから昼食の時間にはもう来ないでほしいんだ。ねえさんにはねえさんのクラスメートがいるように、僕には僕のクラスメートがいるんだよ。小学校、中学校とずっと僕のために昼食を作ってくれていたことには、僕はとても感激しているんだけど、でも……今はもう僕たちも子供じゃないし、このまま続けていたら……ほんとに良くないと思うんだ」

 

僕は悩みながら言いたいと思っていたことを言い切った。


以前から僕も何の反応も示していなかったというわけではないけれど、今回のはそれと比べるとわりと直接的な物言いだった。

 

僕は敢えて五つ目のねえさんを見ることもせず、彼女の手からフォークを受け取ると、自分で弁当を食べ始めた。

 

突然こう思った。この短い数秒、わずかに僕が何口か咀嚼するだけの時間は、実際のところすこしあり得ないほどというか……恐ろしさを感じさせるほどゆっくりとした時間なのだった。

 

「龍龍……おねえちゃんは龍龍に恥をかかせてしまっていたって、そういうこと?」

 

僕は猛然と頭を上げた。フォークを口に咥えたまま、呆然と僕とは一歳上だというだけの、小さいころから僕の面倒をみてくれていた姉をみた。

 

彼女はきつく口元を結んでいた。力を込め過ぎていたせいで上下の唇が真っ白になっていたほどだった。


もともと白くきめ細やかだった顔は激情のあまり血の気が上り、長い睫毛と大きな瞳は揺れ、全身をわずかに震わせ始めていた。


彼女の頭髪の上に留められていたパンダの髪飾りさえ彼女の髪にそって滑り落ちてしまいそうだった。

 

「ねえさん、僕はそういう意味で言ったんじゃないんだ。ひっきょう僕たちだって大きくなってるだろ、彼氏とか彼女とかとも付き合うべきだし、もし僕たちが毎日こうして一緒にいたら、きっと他人に誤解を与えてしまうことになるよ。それじゃねえさんに対しても悪いし……だからその……ちくしょう、まじかよ……」

 

手遅れだった。僕がそのセリフを言い終わらない内に、五つ目のねえさんの目尻から涙の粒が彼女のスカートの上へと零れ落ちてしまっていたのだ。

 

「龍龍、おねえちゃんが悪かったね……だけど私ほんとうにがま、我慢できなくて……私たちは午前中から五時まで離れ離れにならないといけないじゃない……ほんとうに長くて長くて……」

 

長年に渡る僕の五つ目のねえさんに対する理解からいって、一度か細くすすり泣き始めてしまえば、そこから次は大声で泣きわめくだろうことが容易に分かった。


そのせいで教室に残っていたクラスメートたちの注意力がだんだんと僕たちの上に集まることになってしまった。

 

僕はひどい奴だと言われることは構わないけれど、正直なところ姉を泣かせてしまったという罪名なんて背負いきれるものではなかった。

 

「おねえちゃんだってもうすっごく譲歩してるんだよ……もうこれ以上はダメなの……毎回授業が終わるたびに、毎五十分ごとに龍龍を確認しに来るって……おねえちゃんそれだと足らないのよ……ご、ごめんね……」








今土下座して間違いを認めたらまだ間に合うだろうか?









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