082. タブラ

 守護者がいなくなれば、次は奥へ進むだけ。

 皆で正面ゲートを潜り、いざ“神託の間”へというところで、トムスとレイサが、頭を押さえ立ち止まった。


「声が……」

「来るなって……」


 ハナがトムスの腰に手を伸ばし、彼の持つお守りに顔を近付ける。


「割れ始めてる。これ以上進んじゃダメ!」


 二人の持つ劣化アミュレットでは、ここが限界だ。先は蒼一たちに任せ、トムスたちは引き返した方がいい。

 どちらも渋々といった顔で、大空洞へ戻ることを承諾する。


「ハナ、君は行くのかい?」

「……ここまで来て、最後を見逃すわけにはいかない。ちゃんと待っててね」

「ああ、もちろんだ」


 レイサも蒼一の服の裾を掴んでグズっていたが、空圧盤で吹き飛ばしてトムスに引き渡した。


「トムス、浮気してもいいから、そいつを中に入れるなよ。頭が更におかしくなるぞ」

「ちょっと、なんてこと言うのよ!」


 ハナが眉を吊り上げて、蒼一とトムスを交互に見る。嫌味の無い笑顔を浮かべる、勇者二人。


「なんで水と油の二人が通じ合ってるのよ」

「ソウイチ殿は、立派な勇者だよ」

「俺もそう思う」


 無言で拳を上げ、蒼一はスタスタと通路の先へ向かう。


「あっ、待って!」


 遠ざかる背中に、慌ててハナも後を追った。蒼一の後ろに雪とメイリ、そしてハナ。

 四人を見送ったトムスが、隣に立つ少女へゆっくりと振り向く。


「君は、地球に帰りたいのかい?」

「……分からない。何も覚えてないもの。あなたは?」

「私はハナについて行くだけだ。ずいぶん待たせたしな」


 十八番目の勇者のおかげで、地球へ戻ることは一気に現実味を帯びた。

 ハナが戻るまでの間、トムスは地球への帰還や、勇者召喚について考えを巡らせた。


 私もこの少女も、身の振り方を考えなくてはなるまい。いや、上にいる全ての勇者と女神が、か。

 魔物に対抗する手段として、勇者と女神を呼び付け、異能を与えて事に当たらせる。

 その仕組みといい、巨大な地下施設といい、二代目の女神というのは余程の天才だったようだ。


 彼のその感想は、間違ってはいない。

 しかし、それでもまだ、機巧の女神の実力を低く見積もっていたのだった。





 門の先の通路を抜けると、何の飾りも無い小部屋に着く。

 在るのは椅子に手頃そうな、小さな石の円柱だけだ。


 訪問者は部屋の中央に置かれたその円柱に腰掛け、神の声を聞く。蒼一たちには不審な部屋としか思えないここが、ライルの言う“神託の間”だった。

 突き当たりの壁にある鉄の扉が、まだ先が続くことを教えている。


「何もねえな。奥へ行こう」

「お守りのおかげでしょうね。多分、ここで神託を聞くのよ」


 冴えたハナの考察も、確かめる術は無い。

 扉を開け、彼らは黙々と長い廊下を歩く。


「ようやく次の部屋です。長かったですねえ」

「光ってるのは助かるが、全く何にも無いな」


 単なる白い壁に囲まれた通路は、不思議にも大空洞より明るい。天井が外の光を透過させているのだが、その仕組みは彼らの理解を超えていた。

 廊下の最後には、またしても平坦な鉄の扉が待つ。

 ゆっくりと戸を押し開け、中を覗いた一行は、現れた光景に息を飲んだ。


 地球の学校がすっぽり収まりそうな、広大な部屋。

 いくつもの壁に区切られた空間に、延々と立ち並ぶ棚。

 三階構造の棚を隙間無く埋める――


「――本だ。巨大な図書館?」

「地下に図書館って。待って、これって……」


 ハナが手近な棚に駆け寄り、抜き出した一冊を手に取る。

 中をパラパラと見た彼女は、先ほどの発言を訂正した。


「本じゃない、タブラよ。これ全部、タブラだわ」


 ダリアが作った無地のタブラとは違い、全ての背表紙には名前が記してある。中身もビッシリと魔言語で記述済みだ。

 何となく推測できるものはあったが、まずは部屋全体を調べるべきだろう。

 四人は手分けして、この大きなタブラ部屋の四方に散った。


 梯子や階段で繋がれた書架が、部屋のほとんどを占める。

 それ以外の要素は、部屋中央に固まっていた。

 魔光を放つ起動中の石盤が三つ、これは各地で見た魔法陣の刻まれたものだ。直径約三メートルの石盤タブラは、この施設の心臓部に相応しい。


 三角形に配置されたその石盤の東西南北には、同じく石造りの円形テーブルが並ぶ。

 コーヒーテーブルほどの大きさの各机の上に、通常の数倍はあろうかという本型タブラ。

 四冊の本は開かれた状態で、これらからも軽い発光が見られた。


 皆は簡単に探索を済ませると、自然にこの中央に集まって来る。

 一番乗りの蒼一は、口許に手を当て、大型本の一冊を熱心に読み耽っていた。

 メイリも膨大な蔵書をキョロキョロと見回していたが、一冊を抜き出すと中央に歩み寄る。

 いつにも増して真剣な顔の彼に、少女は大型本の内容を尋ねた。


「何が書いてあるの?」

「……原本だ。お前も読むか?」


 何枚かページを戻し、蒼一は少女と場所を替わった。

 読み始めた彼女は、原本の意味を理解する。


「“……メイリ・ローン、全てを忘却し、マルダラに立つ”」

「完全版だよ。こいつが正確な“勇者の書”だ」


 遅れてやって来た雪とハナも加わり、しばらく四人は原本の読書に没頭した。

 メイリが読んだのが勇者の歴史、ハナがその女神版、雪が目を通したのはスキルリストだ。

 どれも短時間で読破できる量ではないが、それでも新たに知る事実だらけだった。

 極めつけが、蒼一が二冊目に読んだ原本で、その内容は勇者システムの詳細が書かれていた。


「やっぱり、その真ん中の石盤がエンジンだ。そいつを止めれば、全部停止する」

「三つあるけど?」


 ハナが魔法陣を見て、それぞれの機能を推察しようとする。

 内一つは似た文様に見覚えがあるものの、二つは全く未知の陣形だ。


「一つが霊力の供給陣、地下から吸い上げてる。ここは強力な霊脈ポイントの上に作られてるようだ」

「その青いのが、多分そう」

「次がタブラの維持陣、本の管理だな」


 赤と紫の魔光を放つ石盤、どちらがタブラ用なのか。


「最後が王国の管理のための物、要は洗脳魔法だ。全部潰すか?」

「待って、本のタブラは残した方がいい」

「……まあ、今回は俺もそう思う」


 各石盤の役割を特定するために、ハナにはもう少し文様を調べてもらうことにする。

 その間に、蒼一たち他の三人は、得た知識を整理し合った。


「王国の“呪縛”は、遷都時に完成してる。ほこらはあくまで、メンテと追加指令用だ」

「祠を潰しても、呪いは解けないんですか?」

「弱くなるだけだな。土地に刷り込まれてるらしい」


 タブラには呪縛という言葉は無く、大陸を守る護法、そう呼ばれていた。名付けたのは、二番目の女神だ。


「この機巧の女神は、本物の天才ですね。傀儡くぐつも王国も、スキルだってこの人の作った物です」

「初代の二人は、普通の人みたいだね」

「天才ねえ……」


 大陸全土に流れる霊脈は、時として霊力溜まりを作る。

 それなりの大きさに成長した霊力溜まりは、普通は勝手に崩壊し、自然災害を引き起こす。魔物の大量出現も、その一つだ。


 しかし、今から六百年前、大陸南東部において、他に類する記録の無い大規模な霊力崩壊が発生した。

 “大崩壊”、魔物が溢れ、竜が飛び交う事態に、南東の国々は潰滅する。

 その魔物討伐の軍を率いたのが、王国の王子、初代勇者だった。


「剣士と魔術師の二人組で最小班を作るのが、伝統みたいだな。そこは読んだ」

「この王子の軍がやられてしまって、代わりに出て来るのが機巧の女神です」


 幼少期から魔法と魔導工学の天才と呼ばれた彼女は、王国の首席行政官に抜擢された。

 魔傀儡で軍を立て直し、魔物に対抗するための魔法スキル群を整備して行く。

 第二代勇者ロウ、そして三代目の二人は、彼女によって抜擢され、鍛え上げられた戦士だった。

 激闘の末、魔王と恐れられたボス級の魔物を倒し、人域の縮小は食い止められる。


「だけど、それだけじゃ足りなかったんです。大崩壊で生まれた魔物の数が、尋常じゃなかったから」

「で、勇者システムを構築した、と」

「自分の生きている内には、解決できないと判断したんでしょうね」


 霊脈は小規模な崩壊を周期的に繰り返し、魔物は次々と生まれて来る。

 まして、大陸の南がその温床となってしまったため、大崩壊以前の状態に戻すのは困難を極めた。


「勇者の召喚は、その小崩壊に合わせてたんだな」

「何代もかけて魔物を減らす。この計画は成功だったんでしょうか……」

「成功だよ。メイリが今読んでるとこに書いてる」


 蒼一と雪は、また読書中だった少女に顔を向ける。

 メイリは勇者の歴史の中程を飛ばし、記述の最終ページを開けていた。


「“……勇者は、最後の間に到達せり。女神の力をもって、ここに物語は幕を閉じん”」

「んー? エンディングっぽくはありますが……」

「文面よりも、その位置だ。何枚か飛ばして、最終ページに書いてあるんだよ」


 蒼一は先に勇者システムの解説を読んだため、皆より理解が早い。

 順を追って、彼がシステム終了手順を説明する。


「勝手に止めさせる気はサラサラ無かったんだ。終了できるのは、さっきの文言が現れた時だけだ」

「無理やり止めたら?」

「ここに来る通路、あれは普段は埋まってる。終了用だってさ」


 城の守備兵に、魔銀のゴーレム、それらを抜けた者が停止資格を得る。

 凡人に計画を中止されるのは、機巧の女神には耐えられなかった。“帰れ”と言われた十八番目の二人は、最初から試され続けてきたのだった。


 魔物と霊脈の力が弱まった時、この遠大な計画は終了する。

 蒼一たちは知りようもないが、結局、その目的を達成するのに最も貢献したのはエマだ。

 エマは二代目の言う凡人の力を結集してギルドを作り、勇者の力を使わずに魔物を押し返した。

 天才にも予想できない未来、そんなものはいくらでも有る。


「まず、洗脳石盤を潰す。次に王国の呪縛の解除。最後が本の返却だ」

「返却? ……どれも難題じゃないですか?」

「ヒントは載ってるけどな。順番にやろう。ハナ?」


 呼ばれた七番目の女神が、石盤から顔を上げた。


「複雑過ぎて、お手上げしたくなるわ、これ」

「どっちか分かったか?」

「紫の方がタブラ用かしら。召喚陣に似た文様も組み込まれてる。勇者召喚は、タブラの管轄だと思うけど……」

「けど、何だ?」

「決め手が無い。あなたの勘に賭ける」

「おいおい」


 紫か、赤か。

 蒼一は魔光を眺めつつ、決める手掛かりを考える。


「色の好き嫌いでいいかな?」

「ダメですね」


 ――ハナを信じるしかないか……。


「ハナを好きかどうかでいいかな?」

「喧嘩売ってるの?」


 ――決めようがないじゃん。


「メイリ、好きな色はなんだ?」

「答えないよクピ」

「クピ?」

「ちょっとマーくん、勝手に付け加えないで」


 迷っても仕方ない。

 蒼一は、紫の石盤を破壊することにした。

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