018. 魔人の力
蟻の火炎攻撃を我慢した蒼一たちも、四層の熱にはギブアップした。
「これは耐えられん。なんか涼しくなるスキルを探してくれ。クーラーとかアイスクリーマーとか」
「アイスクリーマーなんて有ったら、真っ先に取ってます」
氷系統のスキルは、早い段階で調べている。
雪の答えは、蒼一が以前聞いたものと同じだ。
「氷で残ってるのは、“氷室”だけです」
「……それでいいよ。冷凍庫だよな、名前からして」
氷室は対象空間の温度を氷点下にし、食品の冷凍や製氷を行う能力である。
炊事に氷室、野営用のスキルを増やし、勇者は着々と生活能力を高めていた。
「氷室っ」
蒼一の目の前に、低温の空気の球が生まれる。
彼は効果範囲を広げ、自分たちを包むまで球を大きくした。
冷気に歓喜した雪だったが、直ぐにその顔は強張った。
「……寒っ!」
「そりゃ、冷凍だからなあ」
「温度調節はできないんですか?」
「これでも手加減してるんだ」
氷室でカバーできるのは、蒼一を中心に数メートル程度しかなく、攻撃に使うには心許ない。
雪とメイリは範囲円の内外を行きつ戻りつして、自力で体感温度を調整し始めた。
「熱っ」「寒っ」「熱っ」「寒っ!」
「おい、どっちかで妥協しないと、体調を崩すぞ」
「アツサムいってのも、得難い経験かもしれません」
「なんだそりゃ、紅茶でも飲みたいのか?」
四層に降り立った場所は、蟹の大空洞くらいの広さがある。
地面の起伏が激しく、不注意にマグマ溜まりに接近し過ぎないように、三人は足元に注意して歩み進んだ。
大賢者はここに来て速度を上げて、彼らを引き離しにかかる。
「熱いのも平気なのか」
「そりゃ大賢者って言うくらいだから、魔法も色々使えるんですよ」
「すごい魔力の持ち主だって聞いた」
メイリも薬で回復してからは、魔人化せずに済んでいた。マグマがフロアライトのように、空洞内に明かりを与えていたからだ。
タブラの光点を追い、一度狭い横穴を抜けると、一行は最初の空洞を遥かに上回る広大な地下空間に出た。
「地下とは思えない広さです」
「あれ見ろ、あの岩!」
前を行く賢者の影よりも、蒼一はその先にある一軒家ほどもある巨岩に目を奪われる。
岩肌は幾何的な平面で構成され、ルビーのように赤くガラス質な光沢を放っていた。
「火焔石だ。それも馬鹿デカい」
彼がここに来た目的の一つだ。
しかし、雪とメイリは、それぞれ警戒すべき対象を見つけていた。
「いっぱい人が倒れてる、岩の前!」
「また蟻です。ウジャウジャいますよ」
蟻たちは、近づく賢者に火炎を吐いて威嚇する。
魔物が群がっていたのは、地に倒れ重なる冒険者の成れの果てだ。
何匹かが顎で焦げた遺体をくわえ、ズリズリと運び去ろうと引きずっている。
「ここに進入した連中か……何にやられたんだ?」
「蟻じゃなさそうですね」
武器を構えて魔物との戦闘に備えた三人は、氷室の範囲に固まって、火焔石へと走った。
賢者は火蟻を意に介さず、平然と火の中を突き進む。
火焔石の真横を通り過ぎようとする、そのローブ姿に、岩山が反応した。
「おいおいおい」
「……生きてますよ、あの岩」
赤い岩がのっそりと回転し、自身が生物である証、伸びた頭部が現れる。
岩から突き出る首の先に、厳めしい牙を誇示する爬虫類の顔。角こそ無いが、その面容に蒼一たちは龍を思い出した。
「甲羅だ、あの岩。脚がある」
「大きい亀さんですねえ」
巨亀は首を賢者に向け、地鳴りのような咆哮と共に、漏斗状の火炎を吐く。
猛火のブレスは亀の本体の数倍の広さを焼き払い、賢者は近くにいた蟻たちごと火に飲まれた。
「無理無理! あんなん相手にできるか!」
「でも、大賢者様は平気みたい」
メイリが火炎から飛び出す人影を指す。
火が鎮まるのも待たず、何事もなかったかのようにローブはまた奥に駆けて行く。
「おかしいだろ、あいつ!」
「熱さには相当強いみたいです」
「温度の問題か? 服が燃えたまま走ってるぞ。消せよ、横着か!」
今の蒼一に、あの猛火を凌ぐ手段は無い。氷室の低温球など、一吹きで掻き消されてしまう。
大賢者と火焔石を泣く泣く諦め、彼は大回りして亀を避けることにした。
一旦、亀から離れて右に直進し、安全圏から再び賢者を追う。
このコースもまた、それはそれで問題が横たわっていたのだった。
◇
蒼一たちの進路に群がる火蟻の群れ。これはいい。
「で、あの亀並にデカいやつはなんだ?」
兵隊蟻に混じって、否が応でも目立つ巨体が彼らを待ち受けている。
「お腹が大きいね」
「……女王蟻ってことか」
これも回避するのが賢明だろう。
亀よりはマシでも、正攻法で勝てる相手には見えなかった。
「ただ、一つ気になるんだけどさ」
「なんですか?」
「宝具部屋があったら、また転移陣があると思わないか?」
「ああ……」
前回、マルダラ村の洞窟では、蟹が魔法陣の鍵だった。
このデスタ洞窟にも同じく宝具部屋が存在するなら、やはり転移の起動には似た鍵が必要だろう。
「試練の洞窟みたいな設定で作られてるなら、鍵は……」
「亀さんですか?」
「それとも、あのアンティスの女王?」
どっちが正解でも、入手は至難の業だ。
「基本的には、徒歩で帰還を考えよう」
「基本じゃなかったら?」
メイリの声が、不安で少し低くなった。
蒼一のアイデアは、時として彼女に悪夢の材料を提供する。
「女王がこっちに反応しなければ、横を通り過ぎるだけだ。応用編は俺も避けたい」
三人は足音を忍ばせ、女王蟻の左側を抜けようと岩陰を伝っていく。
女王の四十メートルほど横に最接近しても、特に動きは変わらない。
このまま通過できるかと期待した時、地面の窪みから、兵隊蟻が彼らの前に飛び出す。
「くっ、重撃っ!」
グギッ!
顎を砕く破壊音、または子から発っせられた断末魔が届いたのだろうか。
巨大な女王の複眼が、蒼一たちに向けられた。
「目が合った、走れ!」
「どっちに!?」
「亀の方だ!」
自身が産み増やした子を引き連れ、火蟻の女王が動き出す。
駆け出した蒼一の背を、雪とメイリも追いかけた。
「溶岩に落ちるなよ! 粘着っ!」
適当に粘着をバラ撒き、蒼一は蟻たちの足止めを図る。
真っ先に這い寄ってきた兵隊蟻は地面に固着され、多少の時間を稼ぐことができた。
直進すれば、巨亀までは大して離れていない。彼らの目の前に、再び火焔石の甲羅が現れた。
亀の首が曲がり、近づく蒼一たちを認めると、口に火炎の光を溜め始める。
「このままじゃ焼かれます!」
「二人ともつかまれ!」
蒼一は仲間二人を両脇に抱え、亀を正面に見据えた。
背後からは、カチカチと顎を閉じ鳴らす音が迫る。
「ソウイチッ!」
「……今だ、跳ねるっ!」
ブレスの光が極まるのを見て、勇者は空中高く跳んだ。
亀の吐く火の渦をギリギリで飛び越え、そのまま甲羅の上に着地する。
「くそーっ、もったいねえ!」
足下の火焔石に未練がましく視線を送り、彼はもう一度スキルを発動する。
ビヨォーン!
亀の本体も越え、三人は魔物たちを振り返った。
火炎は兵隊蟻たちを焼き払い、奥に控える女王が激昂する。
ギチギチギチギチッ!
二体の巨大な魔物が、お互いに火炎の応酬を開始した結果、第四階層は火の海と変わって行った。
「すげえ、怪獣決戦だ」
「感心してないで、氷室を!」
放射された火が、空洞内の気温をさらに上昇させ、手加減した氷室では間に合わない。
「共倒れしてくれねえかなあ」
「とりあえず、今のうちに進もうよ」
「ですね」
厄介な魔物の関心が逸れている間に、彼らは大賢者の追跡を再開する。
タブラ上の点は、そう遠くない場所で止まったままだ。
「ゴールは近そうだな」
大空洞にも、それを囲う壁はあり、いずれはそこに突き当たる。
大賢者の目的地は、その壁に面した扉の先だった。
◇
蒼一はボウガンの台尻で、ゴンゴンと扉を叩く。
「おい、開けろ! 鍵掛けるなよ!」
鉄製の扉は彼の重撃にも耐え、ビクともしない。
「炊事っ」
小窓も飾りも無い分厚い扉を赤熱化しても、開く手助けにはならなかった。
「あっ」
雪が扉の下の異物に気付く。
わずかな隙間から紙片が差し込まれ、一部がはみ出ていた。
紙を取り上げた彼女が、裏表をめくって確かめる。
「タブラですね、これ。字が浮き出てます」
「何が書いてある?」
「“入ってます”」
「……トイレ待ちしてるんじゃねえ! さっさと開けろ!」
メイリは魔物の戦いが気になり、遠く後方を眺めていた。
咆哮と激しい打撃音が、彼らの場所からもはっきり聞こえる。
「あ、またタブラです。“集中できないので、静かに”」
「中で何をやってんだ。説明しろ!」
ボウガンで扉を乱暴にノックし、蒼一は返事を要求する。
暫し待たされた後、ようやく返信が下から差し出された。
「何て?」
拾った雪に、内容を読み上げてもらう。
「“タブラを返せ”」
「重撃、墜撃っ、連環撃ぃっ!」
彼の連打が終わり、鉄の反響が治まってから、雪は今まで出て来たタブラを、扉の下に押し込んだ。
「隠れて何をしてるんでしょうね?」
「宝具盗む算段だろ。出るに出られなくて、ベソかいてんだ」
次の返信は早かった。
「えーっと。“失礼な。宝具の準備に忙しいから邪魔するな”」
「何でお前が用意してんだよ! えっ、これ全部、クソ賢者のお膳立てなんか!?」
混乱する勇者の袖を、メイリが引っ張る。
「ソウイチ、魔物がこっちに来る!」
振り返った彼は、予想外の展開に愕然とした。
「……はあっ!? 両方ともかよ!」
二匹を呼び寄せたのは、度重なる扉への打撃スキルだ。
銅鑼のように響いた轟音が、魔物たちの注意を引いてしまったのだった。
「はよ開けろっ、勇者を殺す気か! 女神も死ぬぞ! 魔人もな!」
今度はタブラの返答は無く、代わりに青い光が隙間から漏れ出す。
「ああっ、この野郎、転移陣を発動しやがったな。素材も無しでどうやった? キセルかっ!」
扉を高速連打し始めた蒼一は、いきなり開いた入り口にバランスを失い、ゴロゴロと中に転がり込んだ。
「蒼一さん!」
「早く入って、扉を閉めろ!」
雪とメイリが押し閉める鉄扉、その向こうに、火球を溜める魔物たちの二つの顔。
「粘着! 氷室っ!」
扉を接着し、氷室を限界温度まで発動させる。
業火の直撃は扉が遮り、寸でのところで三人は丸焼きから逃れた。
「粘着っ! 雪、賢者はいるか?」
防衛作業を続けながら、蒼一は中の様子を尋ねる。
「誰もいない。宝具は、んー、一応ありますけど……」
「魔法陣は? 氷室っ!」
部屋の形状は、マルダラのものとそっくりだ。雪とメイリが、転移の魔法陣の文様を確かめる。
「これ、蟻でも亀でもないですね」
「じゃあ、なんだ?」
「水滴? 水が跳ねたみたいな……」
蒼一と雪は一瞬の思考の後、その形状の魔物を思い出す。大賢者でも素材を入手出来たであろう、その魔物を。
答えを二人が口に出す前に、メイリが決意を胸に宣言した。
「大丈夫、私が起動する!」
「お、おう……」
「前の時も出来た。私の力なら、転移を発動できるはず!」
「あー、俺もそんな気がするな……」
少女が石盤に足を載せ、陣の上で直立する。
魔法陣は彼女を鍵と認めて、青い光が立ち上がった。
「やった、起動した!」
喜色満面のメイリは、歓声を上げながら虚空に消える。
「……食道辺りに、残ってそうだもんな」
「もう消化してるかもです」
少女の強運に感謝しつつ、雪と蒼一も転移陣に乗り、彼らはデスタ洞窟から脱出した。
第四階層は魔物たちの雄叫びを残したまま、その進入口となる穴を土砂が埋め、再びその道を閉ざしたのだった。
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