006. 勇者の朝は早い

 イモジンの集落を抜けると、そこはナグ川の河畔である。

 蒼一たちは一時間ほど川沿いを遡上し、身を隠せる場所を探した。


「さすがに足の裏が痛くなってきた……」


 丸石だらけの川辺の道に、質素な革靴のメイリが愚痴る。

 蒼一と雪は潤沢な資金に物を言わせて狩人用のブーツを履いている上に、勇者は回復歩行持ちだ。

 つい歩く速度を上げてしまいがちなのは、少女のことを考えると、注意しなくてはいけない。


「もうちょっと我慢してくれ。地図によれば、この先にも休憩ポイントはある」


 ちなみに、イモジンの集落には、狩場のマークが付いている。

 この世界の人間は、あんな奴らを食べるんだろうかと、蒼一と雪はともに首を捻った。


 そこからさらに半刻ほどで、大きな岩が積み重なる場所に到達する。

 岩に囲まれ、上の巨石が屋根のように渡された場所が、地図のポイントだった。

 以前の冒険者が使ったらしい焚火の材料が、そのまま残されていたので、雪がいそいそと火の準備をする。


 そこに蒼一が炊事スキルで着火して、遅い夕飯が開始された。

 干し肉を齧りながら、蒼一はメイリに質問する。


「なんでまたイモジンにさらわれたんだ?」

「イモ……ああ、サラマンドルね」

「イモジンだ。焼いても食えない」


 彼が自分のネーミングセンスを疑うことはない。


「多分、私ににえ の呪いが掛かってるからだと思う」

「ニエの呪い?」

「生贄にされた時に、村の呪術士に掛けられた。魔を呼ぶ呪いよ」


 ――また厄介な物を。


「そのせいで、イモジンが寄って来たのか」

「彼ら流の生贄にしようとしてたんじゃないかな。何に捧げる気なのかは、知らないけど」


 食事を満喫した雪が、会話に参加する。

 日持ちのしないチクワを、彼女は全て平らげていた。


「呪いは解けないの?」

「その……勇者様の能力なら解けるかと」


 蒼一が頭を振る。


「解呪なんて三番目までに消えてるわ。まだ残ってたら、歴代勇者の見識を疑うね」

「呪術関係の能力も、全滅ですもん。他の方法は?」


 雪の問いにメイリはしばらく悩む。

 この世界の呪術は、かなり強力らしい。


「たしか、大賢者様も解呪ができると聞いたよ」

「またそいつか」


 目的地が一緒なのは、好都合かもしれない。

 メイリの言う洞窟の用事を済ませたら、山に同行させようと蒼一は考えた。


「俺たちの目的も大賢者だ。一緒に行こう」

「あ、ありがとう!」


 本気の感謝が、メイリの顔を明るくする。


「それと、罰点一ポイントな」

「なんで!?」

「勇者様って言っただろ。様付けは気持ち悪いんだよ」


 この世界に、勇者に敬称を付けない者は少ない。メイリにとっては苦行だが、本人の希望なら従わざるを得ない。


 この後、メイリに頼んで、二人は村や魔物について教えてもらう。

 蒼一たちはこの世界に不案内なため、直接少女の口から語られる情報は、多分に有益だった。

 もちろん、メイリ本人の目的も忘れてはいない。


「その洞窟の魔物ってのは、どんなのか知ってるのか?」

「見た人によると、こう、硬い殻があって……」


 一通り話し終わると、三人は寝床を作る。

 深夜はまだ肌寒い。

 真夜中に目が覚めた蒼一は、メイリに自分のローブを掛け、また翌朝までの睡眠に戻っていった。





 勇者蒼一の朝は早い。

 山際が白々と明け始める頃、彼はまだ眠る仲間を置いて、川縁へと足を進める。


 昨夜の戦闘では、木枯らししか試せなかった。

 他のスキルも試してみようと、彼は愛剣“十八番”を抜く。

 まずはこれ。


「鞘打ちっ」


 左手で鞘を引き抜いた蒼一は、その勢いのまま、鞘先を跳ね上げた。

 高速で動く鞘が、ブンッと虚空を切る。

 次はこれ。


「三段打ちっ」


 鞘で逆袈裟に一撃、剣で峰打ち。

 クルリと体を水平に一回転し、最後に鞘を真横に薙ぎ払う。


「ま、予想通りかな」


 剣術で“打ち”と付く技に、斬撃は期待していない。

 剣でなくていい気がしてくるが、ちゃんと直接攻撃するスキルは初めてなので、彼は少し嬉しかった。

 ひょっとして、剣のスキルに執着し過ぎていたかもしれん。他の武器についても調べようと考えつつ、蒼一は最後の剣技に取り掛かる。


 絶技“陽炎かげろう”。

 絶技は今、彼が付け加えた。


「だってさ、強そうじゃん」


 誰に答えるでもなく、彼は独りつぶやく。


「陽炎っ」


 正眼に構えた剣は、朝陽を映すように鈍く光り出した。


「……?」


 他に何も起こらないまま、剣は元の墨消しの黒刃に戻る。


「なんだこれ。他に発動条件でもあるのか?」


 クエスチョンマークを飛ばしながら、彼は何度も陽炎を使い続けた。

 雪が起きて来たため、効果のほどが分からないまま、スキル研究は中断される。


「メイリはまだ起きないのか?」

「うん。軽く蹴ってみたけど、幸せそうに寝てたよ」

「あいつ、昨日からトータル何時間寝てるんだ」


 二人で岩場を覗きに行くと、メイリはローブを抱き寄せて爆睡していた。


「気つけっ!」

「あぶばばばっ」


 流石の勇者スキル、一発で睡魔を吹き飛ばす。


「な、な、何するんあば!」

「顔拭いてこい。俺のローブが泥だらけじゃねえか」


 雪は河原にメイリを連れて行き、顔だけでなく、髪に付いた泥も落としてやった。

 スッキリした彼女は、蒼一たちを驚かせる。


「……ブロンドだったのか」

「綺麗。美人さんですね」


 二人の賞賛の表情に、メイリは頬を染めた。


「あ、ありがとう……」


 蒼一にはもう一つ試したい新スキルがあったが、あまり居心地のいい場所でもないので、さっさと出発することにする。

 彼がブーツの紐を締め直し、荷物を背負った時、メイリが川上を指差した。


「誰か来る!」


 大小二人の姿が、河原をこちらへ歩いて来る。

 顔が見える距離にまで近づくと、大きい方の男が駆けて寄ってきた。


「勇者殿!」

「様の次は殿かよ」


 敵意が無さそうなのは、良いことだろう。


 男の名前はラバル、北の街の防衛隊籍を離脱し、今はフリーの傭兵だと言う。

 小さいローブの少女がマルーズ、職業魔術師だと彼女は自己紹介した。


「勇者殿を探していたのです」

「……なんで?」


 微妙に聞きたくないニュアンスを含ませ、蒼一が話を促す。


「我々は、ダッハの出身です」


 それが大事なことだと、ラバルの顔が語っている。

 蒼一はメイリを肘でつついて、助けを求めた。


「ずっと北にある交易都市です。魔物に襲われやすく、治安が悪いとかどうとか……」


 彼女の説明は、ラバルの耳にも入っていた。


「今は街も、ずいぶん落ち着きました。それと言うのも勇者殿のおかげなのです」

「俺?」

「そう、いや、十六番目の勇者殿が街を救って下さいました。その御恩を少しでも返そうと、勇者降臨の知らせを聞いて馳せ参じた次第です」


 律儀なことだが、蒼一にとっては他人事である。


「二番違いが同じ扱いなら、受験生も楽だろうな。前後賞で受かるわけだし。俺は関係ねえよ」

「勇者殿は勇者殿です。微力でも何か手伝わせてください、お願いします」


 頼み込む真剣な二人の顔を交互に見て、蒼一は今代勇者として口を開く。


「マルーズ、だったよな。君は水魔法が使えるのか?」

「はい、水が最も得意です」


 尖んがり帽子にグレーのローブ。いかにもな魔術士は、蒼一の質問に意気込んで答えた。

 彼は話を続ける。


「この川下に、イモジンの集落があった」

「イモ……?」


 サラマンドルです、とメイリが小声でマルーズに教えた。


「この娘が捕まっていたのを、助けたんだ」

「素晴らしい! やはり勇者様は私たちの希望だわ」


 実物の勇者を前に、マルーズが感極まって声を上げる。

 勇者の一助となること、それが彼女の長年の夢だったのだ。


「サラマンドルどもは、人を拐かし、村落を襲う魔物です。またナグ川に集まってきていたのね……」


 狩り対象に指定されているのは、放置して群れると危険度が高くなるためだ。


「そいつらも問題だが、ナグサの森が派手に燃えている」

「なっ! 魔物め、またそんな卑劣な手を!」

「うん、そうだね。その火を消すのを、頼んでいいかな? 俺は水系の魔法が使えないんだよ」


 正確には、他にも色々と使えない。


「分かりました。悪辣な魔物の所業、我が力で必ず止めて見せましょう」

「頼んだよ」


 勇者直々の依頼を受け、ダッハの二人組は森へ向かう。

「悪鬼どもめっ!」「森を焼くとは言語道断!」などと言う声が、彼らが小さく消えるまで聞こえていた。

 雪とメイリに向き直り、蒼一は晴れ晴れとした笑顔を見せる。


「一件落着!」


 嘘は言ってない。

 彼は人払いと後始末を一挙に済ませ、機嫌良く北へ歩き始めたのだった。





「私は助けてくれたのに、あの二人はダメなの?」


 ラバルとマルーズを追い払った理由を、メイリが聞きたがる。


「メイリは人助けだろ。あいつらの自己満足に付き合う必要は感じない」

「でも……」

「俺は一人しかいないしな。勇者は先着一名様なんだよ。メイリの件が片付くまで、売り切れだ」


 彼の返答は、あまり彼女のお気に召さなかったようだ。

 難しい顔をして、メイリは何やら頭を悩ませている。


「危ないですよ、メイリ」

「ひゃっ」


 雪が彼女の脇腹をロッドでつつき、前方不注意を警告した。


「……二人は大賢者様のところに行きますよね」

「うん」

「私も付いて行っていいと、言ってくれました」

「うん」


 そこまではいい。

 メイリが考えていたのは、その次だ。


「呪いが消えたら、私はお別れですか?」

「うん」

「ああ、やっぱり……」


 彼女は目を伏せ、暗く沈む。

 だが、蒼一の言葉には続きがあった。


「俺たちの目的は、元の世界に帰ることだ。大賢者に会ったら別れるんだよ。オッサンに会っても帰れなかったら……どうするかねえ、雪?」

「考えてません」


 彼の話は、メイリには意外だった。


「勇者さ……、勇者って、そんなすぐに帰ってしまうものなの?」

「そんなすぐに帰ってしまうもんなの」


 ――帰れって言われたんだもの、そりゃ帰るさ。


「じゃあ、私もついてく」

「うん?」

「私も一緒に帰る」


 彼女が考えた身の振り方が、これだった。

 村に居場所はなく、身寄りもいない。惜しむものが、メイリには何も無かった。


「私が一緒にいたいのは、もうソウイチとユキさんしかいません」

「まあ、そうしたいなら、いいんじゃね」

「本当に!」


 雪にも特に反対する理由が無い。


「帰る方法次第ですかねえ。ついてこれるなら、どうぞとしか」

「やったあー!」


 ダッハの二人からは逃げたが、メイリは違う。こいつは、俺たちと少しだけ似ていると、蒼一は思う。

 記憶も無く、平和な世界から弾かれた異分子だ。多少は付き合ってやろう。


 喋りながら歩く三人の前に、案外立派な橋が現れた。

 木造の橋を渡れば、そこはもう森でも河原でもなく、カナン山麓だ。

 大賢者へ会うには北西へ山を登るルートだが、それは後回しになった。


 山は目指さずに単に北上するだけなら、北東への道が広く主街道に繋がっている。

 今回はメイリの村に寄り道するので、雑木林と岩が転がる荒れ地を通る真北へ進んだ。


「ところでさ、メイリは最初どこから逃げたのか、覚えてないのか?」

「景色は覚えてるよ」

「どんな?」


 彼女は辺りを見回して、オークから逃げ出した場所を思い出そうとする。


「えーっとね。ああいう感じの岩があって」

「うんうん」

「林の中の道で」

「ほう」

「イノジンがワラワラいたよ」


 蒼一が前を指す。


「ああいう風にか?」

「そうそう!」

「ここじゃねーかっ!」


 昨日に引き続き、再度イノジン戦。

 但し複数相手にレベルアップしている。


「ゴブアッ?」


 ――無警戒で近付けば気付くわな、そりゃ。


「雪はダメイリを連れて、後ろへ下がれ」

「ほーい」

「ダ、ダメ、イリ!?」


 ボウガンを取り出し、彼は不敵に笑う。


「とっておきのスキルがあるんだ。昨日と一緒だと思うなよ」


 蒼一対イノジンの二回戦目が、開始されたのだった。

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